fc2から移行検討用
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Blogをはじめて3年。
これまでたとえば掲示板とかに書き込んだり
携帯サイトで頻繁に更新していたものを
Blogという形式に移したのだけど
本来BlogというのはWEB2.0で代表されるように
トラックバックができたり、コメントをつけたり返したりで
mixiなんかの新たなコミュニケーションとなる前段階というか
プロトタイプとでもいうのかな。
そんな新たなコミュニケーションの確立というものがある一方で
「うちは昔からこうなんだよ、べらんめぇ!」
ってかんじでトラバもコメントも受け付けていない(笑)
もうかれこれ5年以上前のこと。
友人と話をしていたらいつものようにWEBの話になった。
あたしもWEB関連の仕事をしていたことがあったのだけど
独学だったのもあって
その友人はプログラマさんだってことも手伝って
いろいろと教えてもらうことが多かった。
そんな折、こんなことをきかれた。
「xx君の日記、読んだことある?」
そのときにこう話していたのが印象的だった。
「人の日記って、読むの好きなんだよね。
それっておかしいのかなぁ...」
Blogっていってみたら公然の覗きみたいなもんなんだよな、
って思ったりもする。
それがmixi日記ともなるとなおさらだ。
「最終ログイン○時間前」
っていう例のアレw
足跡機能とか窮屈すぎて仕方ないから一切見ない(笑
誰かのところを見ても足跡はもちろんつくので
それもなんか嫌だな、とか思ってるうちにどこにもいかないで
「mixiヒキコモリ」になってしまった(笑)
別に秘密主義とかなんかじゃないのだけどさ。
さらに友達、知り合い含めて
「下手に自分を知ってる」という人ばかりなので
悪いことがあそこでは書けない(笑)
コメントのやりとりがめんどくさいのは実際かなりあったりする。
だけどまぁ本当に友達ならば連絡とらなくたってmixiやめたって友達は友達。
それがヴァーチャルなつきあいか、リアルのつきあいかの違いだって思う。
だけどmixiをやってるってだけで
変に知ってる誰かの目に自分が触れることに神経質になったり不安になったり
自分に振り回されているあの感じがどうも苦手。
そこまで誰も自分に興味がないことはわかっているけど
気を抜いた状態で見られたくないというか(笑)
コメントされたら返さなくてはいけないのではないか、とか
ああいう「いいひとにならなきゃダメ」なかんじの「義務感」みたいなものがとっても嫌なのですよね。
ってふうに2004年からずーーーーーっといってますね(笑)
あたし、悪い人ですからw
ちょっと前、これは実は「釣り」だったことがわかったけど
mixiで日記を読みつつ素通り(読み逃げ)することが許せないというものが
OK Webで書かれて春頃に話題になった。
⇒ mixi 読み逃げ で検索w
(関連というか解説?)
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20070329/p1
何が話題になったかといえば
「素通り論」
ともいうべきか
日記の読み逃げはずるいという、その最終的には「釣り」であったこの質問(今は削除されていますが)
賛否両論だったのだけど
「読み逃げはひどい」
という人が結構いたらしいですね。
うちは読み逃げ大歓迎www
(ただしいつも文章が長いので全部読めればですがw)
日常の人間関係とネットの人間関係。
これまでのあたしはネットと日常をごちゃまぜにしていたのだけど
mixiをほぼリアル友達だけで固めるようにしたのは
バーチャルとリアルを一緒にしようかと思いはじめたから。
そもそもあたしは不器用だから
たとえばバーチャルで嫌な気分になったとしたら
リアルでもそれを引きずるだろう。
だけどヴァーチャルの人間関係はバーチャルでしかない。
会社の同僚と遊び友達の付き合いの違いみたいなもの。
もちろん会社の同僚と遊び友達が同じ人もいるだろうけど。
逆に遊び友達に対して
「コノ人は友達として出会ったからよかったけど
上司だったら嫌なタイプだろうし嫌っていただろうな」
という人も少なからずいる。
だけどバーチャルの場合、
たとえIMで話してたとしても「想像」でしかなくて
その人の話し方、目線、声、表情...
