fc2から移行検討用
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
本当は例の霊感商法について書きたくて仕方ないんですが(笑)
そちらのほうの草稿は半分以上進んでいますが
クリスマスが近いので今日から連載でこんなお話をw
これはオーラソーマ106番誕生★大天使ラツィエル の続きでもありますw
あ、ちなみにあたしはこれまでヒーリングサロンどころかエステにすらいったことがありませんけど何かw
整体くらいですね(笑)
それは今度たっぷり書くとして。
というか霊感商法についてはかなりの量になりそうな予感なのでそちらも分けての公開になりそうだなぁ。。
で、今回はキリスト教の源について書いていきたいと思います。
あたしはかつて魔術をやっていた際に
哲学や思想、宗教学を独学で学んでいました。
いろんな哲学や宗教や思想をしっておくと今回のような事件のときも
このカルトはこういう神様が一緒になってるなとか思えるので面白いですねw
でもヒーリングサロンって本当微妙な存在だもんね。
自分がやろうとしてるのに、それってどうなんだよともいいますがw
*
あたしのソウルボトルにも示されている大天使ガブリエルは
聖母マリアに受胎告知を与えた天使とされてるんですね。
そんなこともあり「子供の誕生を司る天使」ともいわれています。
新約聖書のルカによる福音書では
「マリア、恐れることはないあなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」
「精霊があなたに降り、いと高き力があなたを包む。
だから生まれるものは聖なるもの、神の子と呼ばれる」
とあります。
要するにこれを伝えたのがガブリエルにあたります。
ガブリエルが百合の花を持っていることが昔の絵画なんかでは多いのですが
百合の花はガブリエルのシンボルとされているもので
ほかの天使たちが男性的なのにもかかわらず
ガブリエルは絵画では中性的に描かれることが多く
百合の花が処女性を表すことからも女性であるといわれているんです。
<本当は宗教的な意味合いの解釈が一番濃厚なんですがここではごちゃまぜになるのであえてしません>
ちなみにマホメットにコーランを伝えたのも、ガブリエルといわれています(ジブリール<Djibril>といわれています)
たとえばタロットではJudgement(XX)<審判>に登場しています。

ガブリエルは聖母マリアに受胎告知を与えたといいましたが
審判のカードの意味は「復活」とか「目覚め」を意味します。
ミケランジェロの代表作でもある「最後の審判」では
天国へと昇天する人々とともに地獄へと堕ちる人々が描かれています。

実に大勢の人が描かれていますが
彼らが天国行きか地獄に堕ちるかの審判をするのが何を隠そうイエス様です。
さきほどガブリエルが審判のカードに描かれているという話をしましたが
ガブリエルはタロットでラッパを吹いています。
これは「これから神様からのお告げがあるぉっ(^ω^)っ」(笑)
ってトランペットを吹いて知らせてくれてるわけなんですね。
聖書ではマタイによる福音書の24章31節に
「大いなる喇叭の音とともに御使いたちをかわして、天の果てからはてにいたるまで四方からその選民たちを呼び集めるであろう」
(あとで書きますがこの「選民」という言葉を覚えておいてください。
世界平和を祈りつつ愛を尊びつつも結局は「選民思想」であるがゆえに世界的に宗教戦争を引き起こすことがおわかりでしょう。)
そしてこのカードはいいことをした人間は天国へ、悪い行いの人は地獄へということを教えてくれています。
でもこういった思想はキリスト教だけではないともはやお気づきですよね。
日本の例でわかりやすくいうと亡くなって初七日ってあるよね?
あれは不動明王によるいわゆる審判の日です。
このときはまだ三途の川の手前にいるわけです。
だから初七日は最近では告別式と一緒にやるケースが多いのだと思います(詳細はいろいろあるのかもしれませんが)
日本では四九日がかなり重要視されていますよね?
