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あと一週間ちょっとで祖母が退院します。
家に戻れば、これまで病院でやってくれてたすべてを、
またあたしがメインで24時間体制でやらないといけません。

これまでつかまりながら一人歩けてたのに12月下旬に二回転倒したことで
祖母はすっかり寝たきりになってしまいました。

排泄はもちろんのこと、
食事も口まで運ばないとできなくなりました。
あたしは大声で叫びたくなるくらいにおかしくなりそうな感覚に幾度となく陥ってきたし
家庭に戻ればまさに戦場。

少しでもADL(日常動作)があがるようにと
病院に毎日通ってはベッドから離れさせたり車椅子から離れさせて歩かせてみたり、
要するにリハビリを徐々にさせています。

そのリハビリをする気分にさせるのが実にむつかしい。
病院のスタッフに声をかけられても、
父が声をかけてもリハビリをいやがります。

そもそもリハビリってさ、
なんのためにあるんだって話だけど、
確かリハビリの理論体系はベトナム戦争にまでさかのぼります。
ベトナム戦争で足を失ったりした帰還兵が、
足を失った状態でどんなふうにこれからの人生をいきのびていくか
それがそもそものはじまりだった気がします。

要するにリハビリ理論のおこりは戦争にかり出されるくらいに若い人が対象であって
彼らには未来があり、家庭をもったり、いきるためにリハビリは必要なのです。

祖母もリハビリは確かに生きるためではあります。
だけどベトナムのその理論と老人介護と違うあまりに大きな点は
正直いえばその先、生物学的に生きられる年数の違い。
祖母は80をすぎていますから帰還兵と違い、
体力の衰えがかなりあります。

あたしは8年前に祖父を亡くしましたが、
祖父は最後まで生きたい!と、認知症になってもいってました。
病院の部屋では大勢とガヤガヤさわぐのが大好きで
最後まで音楽も大好きという人でした。
友達も多かった。

一方祖母はいかにも大正生まれというかんじで
口数もほとんどなく話し掛けることはまずない人。
話し掛けられるのも嫌がります。
趣味もまったくありませんしテレビすらみたくないという。

要するに「生きたいきもち」がこれまでなかった人。
という言い方は語弊があります。
生きるだけで必死だった時代を潜り抜けてきた人。
その時代の人がみんなそうかといえば
それぞれだとは思いますが。

そういう趣味もなにもない、
いわば生きていく目的がない人に、
どうやってリハビリさせるという、「生きるためのプロセス」への動機をつけるかが一番問題。
そう、リハビリは手段であり、リハビリすることそのものは生きる目的じゃないからね。

だから早くなおして一緒に買い物しようね、
とかいいながら祖母の心の奥を探しています。

そんなかんじでもはや半年経過しました。
半年の間、本当にとっても終末医療について考えました。
生きるためにリハビリをする延長線上に、
常に生きる目的をかかげないと
人は弱いものだから。

おそらくこれまで何度も生きることを粗末にしてきた
きっとその代償なのかもしれない。
昔のあたしにできなかったかもしれないけど
今のあたしになら、多分できること。

こういうことを誰にもいえずにずっといたら
去年、友達から電話がかかってきていわれた。

「乗り越えられない試練はないっていうから大丈夫だよ。
これまでのれいあさんだったら難しかったかもしれないけど
今のれいあさんなら、乗り越えられるから、
だからそういうことが今おきてるんじゃないかな」

電話口なのをいいことに思い切り泣いてしまった。

ありがとう、ってココロから思ってるし
これからもこんなあたしだけど支えていってほしいって思った。
彼には本当に世話になってばかりいる。


先月、加藤茶さんが会見で
生かされていると感じた
と話したのはおそらく生きる目的の中に
自分に与えられた使命、といったら大げさだけど
そんな二つがかさなってる幸せな人だなと思いました。


今日、祖母の退院の日時が正式に決まりました。
今日はケアマネさんと、主任看護士さんと、
明日もまた栄養士さんと話を詰めていきます。
あたしにしかできないこと、が多すぎるのですが
その責任の重大さ(人の命を支えることといったら大げさですが)とか感じる余裕なんてありません。
がむしゃらで、不器用だけど
前に進むしかない。

リハビリも毎日あたしが中心でやっているのですが
(リハビリ施設がないところなので)
入院したときは、ベッドから起き上がれないどころか
寝返りすらうてなくて、
さっきも書いたけど食べ物もクチに運ぶ状態でした。
入院から今日で15日たちましたが
そんなひどい状態だったけど
今では起き上がれて、車椅子へも一人で移れるようになって
バーにつかまり歩きまでできるようになり、
昨日からは、あたしの支えがないとダメですが
歩行器で、少しだけど歩けるようになりました。
半月で、すごい回復力だって思います。
だけどその回復力っていうのは
もちろん祖母のがんばりもかなりあるのですが
最初はそんな余裕もなく、
あたしも余裕がなく。。
病院のスタッフとかはじめとして
いろんな人の支えがあって、はじめてここまでこれたわけであって。
本当に人は一人で生きていけないのだ、
誰かに常に支えられているっていうことに
気づかないといけないのかな
そういうふうにこの半月で思い知らされました。

確かに大変ではあるんだけど
今、ここにおきてることは
あたしはそこから何か学ぶべきものがたくさんあって
今はそれを一生懸命吸収しているかんじです。

あと1週間もしたら
今みたいなどちらかといえば自由な時間も
寝る時間もなくなりますが
ときどき離れてみることで、
お互いの存在を知り、価値を知り、
そういうのをわかるというのは
自分の中にある豊かさみたいなものを
知るプロセスなのかなってここ最近思います。

そういうのって恋愛にも似ていて
離れてみることで
近すぎて見えなかったことってかなりあるはずで
「離れる」というリスク以上に
豊かさを確実に感じられる、
そんな恋愛を重ねていけたらいいなって思いました。
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