そういういろいろを感じながら、
心を感じないと寂しいなと思う。
あたしの中でバーチャルとリアルの統合が数年前から始まった。
基本的にあたしはWEB上の馴れ合いが好きなほうではない。
しかしリアルのあたしはかなり甘えたりするし、相当なアホです(笑)
Blogでは手厳しいことや辛辣な発言をかなりしてしまうのだけど
さらに、はにかみ王子ならぬハニカミ女王様でもあります(笑)
コメントつけたり返したりがめんどうとまではいかなくても
mixiだと「いい顔の自分」ばかり見せようとしてしまうきらいがあるので
そういう自分がとても嫌だったのが一番ある。
「あたし、本当はそんないい人なんかじゃないんだよ!」
ということはリアル友達はきっと
「何をいまさら(´Д`;)」って思うのだろうケド(w
要は見栄っ張りな部分がでてしまうんですよねw
つい先日、
「mixi最近荒れてるからblogに移行させるね」
と友人からメールがきた。
mixiが18歳以下は禁止というのも
法律がらみで建前でそうしてるだけってかんじが強くて
実際、あたしのとなりに中学生の少年が住んでいるのだけど
電話か何かで
「mixiにそれ書いてあったよ」
とかって友達と話していた声が聞こえた。
高校生だけでなく中学生も実際は結構利用してるのだろうって思う。
SNS統計サイト
http://sns.satoru.net/
によれば本日16時現在の会員数が
11978540人らしい。
ここまで増えてしまっては会員制の意味がないだろう。
だけどあくまでも「18歳以上:招待制」であるのにギモンを感じてならない。
ネットのモラルを小中学生とかにとはいうけど
おそらくは親がネットやパソコンに慣れていないことも多くて
子供のほうが飲み込みが早いこともあるから
親のほうがむしろ最初にモラルを学んだほうがいいのではと思うことも多い。
Technoratiによる調査では全世界で7000万以上あるブログのうち、37%は日本語ブログだといいます。
あたしがBlogを書くのは
mixi日記だとどうしても(mixiにFeedをリンクさせていないのは)
「いい人」になろうとしてしまう見栄を張るクセがあって
それが自分を締め上げてる窮屈さを感じてしまう。
あとデザイン面は相当大きくて
SNSみたいな画一化されたデザインの中に
自分の文章を埋め込むという作業が、これまた窮屈になってしまうのだよね。
Blog形式でだとマイペースに自分を表現できる。
mixiだと監視されてる感覚がかなりあるので、あの束縛感がまた苦手なのもある。
Blogなら情報を発信することもあれば
日記のようなときもあったり
写真もmixiよりも多く乗せれたり自由度が高い。
要するに自分を表現するツールがBlogなんだということ。
メモみたいに自分の頭にあることをサクっと書き留める感覚のときから
自分が思うことを書いているうちに自分がやりたかった方向がわかってきたりもする。
だからBlogを書き続ける。
ここを読むのはリアルのあたしを知らないmixiの友達以外の人もいるだろうけどね。
自分からWEBに発信した「コトバ」は
それを受け止めた人の心のフィルターを通して受け止められる。
その中で共感したり、それは違うと思ってみたり
Blogのコトバを読んだ人はその人のフィルターや価値観で物事を判断するので
極端な話、受け止め方でどうとでもとれるようになっている(笑)
だけどそういうこと(いわゆる仮想現実世界であること)をよくわからない人が反発コメントしたりするうちに
ブログが炎上してしまうケースが最近多い。
ブログ炎上に拍車をかけるのが「言葉狩り」だって思う。
揚げ足取るような発言だったりとか、
そういうことをする人の神経を疑う。
某巨大掲示板にしても荒れているときの多くが
揚げ足とったり言葉狩りが多かったり。
本筋や核心部分から外れてそういう方面ばかりいってしまうようなことが多いのだろう。
物事の本質からかけ離れてしまって
発信する側も、その内容にある程度の言葉を求めていた人たちの気持ちとは
そぐわない方向にいくケースがそういうときは多い気がする。
あくまでもBlogを書く人のフィルターを通しての文章があることを
さらにいえば表現した言葉が実際のその人のコトバとして派生したものではない(ようするに話す場合と書くのでは違うという意味)
それがわかってない人が多すぎるのだと思う。
そのような揚げ足をとったり言葉狩りをするようなタイプの人間があたしはどうも苦手でならない。
さらにいえばモチロン読み手もさまざまなので
各々個人のフィルターを通して文章を読んでいる事実をわかっていない人が思いのほか多い。
こういう温度差がこの数年、Blogの広がりとともに増えてきてるのではないかと思う。
コトバは生き物だから
一人歩きをする。
