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最近精神的霊的な内容ばかり書いていますね(笑)
今回もそういう内容がちょっとだけでてきます。
以前スピリチュアルと宗教の共通点で
こんなことを書きました。
<スピリチュアルがはやっているのは確かにストレス社会であることはいえるのだけど
それよりももっと「今を生きていくための救い」を人々が求め始めているのではないだろうか。
あふれかえった物質の世界に疲れ果てた結果、
流せずにいる涙を精神世界に求めているのかもしれない。>
マナーやモラルのない時代、とスピリチュアルも
本質的に実は関係すると思うし
食育とか、核家族化とかも以前書きましたが
そういうすべてが、
あたしの心の底辺ではみんなつながっているのだけど
説明がなんかうまくできなくて歯がゆいです...
表現するのって難しいですね(笑)
今回もうまく表現できないかもしれないけど、察してください(笑)
今は「物質の時代」だからこそ「精神的な何か」を求めるのは
むしろ人間の本能的な防御反応のような気がしてならないんです。
さきほどの一文で
<「今を生きていくための救い」を人々が求め始めているのではないだろうか。>
としましたが、もっといってしまえば「信仰」を求めている気がします。
「生きるために信じられる何か」
を探しているとでもいうのでしょうか。
信仰というよりか「信じられる何か」を求めてるかんじですね。
以前のブログにもよく書いていたのですが
人間は「不確かな存在」だからこそ何か信じることを求めるのだって思うのですよ。
つきつめれば
「何かを信じることで安心感を得て生きる」
とでもいうのかな。
人間は不確かだからこそ、信じることを通じて、
「自分が今、ここに、存在している」
という、確信であり安心感を得たいのだって思うんですね。
潜在的にあるであろう「生きててもいいんだよね?」っていうことへの答えみたいなものだって思うのです。
余談ですが心理学的なことをいえば母親の胎内にいるときに安心感を得ますが
胎内から世の中に出るとその安心感はなくなるわけですから
不安になって赤ちゃんは泣く、ともいわれています。
だから「生きてていいんだ」という気持ちは
ネグレクト(育児放棄)を含む虐待などによりその安心が得られないため
虐待で心に傷を負うと「自分」という存在はますます不確かになると思います。
ヒーリングは「心」を癒します。
スピリチュアルの世界は「魂」を癒します。
ヒーリングとスピリチュアルの大きな違いは
MindとSpiritの違い、だってあたしは思うんです。
というか今のスピリチュアルの場合は特に、
心も魂も、というかんじかな。
生きていくには、心とカラダのバランスだけでない、
心と魂とカラダのバランスが大切なんです。
今は信じられるものがない時代です。
食の安全にしても然り、年金問題とかは今後生きていくためのお金だものね。
医療事故にしても多いからこそセカンドオピニオンを求める人が多く出てきたわけだし、
何かの宣伝じゃないけど「安心はタダでない」ということが身にしみて感じる人が増えてきたわけです。
そっちの話をつきつめてしていくと国債の問題にまでなってしまうから今回はやめておきます(笑)
だけど国が無駄な出費を繰り返す体質のため
赤字を背負い込んだことは国を破滅に追いやることと同じだって思います。
予算をたてる時点で官と民には根本的な隔たりがあるわけです。
それは今でも同じこと。
官の体質が変わらない限り結局は何も変えられません。
夕張のように市が財政破綻するだなんて
10年前は考えたでしょうか?
国の「集団的無責任」と「利己主義の時代」というのは
あたしには、ほぼイコールのような気がしてなりません。
...政治と経済と哲学(と地震w)の話はつきませんね(笑;)
要するに信じられるものが人間だけでなく社会を見渡してみても
ほとんどなくなってきてしまったといいたいわけです。
物質的なもの、目で見えるものが(食にしてもお金にしても)
信じられなくなった時代になってきたため
カタチあるものへの信仰が薄らいできたのかもしれません。
本当に大切なものが何なのか知りたくなってきた、
いや、むしろ、情報もモノもあふれすぎたため
大切なものがわからなくて逆に不安な人が増えているのかなって思います。
それは資本主義という「物質世界」の副産物のような気がしてなりません。
そしてまた、逆に言えば、ある程度生活に苦労していないからこそ余計、
何かをさまよって求めているのだろうって思います。
先日テレビでブータンの難民キャンプについて放映されていました。
「とりあえず食べていけるし住むところもある、
だけど何かが足りない」
彼らの場合は国の場所的に宗教問題があります。
インドと中国という大国に挟まれた国に生まれた人たちの苦悩は
あたしたち日本人にはわかろうとしても難しい部分はたくさんあります。
一部のヒンズー教徒は差別され、チベット仏教がメインの国というわけです。
日本は無宗教の人間が多いですよね。
そしてまたあたしも特定の宗教を持ちません。
もちろん宗教以外にも信じること、もの、対象はいろいろあります。
さきほどいったように「何かの対象を信じる」ということで自分の中に安心感が生まれます。
この典型が宗教なのでしょう。
ブータンの例ではこのように「難民問題」や「宗教問題」などの苦悩があります。
こういう問題をかかえる国に生まれてしまったのは
ある意味「運命」というよりむしろ「宿命」ともとれるのかもしれません。
「苦悩」があるからこそ宗教が存在するのかもしれません。
しかし苦悩を救うためであるはずの宗教が逆に苦悩の原因になっているという矛盾。
あたしが特定の宗教をもたない理由はそういうところ(宗派の対立などの幹部間の利権問題)にあるのですけどね。
物質的には豊かな日本という国に生まれ育つと宗教的苦悩を知る由がないのでしょう。
しかし物質的に豊かでも精神的にはどれだけ豊かなのだろう、
そういうギモンを持つ人が多くなったのは
いわゆるベタな表現をすれば「日本の安全神話崩壊」といったところからきたものだろうと思います。
そんなこんながスピリチュアルブームのバックボーンだって個人的には思うのですが、
だけどなんでここまでスピリチュアルがはやるのでしょう?
これがたとえば10年前だったら、オ○ムの事件があったりして
胡散臭がられたでしょう。
少なくともあたしがヒーリングを始めて
スピリチュアルの世界に足を踏み入れた2002年の時点では
胡散臭いというふうな見方をされていましたよ?
マスコミの影響って本当大きいんだって思いましたね。
スピリチュアルに縁がないだろうっていう人が
平気で「魂」とか「オーラ」って言葉を使っているのを見聞きすると
ぶっちゃけちょっとゾッとしたりします(笑)
たぶんこの人何もわかってないんだろうな〜と思いつつもね。
というか心や魂という目に見えないものを扱う世界なので
あたしもわかったつもりになっているだけなのかもしれませんけどね。
だからこそ日々勉強、です。
たとえば親が生まれてきた子供を殺してしまったり
子供が親を「怒られた」という理由で殺してしまったり
これは親子関係の希薄さを物語っています。
親子関係の希薄さは人間関係の希薄さといえます。
先日も近所の商店街を歩いているとオバちゃんたちが大声で立ち話。
「○○さんのおばーちゃん、なくなってたみたいよ?」
「え、いつ?」
「一週間前、なんかもっと前に亡くなっていて、腐って融けていたんですって」
という会話が日常会話レベルに行われているのは異常なのか日常なのか。
近所づきあいも希薄になってきた現れの孤独死。
