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今日、祖母を車イスで連れて病院にいった。
18度くらいに温度があがって春めいた陽気。

実際すんでいる家は住宅密集地ということもあって
日差しは一切ない。
あたしの部屋は2階にあって
夏は西日がさすけど
冬は昼でさえ明かりをつける。
一階なんて電気を消したら昼ですら何も見えない。
要するに東京の中の密集地に住む以上
空を仰ぐことは家からは不可能。
神奈川の実家に帰ったときですら
空が広く高く感じるくらいに違う。

祖母を連れて何度も以前は散歩にいっていた。
去年の年末から寝たきりになっていたのだけど
ようやく歩くリハビリをしはじめた。

昼間に祖母を連れて車椅子で散歩に出かけるたびに
どこかしらでベビーカーをひいた母親の姿を目にする。
それは日常的な光景かもしれない。

だけど、あたしはすごく微妙な気持ちになる。
なんともいえない気持ちになる。
モチロン祖母が普通に歩けていたときは
そんなこと意識すらしなかった。
祖母が車イスになってはじめて、
意識するようになったわけだ。

以前祖母がしっかり一人歩けていたとき
小学生の息子さんをもつ女性の友人のところに何度か遊びにいったことがあった。
祖母の話をすると彼女はよくこういった。
「れいあちゃん、子育てしてるみたいだね」
今それがますます「リアル」となって認識されるようになってきたわけだ。

祖母は少し歩けるように回復すると
自信がつくのか、ひとりで動こうとする。
他人からみればバランスはもちろん悪いので
一人ではさすがに歩けないのに歩けると思ってしまうようだ。
とにかくなんどいっても祖母は一人で動こうとするので
かといってコドモと違うのは、
ここでたとえば部屋にカギをかけてしまったら
人によっては「人権」を問題にするかもしれない。
たとえば病院でそれをやってしまうと人権問題になるので
車イスについてるベルトとか、
何度も点滴の管をぬいたりいじってしまう人にはミットをするとか
「拘束」
が管理する上で必要になってくる。
だから病院によっては治療のために拘束してもいいですよという誓約書にサインをさせられる。
そのあたりが相手が子供かお年よりかで違ってくる。
あたしにはコドモがいないからわからないけど
そんなふうに感じた。

ベビーカーをひいているママさんたちは
多くがあたしと同世代なわけだけど、
方や無邪気な赤ちゃんで、
方や高齢のお年よりっていうわけだ。
本当ならばあたしはあなたのようなスタンスにいるはずなのに
そんな気持ちで時々胸がしめつけられそうな気分になる。
かといってノスタルジックな気分に浸るほどヒマもないし
カタルシスを得たいわけでもない。

もちろん祖母にはよくなってもらいたいし、
だけどベビーカーをひく彼女たちは
「未来をつくっている」って思う。
あたしは、
「おばぁちゃん、一生もう歩けないのかな」
って諦めがどこかしら混じる。

そんなこんなの毎日を繰り返すたび
時々、
今あたしがやってることが
いったい何なのか
本気でわからなくなる。


今あたしがいる世界は
現実なのか、バーチャルなのかさえ麻痺してくることもある。
できれば、バーチャルであってほしい。
実はココロの底ではそう願っていたりする。

現実のリアルの世界があって
もうひとつの世界があったとして
時々その亀裂の中に入り込んでいる気分になってしまう。
色のある世界か、
モノクロームの世界、か、でなく、
あたしはきっと、
どちらの世界にも、
生きていないのかもしれない、
気狂いじみた閉塞感、といったらいいのか、
そんな気すらしてしまう時もある。

やるせない気分って、きっと、こんな、なのかなぁ。


コドモの給食費を払わない親がどうとか、
イジメ問題がどう、とか、
教育再生委員会だとか、
親のしつけがどうだとか、
本当いろいろいわれてるけど
誰かに責任転嫁しようと思った時点で
その人(親)はきっと恒久的に誰かしらを責め続けるんだろうなと思う。
きっといつも誰かの悪口をいうタイプって
そういう人なのかなって思ったりもする。
いじめ問題にもいろんなパターンがあるだろうから
一概にはなんともいえないけど
いじめを苦にして自殺、
というのは、
もしかしたらおかしいのは色の違う自分一人でなくて
まわり全員こそクレージーかもしれない、
あたしならそう考えるだろうな(笑
たとえば10人いる中で一人だけ違う意見をもっている人は
それが間違いだとあたしは思わないのだけど
多くの人は一人だけ違う意見を持つ人を
誰か説得力のある弁の立つ「都合のいい人」を筆頭にあとにつこうとする。
そこに正解がなかったにしてもね。
まぁその最たる例が政治家の政党だったりするわけだが(笑

「多く」に交わろうとしたいがために
自分を押し殺して、
世間体を常に気にしながら生きていくひとたちって
慣れれば生きやすいのかもしれないけど、
少なくともあたしには生き難いんだよね。
そういうのを「自由奔放だね」っていってくる人もいるのだけど
最低限のモラルだのルールは守っているつもりだし、
自由奔放とはまた違うと思うのだけど。