それは本人が望んでいない方向にいってしまうことだってあるのだ。
コトバの受け取り方、受け止め方って
やっぱしそれぞれのキャラもあるって思うから
確かにネットって好きだし、やめられないのだけど
リアルをもっともっと
大切にしていかないといけないんじゃないのかな
そう思ったわけです。
ネットのつながりを否定とかではもちろんなくてね。
ヴァーチャルの世界というのはたぶんきっと
その人の心の中を反映したものだって思うのですよね。
そういうことをもうちょっと理解したほうが賢いのではないのかなって時々思ったりもします。
これまでたとえば掲示板とかに書き込んだり
携帯サイトで頻繁に更新していたものを
Blogという形式に移したのだけど
本来BlogというのはWEB2.0で代表されるように
トラックバックができたり、コメントをつけたり返したりで
mixiなんかの新たなコミュニケーションとなる前段階というか
プロトタイプとでもいうのかな。
そんな新たなコミュニケーションの確立というものがある一方で
「うちは昔からこうなんだよ、べらんめぇ!」
ってかんじでトラバもコメントも受け付けていない(笑)
もうかれこれ5年以上前のこと。
友人と話をしていたらいつものようにWEBの話になった。
あたしもWEB関連の仕事をしていたことがあったのだけど
独学だったのもあって
その友人はプログラマさんだってことも手伝って
いろいろと教えてもらうことが多かった。
そんな折、こんなことをきかれた。
「xx君の日記、読んだことある?」
そのときにこう話していたのが印象的だった。
「人の日記って、読むの好きなんだよね。
それっておかしいのかなぁ...」
Blogっていってみたら公然の覗きみたいなもんなんだよな、
って思ったりもする。
それがmixi日記ともなるとなおさらだ。
「最終ログイン○時間前」
っていう例のアレw
足跡機能とか窮屈すぎて仕方ないから一切見ない(笑
誰かのところを見ても足跡はもちろんつくので
それもなんか嫌だな、とか思ってるうちにどこにもいかないで
「mixiヒキコモリ」になってしまった(笑)
別に秘密主義とかなんかじゃないのだけどさ。
さらに友達、知り合い含めて
「下手に自分を知ってる」という人ばかりなので
悪いことがあそこでは書けない(笑)
コメントのやりとりがめんどくさいのは実際かなりあったりする。
だけどまぁ本当に友達ならば連絡とらなくたってmixiやめたって友達は友達。
それがヴァーチャルなつきあいか、リアルのつきあいかの違いだって思う。
だけどmixiをやってるってだけで
変に知ってる誰かの目に自分が触れることに神経質になったり不安になったり
自分に振り回されているあの感じがどうも苦手。
そこまで誰も自分に興味がないことはわかっているけど
気を抜いた状態で見られたくないというか(笑)
コメントされたら返さなくてはいけないのではないか、とか
ああいう「いいひとにならなきゃダメ」なかんじの「義務感」みたいなものがとっても嫌なのですよね。
ってふうに2004年からずーーーーーっといってますね(笑)
あたし、悪い人ですからw
ちょっと前、これは実は「釣り」だったことがわかったけど
mixiで日記を読みつつ素通り(読み逃げ)することが許せないというものが
OK Webで書かれて春頃に話題になった。
⇒ mixi 読み逃げ で検索w
(関連というか解説?)
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20070329/p1
何が話題になったかといえば
「素通り論」
ともいうべきか
日記の読み逃げはずるいという、その最終的には「釣り」であったこの質問(今は削除されていますが)
賛否両論だったのだけど
「読み逃げはひどい」
という人が結構いたらしいですね。
うちは読み逃げ大歓迎www
(ただしいつも文章が長いので全部読めればですがw)
日常の人間関係とネットの人間関係。
これまでのあたしはネットと日常をごちゃまぜにしていたのだけど
mixiをほぼリアル友達だけで固めるようにしたのは
バーチャルとリアルを一緒にしようかと思いはじめたから。
そもそもあたしは不器用だから
たとえばバーチャルで嫌な気分になったとしたら
リアルでもそれを引きずるだろう。
だけどヴァーチャルの人間関係はバーチャルでしかない。
会社の同僚と遊び友達の付き合いの違いみたいなもの。
もちろん会社の同僚と遊び友達が同じ人もいるだろうけど。
逆に遊び友達に対して
「コノ人は友達として出会ったからよかったけど
上司だったら嫌なタイプだろうし嫌っていただろうな」
という人も少なからずいる。
だけどバーチャルの場合、
たとえIMで話してたとしても「想像」でしかなくて
その人の話し方、目線、声、表情...