孤独死の問題は阪神淡路大震災の後の仮設住宅で問題になり、
今は東京の多摩センターでの団地での孤独死問題もありますが
(団地の上に一人で高齢者が住んでいるといろいろ問題があるわけです)
今後の高齢化社会で孤独死は深刻な社会問題にもっとなっていくだろうと思います。
何度もこちらで書いていますが、こういうとき核家族化の問題をすぐさま思うのですが
現在は核家族どころか「個人」いや「自己」の時代に突入したわけですよね。
「自己」の時代は、さきほども少し書いたけど集団的無責任ともとれるとあたしは思うのですよ。
子供の誘拐殺人事件にしても孤独死にしても地域ネットワークの薄さが指摘されていますよね。
地域で子供を守ろう、などという動きがある中
親子の関係すら希薄になっているのは
最初のうちは
「個の時代特有だな」と思ったりしていましたが
以前書いたけど
”個人主義といいつつ実際には
「利己主義な人間」
が、かなり前から増えてきている”
って思うんだ。
そして自分もお世話になっているから非常にいいにくいのだけど
「個別化」に拍車をかけているのがネットと携帯文化なんだって思う。
(ついでにいえばゲームもそうだと思います。)
ネットという「個」、携帯という「個」
仮想という意味で、ネットや携帯上で誰かと触れ合っていて
そのときは連帯感を得ていても、結局は
「自分の作り上げた世界の中の一人」
という位置づけなのじゃないかって思います。
掲示板なんかで「匿名」な人が目立つのも「責任逃れ」「無責任」の象徴ですよね。
国の集団的無責任は己の時代を作り出している、のか、
その逆なのか、
それは結局どっちでも同じなんですけど、
あたしの中ではどうもこの二つがリンクしてならないわけなんですよね。
誰かと向き合って「対話」をし、感じて、それをまたぶつける、
そういうことが今はなかなかできにくくなってきました。
「異常気象」だと騒いでいても
それは今異常でなくなってきている。
日常になりつつある「異常」。
自然のことは結局、一人一人が根気よく環境を守らなければ地球全体を守れないわけですよね(つまり企業の取り組みが必要ですよね)
親子関係のほうは広くないけど根深い問題だったりもします。
人間関係は心の問題なわけなので
自分の心を変えていけばいつかは必ずわかる日がくる、と思うんですよ。
いや、そう思いたいです(笑)
でもそこで注意すべきなのが
あくまでも、変えるのは「自分の心」であるということです。
決して誰かを変えようとしてはいけない。
要するに誰かをコントロールしたり、支配しようとすると
その報いは必ず自分にいつか返ってくるものです。
誰かを支配したりとか、コントロールしたりとか、
そういうことをする前に
自分の心を変えていくことのほうが
遠回りだけど、人間として本質的に大切だって思うの。
他者をコントロールや支配するという場合には
しっかり自分の心をコントロールできる人がやらないと
舵がとれなくなってしまうって思います。
実際にはそれすら理想論でしかないのかなという気がしてなりませんが。
誰も信じられなくなったような悲しい時代。
モノが信じられなくなった物質の時代。
何かひとつでも、と「信じられること」を求めている気がしてなりません。
もしかしたらこんなこと書いているあたしが一番そうなのだろうなとも思います。
「信仰」「信じること」ってさ、
結局は「自分の心の居場所」なんだよね。
自分の居場所って、自分の心の中に、本当は誰でもあるもの。
「自分の中心」に心の居場所をしっかり作れるような人間になりたいです。
カントとよく比較されるフィヒテのコトバに
「真の永続的恋愛は、尊敬というものがなければ成立しない」
という言葉があります。
これは結婚式のスピーチとかでよく話されるようですが
あたしはこれは恋愛や結婚に限ったコトバだとは思っていません。
親子関係も、親を尊敬する、子を尊重するっていう
そういう関係性が崩れてしまうと「成立」しにくいのかなって
最近のニュースを見てはよく思うんです。
「己(「個」ではなく利己主義の「己」)の時代」」
とあたしがいうのは
相手を尊重する、敬うという基本的姿勢の希薄さだって思うのです。
先日ちょっと書いた「礼節」とも関係してきます。
敬うのは人間だけじゃなく、自然界とか、
目に見えるものでなくて全てのものですよ。
大きな意味で「感謝」ともとれますね。
感謝の気持ちをわからない人に命の尊さなんてわかるはずもないでしょう。
感謝や尊敬は確かに目に見えないものだけど
目に見えないものの中にこそ大切なことって実は多いのだって思うし、
目に見えるものだけが全てではないのです。
どうやらまたえらそうなこと書きすぎました、エヘ(笑)
だけどまた書いていくって思いますww
父親はもうすぐ定年を迎えます。
いわゆる団塊の世代なんでねw
これまでずっと働いて支えてくれてありがとう
という気持ちと父の日もかねて
ちょっとフンパツしちゃった〜wといって
父親が生まれた年にできたお酒をプレゼントしました。
ま、実際カード払いですが何かw
誕生日とかに年代別ワインのプレゼント、
お酒好きな人にはピッタリだよね。
年代別のお酒一覧
ブログ用にお酒を撮影しようとしたんだけど
どこかにしまいこんでしまったみたいです(笑)
「あんがと、あんがと」
とテレながらいっていました。
しばらくして父親が近くの百貨店に自転車でいって
「オマエ、わらび餅大好きだよな、買ってきてやったぞw」
といってきました。
「別にわらび餅食べたくてお酒あげたんじゃないのに」
といいつつわらび餅みんな食べました(笑)
食べたら食べたで
「オマエ、ソレ、食いすぎwww」
といわれましたw
でもまーよろこんでもらえて何よりですわw
こーゆー日じゃないと
なかなかテレくさくて感謝とかありがとうなんて
あんまし言えないからねw
核心に迫った第二弾w
っていうかんじですねw
ここでしばしばテーマにし、書いていることなのだけど
今のスピリチュアルブームと宗教っていうものを一部混同させて、
そのまま宗教勧誘にもっていくケースが多いのではないか
ということが今回のお題。
今日の朝、とある大きい宗教関連団体が
小冊子をポストにいれていった。
あたしはそれを読んだからといって
そこの信者になることは確実にないという自信があったのでそれを軽く読んでみた。
あたしはかつてクリスチャンスクール(プロテスタント)に通っていて毎日礼拝があって
聖書も毎日読んでいました。
しかし、聖書だの牧師さんの説教にもツッコミいれまくっていたという
あたしのこの心の腐りよう(笑)
要するに常にギモンを抱いているタイプの人間なのだけど
常に疑いを何にでもかけてしまうという悪い癖でもありますねw
その宗教関連団体の冊子には以下のコトバが連呼されていた。
「魂」「オーラ」「カルマ」「天使」「因果」「輪廻」のコトバ。
まさしく典型、である。
信者の方々の写真があったりした。
彼らはなぜか独特の笑顔に思える。
心からの笑顔ではないように思えるのはあたしがひねくれてるからかもしれないけど
かといって営業スマイルでもない独特の「微笑み^^」
「笑顔と赦し」の関係はまた機会があったら書きます。
あたしは基本的にアキっぽいし、虫のいい人間なので
これまで宗教論や哲学、ヒーリング、スピリチュアル、心理学、社会学、精神分析、精神医学と
さまざまな世界を「かいつまんで」きた。
ひとつの世界にどっぷり浸るのもいいけど
あたしはいろんなことを知識として貪欲に吸収していきたいし
それらをいずれ智慧に変えていければいいナと思っている
(それがうまくいかないのだw)
自分では現在、これが「正義」だ。
クリシュナ・ムルティは「あなたが世界だ」といったけど