それは三途の川を渡って、この日に天国か地獄かがハッキリきまるわけです。
つまりさきほどの審判のカードと同じ状況なわけです。
ちなみに天国か地獄かの最終審判の決定は
薬師如来が四十九日に決めるといった具合です。
余談ですがそのあとも法事がいろいろとあるのは何故かというと
その魂がもし天国にいけなかった場合、
百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌という時に再審判が行われる日になります。
いわば敗者復活戦というものなのかわかりませんがw
だから魂を供養する法事というのは大変大切なわけですね。
何よりも自分という魂が生まれてきたそのルーツである
ご先祖様を祀るという意味で
自分というものを考えるほどに重要なのではないでしょうか。
あたしはかつて魔術からの流れで神智学や哲学、思想について調べ、
哲学をより知るために不可欠な宗教についても調べていた時期があったんですが
(すごい調べたわけじゃないんですが)
キリスト教の源、ルーツとして有名なものが
「ミトラス教(思想)」だということを知りました。
日本ではなじみのないものですね。
というか世界史あたりを勉強すると出会うという感じでしょうか。
この「ミトラ教」(ミトラス思想など読み方がいろいろあります)というのは
古代ローマのヘレニズム文化から生まれたものみたいなんですね。
「ソフィア」という名前はきいたことがあるかもしれないけど
これは実はもともとミトラの女神だといわれているようです。
そしてこの「ミトラ教」のルーツは古代ペルシアの「ミトラ信仰」だといわれています。
そもそも日本人のキリスト教の観念....
それこそクリスマスとかですけどねw
これって恋人同士が公でもイチャイチャできる日
...に日本ではいつのまにかなってるわけですが(笑)
そんな浅はかな思想にいつからなったのでしょうかww
でも経済波及効果はそれなりにあるのかもな(笑)
これらは欧米からの輸入した思想や文化を
日本流にアレンジしたものでしかなくて
キリスト教はもとはミトラ思想だったとかって話をだすと
まるで神話かオカルトか何かのように思えてしまうんだけど
そういうふうに思ってしまう現象もまた
欧米を信仰する、悪く言えば欧米かぶれwの一種のようなものだと思いますw
あたしは7月にインカ・マヤ・アステカ展を見に行ったわけですが
インカ・マヤ・アステカといった中南米ではもともと独自の文明が栄えていたわけです。
マヤ文明を征服したのはスペインでした。
たとえばスペインの手によってマヤ文字は焼かれてしまうことになりました
(1950年ロシアの言語学者クノロゾフにより解読されました)
アステカ文明では生贄の心臓を捧げる信仰があったのですが
ピラミッドは別にエジプトだけにあるものではなくて
このアステカにもあったわけで(1979年に発見されています)
このアステカのピラミッドこそが生贄を神にささげていた場所でした。
しかしこれもまたスペイン人の征服後、破壊されました。
ではインカ文明はどうでしょうか。
このアンデスではミイラ信仰が昔からありました。
それはミイラとともに食事をしたり洋服を着せてあげる、といった具合に
生きた人のようにミイラに接するわけです。
日本でいうなればお盆とかではご先祖様を呼ぶわけですが
いつもいつでもミイラっていう形で偶像みたくなってそれを祀ってるってかんじですかね。
インカについてはスペインによって破壊された形跡こそなかったのですが
インカを征服したスペイン人によって
人々はキリスト教に改宗させられ、ミイラ信仰は固く禁じられた歴史をもちます。
このマヤ・アステカ・インカの歴史に至っても
こんなふうに、現代における世界のキリスト教の「権力」が読み取れると思います。
さきほどは「ミトラ教」のルーツは「ミトラ思想(信仰)」だと書きましたが
そもそも宗教というのは「信じる」というまっすぐで純粋なエネルギーなわけですよね。
化粧品につけても何につけても信じる気持ちというのは人間のカラダにまで作用しますからね。
(それが今回の霊感ヒーリングサロン事件のようにどんなにカルトであったにしても