そういういろいろを感じながら、
心を感じないと寂しいなと思う。
あたしの中でバーチャルとリアルの統合が数年前から始まった。
基本的にあたしはWEB上の馴れ合いが好きなほうではない。
しかしリアルのあたしはかなり甘えたりするし、相当なアホです(笑)
Blogでは手厳しいことや辛辣な発言をかなりしてしまうのだけど
さらに、はにかみ王子ならぬハニカミ女王様でもあります(笑)
コメントつけたり返したりがめんどうとまではいかなくても
mixiだと「いい顔の自分」ばかり見せようとしてしまうきらいがあるので
そういう自分がとても嫌だったのが一番ある。
「あたし、本当はそんないい人なんかじゃないんだよ!」
ということはリアル友達はきっと
「何をいまさら(´Д`;)」って思うのだろうケド(w
要は見栄っ張りな部分がでてしまうんですよねw
つい先日、
「mixi最近荒れてるからblogに移行させるね」
と友人からメールがきた。
mixiが18歳以下は禁止というのも
法律がらみで建前でそうしてるだけってかんじが強くて
実際、あたしのとなりに中学生の少年が住んでいるのだけど
電話か何かで
「mixiにそれ書いてあったよ」
とかって友達と話していた声が聞こえた。
高校生だけでなく中学生も実際は結構利用してるのだろうって思う。
SNS統計サイト
http://sns.satoru.net/
によれば本日16時現在の会員数が
11978540人らしい。
ここまで増えてしまっては会員制の意味がないだろう。
だけどあくまでも「18歳以上:招待制」であるのにギモンを感じてならない。
ネットのモラルを小中学生とかにとはいうけど
おそらくは親がネットやパソコンに慣れていないことも多くて
子供のほうが飲み込みが早いこともあるから
親のほうがむしろ最初にモラルを学んだほうがいいのではと思うことも多い。
Technoratiによる調査では全世界で7000万以上あるブログのうち、37%は日本語ブログだといいます。
あたしがBlogを書くのは
mixi日記だとどうしても(mixiにFeedをリンクさせていないのは)
「いい人」になろうとしてしまう見栄を張るクセがあって
それが自分を締め上げてる窮屈さを感じてしまう。
あとデザイン面は相当大きくて
SNSみたいな画一化されたデザインの中に
自分の文章を埋め込むという作業が、これまた窮屈になってしまうのだよね。
Blog形式でだとマイペースに自分を表現できる。
mixiだと監視されてる感覚がかなりあるので、あの束縛感がまた苦手なのもある。
Blogなら情報を発信することもあれば
日記のようなときもあったり
写真もmixiよりも多く乗せれたり自由度が高い。
要するに自分を表現するツールがBlogなんだということ。
メモみたいに自分の頭にあることをサクっと書き留める感覚のときから
自分が思うことを書いているうちに自分がやりたかった方向がわかってきたりもする。
だからBlogを書き続ける。
ここを読むのはリアルのあたしを知らないmixiの友達以外の人もいるだろうけどね。
自分からWEBに発信した「コトバ」は
それを受け止めた人の心のフィルターを通して受け止められる。
その中で共感したり、それは違うと思ってみたり
Blogのコトバを読んだ人はその人のフィルターや価値観で物事を判断するので
極端な話、受け止め方でどうとでもとれるようになっている(笑)
だけどそういうこと(いわゆる仮想現実世界であること)をよくわからない人が反発コメントしたりするうちに
ブログが炎上してしまうケースが最近多い。
ブログ炎上に拍車をかけるのが「言葉狩り」だって思う。
揚げ足取るような発言だったりとか、
そういうことをする人の神経を疑う。
某巨大掲示板にしても荒れているときの多くが
揚げ足とったり言葉狩りが多かったり。
本筋や核心部分から外れてそういう方面ばかりいってしまうようなことが多いのだろう。
物事の本質からかけ離れてしまって
発信する側も、その内容にある程度の言葉を求めていた人たちの気持ちとは
そぐわない方向にいくケースがそういうときは多い気がする。
あくまでもBlogを書く人のフィルターを通しての文章があることを
さらにいえば表現した言葉が実際のその人のコトバとして派生したものではない(ようするに話す場合と書くのでは違うという意味)
それがわかってない人が多すぎるのだと思う。
そのような揚げ足をとったり言葉狩りをするようなタイプの人間があたしはどうも苦手でならない。
さらにいえばモチロン読み手もさまざまなので
各々個人のフィルターを通して文章を読んでいる事実をわかっていない人が思いのほか多い。
こういう温度差がこの数年、Blogの広がりとともに増えてきてるのではないかと思う。
コトバは生き物だから
一人歩きをする。
それは本人が望んでいない方向にいってしまうことだってあるのだ。
コトバの受け取り方、受け止め方って
やっぱしそれぞれのキャラもあるって思うから
確かにネットって好きだし、やめられないのだけど
リアルをもっともっと
大切にしていかないといけないんじゃないのかな
そう思ったわけです。
ネットのつながりを否定とかではもちろんなくてね。
ヴァーチャルの世界というのはたぶんきっと
その人の心の中を反映したものだって思うのですよね。
そういうことをもうちょっと理解したほうが賢いのではないのかなって時々思ったりもします。
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