(Vol.45 ヒプノセラピー参照)
他人からみてたとえ
「あの人はいろんなものが中途半端だよねw」
と思ったにしても、確かにそれは事実なんだけど(笑)
あくまでもあたしはそのやり方で通しているのは
あたしにとってこれが正しいし必要性もあるし、あっていると思うからだ。
そして宗教にハマる人というのもこれもまた自分にとっては「正義」。
いくら他人がマインドコントロールされているとその人以外のすべてが思ったにせよ
その人にとっては正義なのだ。
その入ってきた宗教冊子は「正義」が散りばめられていた。
それをかいつまんでいうとこんなことがかいてある。
(ひらがなもふってあったので小さい子にも読めるようにしたのでしょう)
「総理大臣や大統領は光の天使ではない」
↓
「ナチスドイツでガス室にいれられたのは特に悪いことをしたわけではない」
↓
「キリストも十字架にかけられた犯罪人になってしまう」
↓
この世の中はよい行いをしたからといってよいことがおきるわけではない。
といってむすんでいる。
となるとどうか。
そこで「来世」についてでてくるのだ。
「過去世での修行や行いが現世に展開されている」
「現世ではカルマがのこってその宿題が来世に持ち越される。」
確かにそうだ、というか、そういうことになっている。
さっきまでキリストは救世主だと話していたのに
いつのまにか親鸞の三世因果について話が摩り替わっている。
これじゃツッコミ入れてくださいよ〜っていわれてるかんじじゃないすか(笑)
これについては因果経に
「前世の因を知らんと欲すれば其の現在の果をみよ、後世の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
と記されている。
過去やったことが今のいわゆる業(いわゆるカルマの)で今やっている行いが来世につながっていくのだよということなんですがね。
この冊子では解釈の仕方がちょっと違うようで。
そもそも
「この世の中はよい行いをしたからといってよいことがおきるわけではない。」
という考え方自体があたしにとっては「正義」ではないのだ。
キツイ言い方をすればそれらは逃避にしか見えないのだ。
たとえばそれがカースト制度とかの自由のない身分関係のものだったり
そういう変えられない運命的なものがあればそういった宗教の必要性もわかる。
それをいうとあたしなりの宗教論になってしまうので
ここでは検索されたりで、書きにくそうなので書かないけど
「過去世での修行や行いが現世に展開されているから、
現世でこんな状況なのは仕方ないから来世に期待をかけよう」的な思考は
あたしの中では少なくとも一切持ち合わせないのは確かだ。
そしてそのあたりがスピリチュアルと宗教の大きな違いでもあるのではって思うんだよね。
スピリチュアルはそもそもアニミズムに限りなく近いと思うのだ。
スピリチュアルの世界だと、過去世という考えはでてくるけど
来世に対する考えは目にしたことがこれまであたしはない。
おそらくスピリチュアルの世界っていうのは
過去世からのカルマを現世で癒して、生きている間は魂を成長していく
という考えに基づくのだからだと思う。
だって今、生きているんだもん、今を楽しまないとって思うよ。
だけどそこの宗教の祖がいうには、そういうものは「エゴ」にすぎないといっているようなのだ。
ちょっと考えればエゴというコトバの用い方がなんだかおかしいことに気づくはずだ。
しかし心迷える人たちは、おそらくそれすらも気づかず
何かにすがってしまいたい気持ちでいっぱいだろう。
ここでフロイトやユングの話はあえてしないけど、
人間は生きている限り「エゴ」は必ずあるものだ。
それはモチロン決して悪いことなんかではなく、
人間としてイデア界に実存している証だ。
もっといえばエゴ(自我)があるからこそ自らが存在しうるわけだし、
ゆえに哲学が、形而上学が存在しうるのだと思う。
(ちなみにトマス・イクイナスが存在論を形而上学の基礎に構成した)
〜私は思う。ゆえに私は存在する〜
(Cogito, ergo sum. ; Je pense, donc je suis.)
などは哲学を知らなくても聞いたことがあるくらいに有名な
デカルトのコトバだ。
...というか哲学の話をしだすと暴走しそうなのでやめときますが(笑)
自我は自分そのものの意識だ。
そしてイドという無意識の部分、いわゆる本能的欲求の部分があって、
スーパーエゴ(超自我)とよばれる、倫理的な善行を伝えるもの(殺人はいけないとか)
そういう3つがうまくバランスをとりながら、時には葛藤しつつ生きている。
ちなみにスピリチュアルでいうところのハイヤーセルフや天使の存在、魂という言葉は
おそらくは、わかりやすくいえばスーパーエゴの認識に近くて
さらにそれを越えた自己拡大意識といったところか。
考えてみてほしい。
そもそもエゴ、いわゆる自我を無くした状態こそが
マインドコントロールにほかならないのではないか。
この教祖様は「エゴはよろしくない」とおっしゃられてるらしく
いったい何を自分からいっておられるのかと、
もしやご乱心だったのかと(笑)
ひねくれ者のあたしはこう思うんですよね(笑)
自分が生きて自分の心を自分でコントロールしている限り
それはエゴであるわけで、
誰かにコントロールされている状況というのはエゴを失った状態であり、
マインドコントロールなわけですよね。
そもそも煩悩を捨て去ることとエゴを捨て去るというものはまったく違うもの。
煩悩とは自分を苦しみ悩ませる、智慧を妨げる心をさすわけだから、
あたしなんて煩悩オンリーですよ(笑)
その冊子には三世因果(仏教でいう過去世、現在世、未来世の因)について
「もっともらしく」かかれていたり
浄土真宗がでてきたと思えばキリストの教えがでてきたり、
かと思えば政治の話がでてきたり
哲学の話が出てきたり。。。
あたしも確かにそういう中途半端な人間ですけど(笑)
だからなおさら思うのだけど
「それにしても中途半端な宗教だよなw」ってね。
もしどんなにそれがいい教えだったとしても、
その教えを「聖典」や「聖なる書」にしてしまった時点で
その教えは息をしていないとあたしは考えています。
なぜならば現在の世界状況を見ても明らかなように
純粋な信者とそれの政権を握った人たち(幹部など)の間では
かなりの温度差があるのではないのでしょうか。
その時点で、どんなにいい教えもその機能を果たしていないのだと思ってしまうのですよね。
苦しいから、悲しいからこそ生きているって感じるんですよ。
苦しみや悲しみを知らない人には喜びや楽しさはわからないって思います。
時に絶望を味わったとしても、
だからこそ喜びを味わえるというのは
病気をしてみて初めて健康のありがたみがわかるのと同じだと思うのです。
初めて健康の大切さとか感謝の気持ちをいっそう強く実感できるのです。
そして、あらゆる宗教の教えというものは
愛について説かれていたりしますが
愛なんて誰に教わるものでなく
(心理学的にいえば母親から教わるわけなのですが)
幸せの定義だなんて誰にきめられたものでもなく
自分の中の経験と智恵から得られるものでもあると思うんです。
誰かとの共有体験じゃないのか!と思うだろうケド
誰か、の本当の気持ちはその「誰か」しか知りえません。
自分という意識が感じる誰か、でしかないと思うのです。
遠まわしに「愛なんて結局幻想よね〜w」
っていってるように聴こえますかw
いや、愛は自分の中に誰にでも備わっていて(いわゆるスーパーエゴみたいなもの)
それをさまざまな経験をもって感じたこと(いわゆるエゴ)
を栄養にしながら育てていくものじゃないかってことをいいたいわけです。
