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昨日我が家(父とあたしだけですがw)では
石焼きビビンバを作りました。
ホットプレートでw
考えてみたら、
あたしが実家にいたときって
本当に家族がバラバラでした。
そういう家庭って意外と多いのだっておもうのだけどね。
あたしはそもそも10年近く父親とクチきかなかった。
関わりたくないという気持ちがあまりにも強くてね。
よくいるでしょ?
父親の洗濯物と自分のは一緒にしないで!
って思春期特有から始まるヤツ(笑
うちは本当に家が厳しくて
厳しかったからこそ
あたしはウラでどうしようか常に「抜け道」を探していて
本当にね、思えば抜け道人生だなって思います。
とにかく受験のときの、勉強しないときの脅し文句?は
「女子高にいれるわよ!」
って母にいわれていました。
そうすると
「それだけはカンベンして、勉強するから!!」
って泣きながらしたものです(苦笑
結局ミッション系で女子高に近いところに入ったのだけどね。
中学のときからあたしは夜遊びをしていたのですが
モチロン親にはナイショです。
門限があまりに厳しくて
日が暮れる前に帰るが原則。
それはたとえ部活でもそうでした。
実際「部活で遅くなって」
というのがあまりにも多かったのですが
それを理由に渋谷あたりで遊んでいた日もかなりあって
そんなある日に母親が職員室に乗り込んできました。
いわゆる「抜き打ち」です。
あたしがたまたま部活をやっていた日だったのがラッキーだったんですが
「顧問の教師と担任をよべ」
ときて、あたしの生活態度をめちゃくちゃきいていたようです。
しかしあたしというのが、これまた教師とうまくやっていたのがあって
口裏をかなりあわせていました。
要するに教師を操作するのが好きだった。
教師を丸め込むためには
ある程度お勉強もしておかないと信頼されないのでは?
というのがあって
勉強だけはやりました。
学級委員だの生徒会だのそういうのもやっていて
教職員に対しては「信頼される生徒の見本」を演じ続けていました。
オモテではマジメでイイコだったのですがね(笑
よく「マジメでイイコだったのに」といいつつ
「マジメだからこそ悪いことをしでかす!」
それってなんとなくわかる気がします。
そして両親の前でもそのつもりでした。
だけどね、あたしはすごくウソついたりごまかすが下手なので
親にウソついてもすぐにバレちゃうのよね。
だけど夜は家の裏からそっと抜け出して新宿あたりで夜通し遊び
始発で帰るってことは、そうだね、
習性になってしまって社会人になってもそうでした。
ていうかいまだに夜中遊びにいくときは
間違って裏口から靴もってそぉっと出てしまいます(笑
それだけはなぜかいまだにバレていないらしくてね(笑
外泊も旅行も禁止だったし、門限もうるさい。
しかもオトコから電話があるとあたしに取り次ぐ前にソッコー切られる。
連絡とれないので携帯がない時代ということもあり
アナログに手紙をもらってたわけだけど
それをあたしより前に親に検閲されて
しかもそれを食事のときに読まされる。
「こないだのxx楽しかったね」
なんていうのが書いてあるともうアウト。
そんなところにいったのかとか、
もう外に出してくれなくなります。
そんな中悪い智恵がどんどんついていくのも仕方ないってかんじですよ。
どうやればいっぱい遊べるか!