信じる気持ちがその人の体調までも変えてしまうというのはあるわけでしょうね。
<ちなみにフラワーエッセンスの効果にはエビデンス(臨床例)がしっかりとあるのでずっとやってるのもあるんですが、それについては後日>
しかし「信仰」する人々が増えて「宗教」となると
たとえば新興宗教をみればわかるように
誰かの「邪念」によってそのまっすぐな気持ちって淘汰されて利用されてしまう気すらあたしはしてしまうんだよね。
(だからあたしは基本的に自己ヒーリングや瞑想をやっているだけなんですよね。
信じるものは自己、そういう考えなので。
他の対象を信じると依存にもつながりかねないからなんだけどね。)
つまりもともとは信仰であるはずのエネルギーが
いつのまにか権力を行使するような「道具」として使われているというのは
人間は群れをなしてしまうと集団心理という「別の生き物」になってしまうからだと思うんです。
集団で誰かをいじめるのも根本的にはこれと似たような気がします。
政党政治なんかはまさに典型的で、権力と争いとエゴが常に一体化していますからね。
社会というのは結局マジョリティが強いということなのでしょうね。
でも集団心理に信仰が加わると戦争にまで発展することがありうるってことですよね。
とある思想が聖典化して布教していこうとするプロセスには
バックグラウンドにはその中心人物みたいな人がいて
そこにヒエラルキーができて「権力化」していく。
いくらエゴを手放し浄化するようなことを教義みたいなのでいっていても
その中心となる人物に気に入られようとする人たちは必ず存在するわけで
そんな気持ちもエゴなわけだけど
そこから権力争いが始まるという図式はさきほどいった権力と争いとエゴとの典型でしょう。
そうやってさまざまな人が集まると考えもさまざまだからエゴの強い誰かの力が加わると
当然派閥争いになるわけだよね。
そんなふうにどんなにいい教えだとしても純粋な思想から本質は遠ざかっていくものだよね。
宗教学を勉強するたびにそんなふうに思っていきました。
ならば、いろんな宗教や思想や哲学、倫理の中で
自分なりに信じられるものを自分の中でチョイスしていけばいいじゃんって思ったんだよね(笑)
ムリしてひとつの思想にとどまらなくたっていいじゃんて思うわけです。
あ、もちろん、クリスマスと正月両方やろうとかっていうそういう意味じゃなくてね(笑)
何がいいたいかといえば自分を信じることを信念にもたないと
意外とあっさりマインドコントロールってかかるものだよという話です。
信じられるのは、自分が今ここに「肉体をもった魂」として存在するということ。
人間は「魂をもった肉体」では決してなくって
「肉体をもった魂」の存在であるってあたしは思うんですよ。
要するに自分の考えがしっかり自分の中にありさえすれば
それがどんな新興宗教だろうと、
最近は宗教というと金あつめがうまくいかないということでヒーリングとか浄化とかいろんな言い方をしてきますが
そういう類のものには絶対にひっかからないというわけです。
自分というものを強くもてばいいだけなんですよね。
選択権はすべて誰でも自分の中にあります。
あとはマインドコントロールされないだけの確固たるものをもつだけです。
別に無宗教だし〜という状態が実は一番危なくて
だからこそこういうカルト系にひっかかる被害者が後を絶たないのだと思います。
不安+救済はマインドコントロールの手口と考えてよいでしょう。
それに大金を要求するというのも完全なカルトですよね。
話がそれたけどそんなかんじで宗教学のルーツをたどると
なぜキリスト教とイスラム教と対立してるのかとか
その深刻さがとてもわかってきます。
聞いたことがあるかもしれない「シーア派」にしても同じことです。
どうしてもイスラムというと事件やテロのイメージが脳裏にこびりついてしまっています
これによりテロ=イスラムのイメージをつけたのはまさしく911の事件であり
アメリカという国であり、ブッシュであったり、
そしてなんといってもマスメディアやインターネットの普及があるのだと思います。
それはどの国でその情報を目にするかによって切り口というか事実に対するフィルターが違うことを考えれば自ずからわかることでしょう。