神の存在についての是非やスピリチュアルの世界でよくいわれている「天使の存在」もだけど
人間固有がそれぞれもちあわせるアーキタイプとか元型っていわれる存在だって思うのですよね。
まぁ色気も味気も夢もない表現ですがw
あたしは誰かに与えられた定義より
自分を見つめて、自分なりの経験や智恵をもって
一生かかって愛とか幸せとか豊かさを
その時々にカスタマイズしながら作りあげて生きたいって思います。
愛も幸せも豊かさも真理も、
生きている人の数だけあるものだって個人的にとても思うんだよね。
あたしにとってスピリチュアルもヒーリングも、
そういうものを作り上げるためのツールでしかないのです。
豊かな人生を送るための手段であって目的ではないのです。
あたしはそのツールとして選んだのがたまたまスピリチュアルやヒーリングであったってだけであって
何を用いてその人が幸せになるかというのは
個性とか性質とか、その人それぞれだって思います。
そんなふうにスピリチュアルと宗教というのは極めて似た部分(コトバ)を持つのは確かなんだけど
少し興味を持ってスピリチュアルを調べていけばそれらはまったく違うことがわかるはずなのだよね。
しかし某テレビ番組などの影響などもあって
魂とかオーラとかカルマとか、
そういうコトバだけが走ってしまっている気がしてならない。
あたしはそれにすごく危険性を以前から感じている
(よってその番組は見たことが一度しかない)
おそらくはヒーリングとスピリチュアルの違いすらわからない人も多いのではないだろうか。
今、霊感占いといっては宗教にもっていく、いわゆる霊感商法が去年から多発しているそうだ。
たしかにこれは自己責任とはいえ、マスコミが魂だ、オーラだカルマだと煽った功罪は大きい。
しかし、それ以上に何かにすがりたいがために
自分の全てをそういう方面(スピリチュアル)にもっていくことの危うさをも秘めていると思うのだ。
なぜそのような番組がはやるかといえば、
やはり誰にも相談できず、もしくは相談しても解決できず
悩んで苦しむ人やストレスを抱え込んでいる人が実に多いからだと思うのだ。
スピリチュアルにハマりすぎるのもグラウディング、
要するに地に足をつけられない状態っていう、それもまたある意味危険なのだけど。
(だって「現実界」に生きているわけだからね)
現実、現世に生きている以上、
それは日常生活を伴うものだし、
息抜きとしてのスピリチュアルやヒーリングならばいいのだけど、
実際問題生きていればムカつく、ウザいことだってたくさんあるし
逃げたいくらいに悲しいことや苦しいこともたくさんある。
そこをどう生きていくか、乗り越えていくか、というのが
まさに智恵であったりするのだと思うのですが
そういう状況に直面したとき、
自分がどう受け止めて、どのように自分の心とうまくつきあって
状況を脱しどうやってよりよく生きていくか、
そういうのはやはり
「経験や知識をベースにするもの」
ってあたしは思うんだ。
失敗をするからこそ、苦い思いを幾度となく経験して
次回はこうならないように、
じゃ、次のプロセスではどうすべきなのか考えよう、
...とよくしていくことを考えるわけだ。
要するに失敗を繰り返さない限り成功は決してありえないわけで
なんだかどこかの成功哲学の本みたいな偉そうなことをいってますが(笑)
逆に言えばあたしのMy哲学からいえば人生に成功っていうのはないんだよ。
以前も「勝ち組」「負け組」ってコトバ(競争社会)がイヤだと書きました。
だって成長のペースっていうのは人それぞれだから
勝ち負けを早くつけようとするのはどう考えてもおかしいと思うんだ。
勝ち組と世間からいわれてた人が必ずしも
「内なる幸せや豊かさ」(←これもスピリチュアルの世界でよく使われるw)を感じているとは限らないだろう。
「成功したから自分は勝ち」と思ったら
その人の成長はそこでもうおしまいだと思うのだ。
あたしも大学に受かったとたん勉強手抜きしまくったもん(爆)
今になってもっとマジメにしてればこんなアホにならなかったって思っていますよ(苦笑)
要するに、ここまではやってこれたけど自分の成功はまだまだ先だって思って自分を追いかけていく人こそ
真の意味で豊かであり幸福なんだと思うのだけど、
どうだろう。
要するに日々精進すべきなんですよ。
何よりもそういう向上心が生きていくうえで、
生きがいっていう意味でもっとも大切なんだって思います。
それは介護をやっている今現在祖母をみていてすごく実感しています。
介護に携わるうちに人生の生きがいというものについてすごく考える機会が増えました。
失敗があるからこそ成功を目指して向上しようとできるのだよね。
ゆえに智慧というのはこれまで自分が生きてきた証のデータベースなんだろうなと思うようになりました。
今スピリチュアルが確かにはやっています。
数年前までヒーリングブームで「癒されること」に重きをおいていたのが
誰かを「癒したい」人というのも増えてきた気がします。
マクロビオティックがはやったりレイキをやる人も少しずつ増えてきたり
日本は日本に戻ろうとしてるのかなって最近よく思います。
いわば免疫力みたいなものですね。
そしてそのスピリチュアルの延長という感覚なのか
古神道も注目されはじめたりしています。
中でも注目を集めているのは岡本天明氏の自動書記によるといわれている
日月神示(ひつきしんじ)。
たとえばマナーがなっていなかったり、
人に迷惑をかけていることすらわからずにいるという
「感覚が鈍ってる人」が多すぎるよね。
自分勝手な人が多いとはいうけど、
あたしからいわせたら個人主義と利己主義を履き違えている人が目に余るほどいる気がします。
日本が美徳としていたものは、そもそもは礼節だったのではないかと思うの。
スピリチュアルがはやっているのは確かにストレス社会であることはいえるのだけど
それよりももっと「今を生きていくための救い」を人々が求め始めているのではないだろうか。
あふれかえった物質の世界に疲れ果てた結果、
流せずにいる涙を精神世界に求めているのかもしれない。
そんなわけで日月神示云々や宗教抜きとかでも
もっと日本はあるべき日本の姿に戻るべきなんだって思います。
いや、今話題の「美しい国日本」とかいってる人にはまずムリかと思われますがw
一人一人の思いやりと感謝とが大切ですよね。
以下「日月神示」より抜粋しました。
友人に教えてもらったサイトにあったのですが
もし興味があれば長いですが読んでみるのもいいと思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161030.htm
目の前のおかげではなく永遠の立場から良くなるおかげがマコトの
おかげ。
天国を動かす力は地獄であり、光明を動かす力は暗黒である。
地獄は天国あるが故であり、暗は光明あるが故である。
因が果にうつり、呼が吸となりゆく道理に於いて歓喜は更に歓喜を
生ず。
その一方が反抗すれはするだけ他方が活動し。また強力に制しよう
とする。
この道は因縁なくては判らん難しい道であれど、この道貫かねば世
界は一平にならんのぢゃ。
縁ある人は勇んで行けるのぢゃ。
一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ。
元の神代に返すというのはたとえでないぞ。
穴の中に住まなならんことも出来るぞ、生の物食うて暮らさななら
んし臣民取り違いばかりしているぞ。
何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの欲ばかり言っていると
大変が出来るぞ。
官は潰され御分皆、火にかけられ灰となる。
東京・大井町駅より北方向(18時30分すぎ)