そもそも自由っていうのはいつも
「責任」と隣り合わせだから
自分に責任がとれない人間ならば自由は望まないほうがいいとあたしは思うけどね。
学生のときは制限だらけだったからこそ自由を望んだわけだけど
制限があったほうが本当はラクな人って多いはず。

*

あたしはかつていじめにあいそうだったときがあったけど
「この人たちかわいそうだな」って
逆にあたしが思い切り相手を卑下したことを思い出しました。
「コソコソしてないで直接あたしに意見しな!」
って逆にこっちからケンカ売ったんだけどね(笑
イジメられて悩む子っていうのはそういうことがいえなくて
本当はみんなと仲良くなりたい子なんだって思う。
少なくともあたしみたいに
「あんたたちみたいな人間と一緒にすんな!」
ってタイプでは少なくともないからね(汗
いじめるほうがきっと病んでいる気がするわけだけど
本当集団心理ってわからないもので
いじめるほうがいつのまにかいじめられるスタンスにいたりしてね。
いじめられたことで一度でもココロが疲れてしまうと
ココロに免疫がなくなっちゃって
戦おうとする気力がなくなるんだろうね。

中学校のときの数学の授業で
あたしは「一般的」でない公式を用いないやり方で答えを出したことがあって、
答えの数字そのものはあっていたのだけど
そのプロセスが違ったためにバツをつけられたことがあって
先生にものすごく反発したことがあった。
答えだけがなまじっかあっていたので
正解した誰かのカンニングをしたのではないかとすらいわれた。
これは正直ものすごくプライドが傷ついたことだった。
それ以来、国語にしても何にしても
答えがひとつしかないってことに
常にギモンを持ち続けた学生時代を終えた。
そんなこんなだったから
学歴や肩書きだなんてあってないような一種の記号みたいなもんだよな
なんて思ったりしていきてきた。

自分では個性だとこれまで思っていたものが
いつのまにか「協調性のない子」に変わっていたことにギモンを感じ続けてた。
協調性のない人をわがままと呼ぶ人もいるだろうけど
あたしはそれは違うと10代から思ってたし
協調性のなさと個性もまた違うと思ってるのに。

何かひとつの大きな見えない枠にいれられて
群れからはぐれた人は
「協調性のないわがままな子」
としてあつかうようなかんじがしていて、
それならばそんな枠、最初から入りたくなんてない
っていう気持ちが強かったからこそきっと
イジメの対象になりそうだったときも自分を通し続けられたんだって思う。

でも、対外的な人間関係をどうこういうよりか
基本的な人間関係というのは家族関係。
威圧的な親は子供をオドオドさせてしまったり
うちは奔放にさせておく主義だといいつつ
責任をまったくとれない親がいたりするわけで。
そういうのって向き合ってないなってすごく思う。
そして、あたしも
両親から逃げることばかり考えていたうちの一人だったし。

祖母がこうして車椅子にならなかったら
もしかしたらうちの家族は
一生バラバラなままでいたかもしれない。
かといって祖母が要介護になっても相変わらずバラバラではあるけどw

今目の前でおきている事象。
あたしに対して投げかけてくるさまざまな疑問。
それは想像もできないくらいに大きすぎて
時々それに圧倒されて気持ちが押しつぶされてしまう。
それは「責任」っていうオブラートみたいなもので
包まれているのだけど。

これまで当たり前なはずだった「歩くこと」
要するに「これまでできていたこと」がイキナリできなくなってしまうことが老化なのかもしれないな
って思うようになってきた。

機能しなくなることももちろんショックだろうけど
それ以上に精神的にショックであるようだ。
要するにココロにきてしまう。
表情をみていてすごく感じるのは
これまでのプライドみたいな何かがズタズタになっていくかのようだ。
傷ついてしまったプライドが自分を守ろうと
ココロがどんどん堅くなっていくのが傍目でわかってくる。
老化の一番の要因はきっとココロの固さだって思う。
ココロをやわらかくするには愛情が一番大切なんだなと本当に思うようになった。
それはあくまでも「同情」とは別物だから
時に厳しいのだけど、
厳しくしても愛情をもって接すればそれに応えてくれる。
太陽が目に見える愛情だとしたら
風雨が叱る愛情だって思うからね。
人間て失敗しないと学ばないし育たないように
甘い愛情だけでは育っていかないような気がするから。

叱ることはそこに愛情や思いやりがない限りできないはず。
怒ることと叱ることの意味は至って単純だって思う。
怒ることは表面的な感情論がメインだろうし、
叱る、には何かしらの理由が確実にあるはずだし。

最近しかれる大人がいない、
そういうふうにいうけど
そのあたしの理論からしたら
オトナそのものに今
愛情がないのじゃないかなって思ったりする。
「今のコドモは自分のことしか考えない」
ってのもよくきくけど
それはバックグラウンドに自分のことしか考えない親がいるわけだろうし、
基本的な人間関係はやっぱ母子関係なんだろうなって思う。

そんなふうに、たかが介護なんだけど
子育てのこと、いじめのこと、アンチエイジング...
本当にいろんなことを考えたりするようになった。
今のような状況をこれまでならば不幸だとかって思っていたのだろうな。
あたしの考え方を根本から変えてくれた
さまざまな人との出会いや事柄に感謝したいです。
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