それを毎日毎日授業中もそればかり考えて過ごしていました。
勉強しろってことはヒトコトもいわれないし
塾もいれさせることがなかった。
要するに塾とかで学校以外のオトコと一緒にさせたくなかったらしいのよ。
そこまで制約されれば逆に遊びたくもなるわな。
適度な制約が一番ですよ。
そんなこんなもあって
あたしは特に父とは一切クチを聞かない姿勢でした。
「オマエの生活費は親が出しているんだから
親のいうことをきいて当然だ」
と毎回いわれてたんですが
今思えばごもっともなんだけどね。。
そんなかんじで娘は父とクチきかず、
しかも今でこそきかなくなったけど、
いわゆる駆け落ちまでしてしまうようになり
結果今が一番話しをするかんじですね。
そういう意味(親孝行しろっていう...)でもしかしたら
祖母が介護状態であたしが介護をする運命になったのかな
って時々思います。
今おこりうる現実は結果としてすべて意味のあることなのかもね。
それでも去年秋から父と二人(祖母もいれて三人)で暮らすことになったとき
あたしはすごく嫌がったのですが(笑
今では親孝行なのかなって思うようにしています。
実家に母といたときは父親はいつも帰りが遅いのですが
今は父親、逆に早退が多かったり(笑
娘と一緒にもっといたかったのかな
そうなんとなく思いました。
石焼ビビンバだの、鍋だの
そういふうな食べ方(同じ鍋をつつくヤツ)をすると
心なしかうれしそうなんだよね(笑
だけどあたしは今でも
父親と洗濯は相変わらず別々にするし
お風呂でさえも、いまだに
「おとーさんが入った後のお風呂になんて入りたくない!」
といって入りたがらないとか、
スプーンとか箸とかコップとか
父が間違って使うと猛烈に怒ったりとか(笑;
相変わらずわがままですけどね(笑;
...だって、いやなんだもん。。
そういうことされる、
娘をもつ父親の気持ちってどうなんでしょうかね(汗
まぁ、嫁に行くまでの短い期間だろうから(予定は未定ですがw)
そう思うしかないのかななんて思っています(笑
あたしのイトコが昨年嫁にいったのですが
ダンナを選んだ理由が
「お父さんに似てるから!」
でした。
あたしは絶対ムリって思うというか
むしろ真逆!って思いますけどね。
だけどよくきくのが
父親のようなタイプの人間をカレシやダンナに選ぶっていうのが
深層心理にあるらしいのだけどね。
いわゆるエディプスコンプレックス(母と息子)の反対版である
エレクトラコンプレックスってヤツなのかなぁ。
息子は母親のような女性を選ぶっていうじゃない?
というか、
いまだにこんなに父親をさけてるっていう自分もどうかって思うんですけど。
本当なら旅行とかにつれていってあげるべきだろう年齢なのに。
そのあたり、思春期から成長してないような気がしてなりませんね。
石焼きビビンバを作りました。
ホットプレートでw
考えてみたら、
あたしが実家にいたときって
本当に家族がバラバラでした。
そういう家庭って意外と多いのだっておもうのだけどね。
あたしはそもそも10年近く父親とクチきかなかった。
関わりたくないという気持ちがあまりにも強くてね。
よくいるでしょ?
父親の洗濯物と自分のは一緒にしないで!
って思春期特有から始まるヤツ(笑
うちは本当に家が厳しくて
厳しかったからこそ
あたしはウラでどうしようか常に「抜け道」を探していて
本当にね、思えば抜け道人生だなって思います。
とにかく受験のときの、勉強しないときの脅し文句?は
「女子高にいれるわよ!」
って母にいわれていました。
そうすると
「それだけはカンベンして、勉強するから!!」
って泣きながらしたものです(苦笑
結局ミッション系で女子高に近いところに入ったのだけどね。
中学のときからあたしは夜遊びをしていたのですが
モチロン親にはナイショです。
門限があまりに厳しくて
日が暮れる前に帰るが原則。
それはたとえ部活でもそうでした。
実際「部活で遅くなって」
というのがあまりにも多かったのですが
それを理由に渋谷あたりで遊んでいた日もかなりあって
そんなある日に母親が職員室に乗り込んできました。
いわゆる「抜き打ち」です。
あたしがたまたま部活をやっていた日だったのがラッキーだったんですが
「顧問の教師と担任をよべ」
ときて、あたしの生活態度をめちゃくちゃきいていたようです。
しかしあたしというのが、これまた教師とうまくやっていたのがあって
口裏をかなりあわせていました。
要するに教師を操作するのが好きだった。
教師を丸め込むためには
ある程度お勉強もしておかないと信頼されないのでは?