写真こそ真北方面ですが
今日も続いて西の空が赤かったです。
北西の空に集中して直線的な巻雲が大量に見えました。
..っていうかさ、今日も北西?!
今日も赤く焼けた異常な夕焼け?
...これってなんだかいや〜んなかんじです。
母親が来週末九州に旅行なんだよな...
写真をとりたかったけどビルの中だったこともあって赤い巻雲の空はとれませんでした(涙)
日本でも遠方でも何事も起こらないことを祈ります。
さて、備えあれば憂いなしってことで、
今日は防災グッズの紹介...
...にも通じますし、
雲の観測の上では欠かせない
あたしの必須アイテムのコンパス(方位磁石のほう)
今日ダイソーにいったんですが
こんなのあるんだね。
ホイッスルの左右側面に
それぞれ温度計、方位磁石が埋め込まれているの。
迷わず買いました★
↓の右側のホイッスルがそう。

もうね、方位磁石見るとニヤニヤがとまらない。
売り場で買うまでニコニコしまくってました(笑)
方位磁石を手に入れて、うれしくってたまらない(笑)
方位磁石だ〜〜〜〜い好き★w
しかも100円(税抜)だなんて!
精度のほどはわかりませんが
方位磁石はしっかりしてました。
持っているものと比較しても遜色ないです。
しかし温度計のメモリが微妙〜〜〜〜〜w
20度-30度っていうところに4つ線があるならば
2度ごとに刻んであるのね!
ってわかるんだけど
3つ線があるのよ。
要するに10度を3で割れ!とw
つまり1つのメモリが3.33333度ってわけであり
「メイドイン○国」なかんじがいいですねw
で「メイドイン○国」シリーズなわけじゃないんだけど
写真左はよくできてると感激!
あ、100円じゃないっすよっ!
1000円でもない!
もっと高いの!!