(さきほどいったカルトなどのマインドコントロールは
「事実」に対するその人のフィルターを、教義という形で埋め込まれるというイメージですね)
確かに911は悲惨な事件でした。
確かに事実はひとつです。
だけど真実はその人それぞれで違う(宗教的バックグラウンドなど)と思うのです。
まさに世界の宗教(というか権力)図的なものを感じさせた事件でした。
そして日本人がどれだけ欧米からの物質的なものだけでなく
思想的なものまでも影響を受けているのかということを
宗教や思想を学ぶほどに、あたしは自分の無知さに気づいていったわけです。
(後半に続く)
そちらのほうの草稿は半分以上進んでいますが
クリスマスが近いので今日から連載でこんなお話をw
これはオーラソーマ106番誕生★大天使ラツィエル の続きでもありますw
あ、ちなみにあたしはこれまでヒーリングサロンどころかエステにすらいったことがありませんけど何かw
整体くらいですね(笑)
それは今度たっぷり書くとして。
というか霊感商法についてはかなりの量になりそうな予感なのでそちらも分けての公開になりそうだなぁ。。
で、今回はキリスト教の源について書いていきたいと思います。
あたしはかつて魔術をやっていた際に
哲学や思想、宗教学を独学で学んでいました。
いろんな哲学や宗教や思想をしっておくと今回のような事件のときも
このカルトはこういう神様が一緒になってるなとか思えるので面白いですねw
でもヒーリングサロンって本当微妙な存在だもんね。
自分がやろうとしてるのに、それってどうなんだよともいいますがw
*
あたしのソウルボトルにも示されている大天使ガブリエルは
聖母マリアに受胎告知を与えた天使とされてるんですね。
そんなこともあり「子供の誕生を司る天使」ともいわれています。
新約聖書のルカによる福音書では
「マリア、恐れることはないあなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」
「精霊があなたに降り、いと高き力があなたを包む。
だから生まれるものは聖なるもの、神の子と呼ばれる」
とあります。
要するにこれを伝えたのがガブリエルにあたります。
ガブリエルが百合の花を持っていることが昔の絵画なんかでは多いのですが
百合の花はガブリエルのシンボルとされているもので
ほかの天使たちが男性的なのにもかかわらず
ガブリエルは絵画では中性的に描かれることが多く
百合の花が処女性を表すことからも女性であるといわれているんです。
<本当は宗教的な意味合いの解釈が一番濃厚なんですがここではごちゃまぜになるのであえてしません>
ちなみにマホメットにコーランを伝えたのも、ガブリエルといわれています(ジブリール<Djibril>といわれています)
たとえばタロットではJudgement(XX)<審判>に登場しています。

ガブリエルは聖母マリアに受胎告知を与えたといいましたが
審判のカードの意味は「復活」とか「目覚め」を意味します。
ミケランジェロの代表作でもある「最後の審判」では
天国へと昇天する人々とともに地獄へと堕ちる人々が描かれています。

実に大勢の人が描かれていますが
彼らが天国行きか地獄に堕ちるかの審判をするのが何を隠そうイエス様です。
さきほどガブリエルが審判のカードに描かれているという話をしましたが
ガブリエルはタロットでラッパを吹いています。
これは「これから神様からのお告げがあるぉっ(^ω^)っ」(笑)
ってトランペットを吹いて知らせてくれてるわけなんですね。
聖書ではマタイによる福音書の24章31節に
「大いなる喇叭の音とともに御使いたちをかわして、天の果てからはてにいたるまで四方からその選民たちを呼び集めるであろう」
(あとで書きますがこの「選民」という言葉を覚えておいてください。
世界平和を祈りつつ愛を尊びつつも結局は「選民思想」であるがゆえに世界的に宗教戦争を引き起こすことがおわかりでしょう。)
そしてこのカードはいいことをした人間は天国へ、悪い行いの人は地獄へということを教えてくれています。
でもこういった思想はキリスト教だけではないともはやお気づきですよね。
日本の例でわかりやすくいうと亡くなって初七日ってあるよね?