というのがあって
勉強だけはやりました。
学級委員だの生徒会だのそういうのもやっていて
教職員に対しては「信頼される生徒の見本」を演じ続けていました。
オモテではマジメでイイコだったのですがね(笑
よく「マジメでイイコだったのに」といいつつ
「マジメだからこそ悪いことをしでかす!」
それってなんとなくわかる気がします。
そして両親の前でもそのつもりでした。
だけどね、あたしはすごくウソついたりごまかすが下手なので
親にウソついてもすぐにバレちゃうのよね。
だけど夜は家の裏からそっと抜け出して新宿あたりで夜通し遊び
始発で帰るってことは、そうだね、
習性になってしまって社会人になってもそうでした。
ていうかいまだに夜中遊びにいくときは
間違って裏口から靴もってそぉっと出てしまいます(笑
それだけはなぜかいまだにバレていないらしくてね(笑
外泊も旅行も禁止だったし、門限もうるさい。
しかもオトコから電話があるとあたしに取り次ぐ前にソッコー切られる。
連絡とれないので携帯がない時代ということもあり
アナログに手紙をもらってたわけだけど
それをあたしより前に親に検閲されて
しかもそれを食事のときに読まされる。
「こないだのxx楽しかったね」
なんていうのが書いてあるともうアウト。
そんなところにいったのかとか、
もう外に出してくれなくなります。
そんな中悪い智恵がどんどんついていくのも仕方ないってかんじですよ。
どうやればいっぱい遊べるか!
それを毎日毎日授業中もそればかり考えて過ごしていました。
勉強しろってことはヒトコトもいわれないし
塾もいれさせることがなかった。
要するに塾とかで学校以外のオトコと一緒にさせたくなかったらしいのよ。
そこまで制約されれば逆に遊びたくもなるわな。
適度な制約が一番ですよ。
そんなこんなもあって
あたしは特に父とは一切クチを聞かない姿勢でした。
「オマエの生活費は親が出しているんだから
親のいうことをきいて当然だ」
と毎回いわれてたんですが
今思えばごもっともなんだけどね。。
そんなかんじで娘は父とクチきかず、
しかも今でこそきかなくなったけど、
いわゆる駆け落ちまでしてしまうようになり
結果今が一番話しをするかんじですね。
そういう意味(親孝行しろっていう...)でもしかしたら
祖母が介護状態であたしが介護をする運命になったのかな
って時々思います。
今おこりうる現実は結果としてすべて意味のあることなのかもね。
それでも去年秋から父と二人(祖母もいれて三人)で暮らすことになったとき
あたしはすごく嫌がったのですが(笑
今では親孝行なのかなって思うようにしています。
実家に母といたときは父親はいつも帰りが遅いのですが
今は父親、逆に早退が多かったり(笑
娘と一緒にもっといたかったのかな
そうなんとなく思いました。
石焼ビビンバだの、鍋だの
そういふうな食べ方(同じ鍋をつつくヤツ)をすると
心なしかうれしそうなんだよね(笑
だけどあたしは今でも
父親と洗濯は相変わらず別々にするし
お風呂でさえも、いまだに
「おとーさんが入った後のお風呂になんて入りたくない!」
といって入りたがらないとか、
スプーンとか箸とかコップとか
父が間違って使うと猛烈に怒ったりとか(笑;
相変わらずわがままですけどね(笑;
...だって、いやなんだもん。。
そういうことされる、
娘をもつ父親の気持ちってどうなんでしょうかね(汗
まぁ、嫁に行くまでの短い期間だろうから(予定は未定ですがw)
そう思うしかないのかななんて思っています(笑
あたしのイトコが昨年嫁にいったのですが
ダンナを選んだ理由が
「お父さんに似てるから!」
でした。
あたしは絶対ムリって思うというか
むしろ真逆!って思いますけどね。
だけどよくきくのが
父親のようなタイプの人間をカレシやダンナに選ぶっていうのが
深層心理にあるらしいのだけどね。
いわゆるエディプスコンプレックス(母と息子)の反対版である
エレクトラコンプレックスってヤツなのかなぁ。
息子は母親のような女性を選ぶっていうじゃない?
というか、
いまだにこんなに父親をさけてるっていう自分もどうかって思うんですけど。
本当なら旅行とかにつれていってあげるべきだろう年齢なのに。
そのあたり、思春期から成長してないような気がしてなりませんね。
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