ライト
携帯充電
ラジオ
サイレン
...の1台4役をこなすものは結構出ていますよね。
それだけじゃない。
この商品は太陽で充電できるっつースグレモノだ、どうだっ★
しかも手巻き発電も可能、
電池も単4?を2本で使えます。
充電た○ごとか持っているんだけど
ぶっちゃけあれ、超使いにくいっす!
いざってときに使いこなしてなければ防災用品の意味がないって思うのよ。
で、何度か使ってみたけど手巻きしようものなら自分のほうが発電しそう(笑)
まさにセルフダイナモです(笑)
夏なら発汗間違いナシwww
しかしだ。
このソーラー充電器は使ってみたけどすごい。
充電た○ごの重さにくらべたら
若干大きいものの、軽いから持ち歩きもできるし。
ていうか、ええ、持ち歩きますが何か?w
ライト・携帯充電・ラジオ・サイレンの1台4役 太陽電池&手巻き発電ソーラー充電器
ラジオのスピーカー部分も大きいのですが
一人で聴けるようにイアホンもついています。
携帯の各メーカー(FOMAとか)の充電プラグも3つついています。
2,856円なんですよ、安い!
まぁあたしは送料込み1800円くらいで買ったのだけどw
でも調べたところ今はここのリンク先が一番安かったんだよ?
しかし、ライトは、うーん、イマイチかも。
どちらにしても個人的には両手が使えるタイプのヘッドライトをオススメしますね。
というかレイブいくときはたいていソレもってくね。
トイレとかいくのに暗いとき便利なんだもん。
夜間だと(山レイブに行くことが多いのだけど)
ぬかるみとかわかりにくいのもあって
両手が使えるヘッドランプってとっても便利でいいです。
安かろう悪かろうってよくありますが
このソーラー充電は間違いなく買い!でしたw
巻くときちょっと音がしますが(発電の)
それはまぁ太陽充電中心で考えればよいってことで。
こういうの使う機会がないほうがいいんだけどね。。
つーかんじでギアもの大好きれいあさんですが(笑)
お酒も大好きってわけでw
これもまた、いざってときの避難用?にしていますが
雲海物産の宮崎地鶏のささみくんせい。

これは宮崎の鶏が有名になる前から食べていたのだけど
酒の肴だけでなくダイエットにも!避難用にも!?
という感じで3本くらいいつも持ち歩いています(笑)
いつもコンビニで買うのですが
そのコンビニ以外で目にしたことがないので
ネットで買えるか調べたら上の画像がまさに買える物です。
燻製好きなあたしにはたまりませんw
スモークスモークぅ〜〜〜★
Vol.43 もしも地震雲だったら....(汗
このときの予測の結果が
vol.55 地震予知?
に書いたのですが
インドネシアのスマトラ島中西部パダン近郊の内陸部で
6日午前10時49分(日本時間同日午後零時49 分)ごろ、
強い地震があり、社会省当局者によれば、
少なくとも73人が死亡した。
100人以上が病院に運び込まれるなど、負傷者も数百人に達した。
地震の規模はマグニチュード(M)6.3で、
震源地はパダンの北北東50キロ、震源の深さは30キロ。
このときほどではないけど今日またスゴイ雲でした。
どこも被害が出なければいいのだけど。。
2月のときは放射状の雲でしたが今回はひたすら長い帯状の雲。
いつも方位磁石を持って出歩くのですが
北西が大変スゴイかんじでした。
北西〜北東にかけての空。
今日はおりしも新月。
次の満月のちょっと先を考えて
3週間以内に久々に大きいの(M6以上)がきたりして...
ありそうな方面はよくわかんないけど。
予想ね、あくまでも。
なぜ3週間以内かというと
昨年7月に同様の雲を見て
ちょうどそのくらいに大きいのがきたからです。
それ以上の根拠はありません。
ということで今日の五反田周辺の雲です。
スゴいのは18時台中心。
地震雲は科学的には否定されていますが個人的には信じています。
地震雲信者というよりか、
「あってもおかしくないよな」
というかんじですね。
地震雲がちゃんと予知できる時代になったら
被害も少なくなっていいのにって思うのだよね。
危機感を失わないためにも
妖しい雲をみるとこちらによくUpしています。
まぁ雲に萌えなのは事実ですがww
(臨場感?をだすために画像をサムネイルを使わず大きく掲載しています)
五反田駅東より南方向に高積雲↓(18時)

五反田駅歩道橋上より北西方向に高層雲と高積雲↓(18時15分)



五反田駅より北西方向に高層雲と高積雲↓(18時20分)

大崎広小路交差点より山手通り渋谷方面を望む↓(18時25分)

五反田TOCビル(商業センター)より南〜西方向に高積雲↓(18時30分)

五反田TOCビル(商業センター)より北〜東方向↓(18時30分)

自宅付近西方向↓(18時45分)

西の空に5つ並んだ巻雲(箒で掃いたような筋雲)自宅付近西方向↓(19時05分)

ものすごい断層状茜雲。自宅付近西方向↓(19時05分)


では14時台に同じ五反田周辺〜自宅でとった雲の写真も。









絵心(?)がないので、あと携帯カメラなので
うまく表現できずごめんなさい...
いい加減年中写真とるならしっかりしたデジカメがほしいです。
まぁその分カメラのせいにできなくなるわけですがw
このところ深発地震が多いです。
深発はあまり気にしなくてもよいと地震学者さんはいってるようですが
気になる感じですね。
深発地震のときって、同じ日に少しあけただけのタイミングで毎回おきていますね。
それ以前地震とソロモン王の関係?とか
4月の地震関連情報総まとめでも書いたのですが
4月1日なんかも東海道南方沖深さ405kmのところでM5.8が1分間隔で起きています。
日本付近の海底で何かが動いてるのでしょうか。
06/13 19:49八丈島近海(北緯33度23分 , 東経139度2分)震度1 M2.3 深さ206km
06/13 17:32駿河湾(北緯34度38分 , 東経138度27分)震度1 2.5 深さ236km
05/21 10:21父島近海北緯27度3分 , 東経141度09分)震度1 M4.7 深さ196km
05/21 07:19日本海中部(北緯37度53分 , 東経135度4分)震度1 M5.3 深さ374km
世界的にみて大きな地震はガテマラでM6.8の地震が13日にありました。
その前は中国で6月2日M6.0がありました。
(IRIS情報)
湘南のIKU氏によれば
石垣状の雲(たとえば五反田18時に南西方向にみたもの)
は遠地地震が多いようです。
石垣状の雲は、より遠方の地震を示すようで、「遠くの大きな地震を示す」と言われています。石垣状の雲詳細
帯雲系で、当地上空に同方向、同形状で出現するものに断層状雲、東西の帯雲と、もうひとつ
東北東ー西南西の赤焼け帯雲があります。
震源は、東海アマさんに教えて頂いた、南西諸島・台湾、と鹿島灘、北海道・東北などと
はるかその遠方の海外の複数の強い震源となります。
また、震源が近いとエアロゾルで空が汚れて見え、遠方だときれいに見える傾向があります。
帯雲系詳細
IKUさんところの説明で今日見た雲のついては
鈎型巻雲詳細
以下参考(今回は見てませんが茨城で今日放射状雲を見た人もおられるようです)
放射状雲その他の雲詳細
メールがなかなか届かないということも今日よくききますが
おそらくそれは水星逆行の影響と思うのは
あたしが占星術好きだからでしょうかw
ロシアの地震予知も気になりますね
関東にM5-6クラスの予報がありますね。(6/15-6/17)
個人的には本州以外を濃く考えていますが
そればかりはわからないからねw
ということで防災チェックは忘れずに。
(参考)昨年7月2日に何気なく空を見たらびっくりして写真をとったもの↓@神奈川

コレ以来地震雲の観察をするようになりましたw
空を見てゾクっとしたのはこれが初めて。
次は今年2月の写真(冒頭でリンクしてあるやつ)
今回も結構キテます。
うまく写真にうつってないのが残念!
追記
平成19年06月16日05時36分 気象庁地震火山部 発表
16日05時29分頃地震がありました。
震源地は宮城県沖 ( 北緯38.8°、東経142.3°)で震源の
深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は4.9と推定されます。
↓
M5近くですが今回の写真(断層雲+ウロコ雲+千鳥雲+赤焼け)のものと思っていはいません。
あるとしたら何か大きな動き(地殻変動)がある、
その地震の連動としてあるのかなって思います。
今後の動きも注視したいとこです。
また雲の動きをみてUpしていきます。
また機会があれば
恐れることはない 地震雲はめったに現れないのようなものも一読してみてください。
掲示板とかでいろいろ写真がUpされますが
防災はとても大切ですがネットの情報だけを鵜呑みにしないほうがいいと思います。
こちらのサイトでは防災についても書いていきたいと思っています。
4月の地震関連情報総まとめ
に防災について書いてあります。
地震予知、予測の乱発がネット上で溢れ返っている気がします。
日本では毎日どこかしらで地震は必ず起きています。
あたしは雲が大好きで写真をとってこちらのサイトに公開していますが
地震が起きるかも、といった内容での雲を使った予測は
あまりしないようにしています。
耳鳴りについては関東南部周辺限定と考えていますが
こちらについても強く感じ取ったときだけのUpになるべくしています。
体感情報は体調の悪いときや疲れたときなどのことのほうが多いと思いますので
情報は自分の判断で的確によろしくです。
精度の高い地震予知ができるようになることを祈っています。