あれは不動明王によるいわゆる審判の日です。
このときはまだ三途の川の手前にいるわけです。
だから初七日は最近では告別式と一緒にやるケースが多いのだと思います(詳細はいろいろあるのかもしれませんが)
日本では四九日がかなり重要視されていますよね?
それは三途の川を渡って、この日に天国か地獄かがハッキリきまるわけです。
つまりさきほどの審判のカードと同じ状況なわけです。
ちなみに天国か地獄かの最終審判の決定は
薬師如来が四十九日に決めるといった具合です。
余談ですがそのあとも法事がいろいろとあるのは何故かというと
その魂がもし天国にいけなかった場合、
百か日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌という時に再審判が行われる日になります。
いわば敗者復活戦というものなのかわかりませんがw
だから魂を供養する法事というのは大変大切なわけですね。
何よりも自分という魂が生まれてきたそのルーツである
ご先祖様を祀るという意味で
自分というものを考えるほどに重要なのではないでしょうか。
あたしはかつて魔術からの流れで神智学や哲学、思想について調べ、
哲学をより知るために不可欠な宗教についても調べていた時期があったんですが
(すごい調べたわけじゃないんですが)
キリスト教の源、ルーツとして有名なものが
「ミトラス教(思想)」だということを知りました。
日本ではなじみのないものですね。
というか世界史あたりを勉強すると出会うという感じでしょうか。
この「ミトラ教」(ミトラス思想など読み方がいろいろあります)というのは
古代ローマのヘレニズム文化から生まれたものみたいなんですね。
「ソフィア」という名前はきいたことがあるかもしれないけど
これは実はもともとミトラの女神だといわれているようです。
そしてこの「ミトラ教」のルーツは古代ペルシアの「ミトラ信仰」だといわれています。
そもそも日本人のキリスト教の観念....
それこそクリスマスとかですけどねw
これって恋人同士が公でもイチャイチャできる日
...に日本ではいつのまにかなってるわけですが(笑)
そんな浅はかな思想にいつからなったのでしょうかww
でも経済波及効果はそれなりにあるのかもな(笑)
これらは欧米からの輸入した思想や文化を
日本流にアレンジしたものでしかなくて
キリスト教はもとはミトラ思想だったとかって話をだすと
まるで神話かオカルトか何かのように思えてしまうんだけど
そういうふうに思ってしまう現象もまた
欧米を信仰する、悪く言えば欧米かぶれwの一種のようなものだと思いますw
あたしは7月にインカ・マヤ・アステカ展を見に行ったわけですが
インカ・マヤ・アステカといった中南米ではもともと独自の文明が栄えていたわけです。
マヤ文明を征服したのはスペインでした。
たとえばスペインの手によってマヤ文字は焼かれてしまうことになりました
(1950年ロシアの言語学者クノロゾフにより解読されました)
アステカ文明では生贄の心臓を捧げる信仰があったのですが
ピラミッドは別にエジプトだけにあるものではなくて
このアステカにもあったわけで(1979年に発見されています)
このアステカのピラミッドこそが生贄を神にささげていた場所でした。
しかしこれもまたスペイン人の征服後、破壊されました。
ではインカ文明はどうでしょうか。
このアンデスではミイラ信仰が昔からありました。
それはミイラとともに食事をしたり洋服を着せてあげる、といった具合に
生きた人のようにミイラに接するわけです。
日本でいうなればお盆とかではご先祖様を呼ぶわけですが
いつもいつでもミイラっていう形で偶像みたくなってそれを祀ってるってかんじですかね。
インカについてはスペインによって破壊された形跡こそなかったのですが
インカを征服したスペイン人によって
人々はキリスト教に改宗させられ、ミイラ信仰は固く禁じられた歴史をもちます。
このマヤ・アステカ・インカの歴史に至っても
こんなふうに、現代における世界のキリスト教の「権力」が読み取れると思います。
さきほどは「ミトラ教」のルーツは「ミトラ思想(信仰)」だと書きましたが
そもそも宗教というのは「信じる」というまっすぐで純粋なエネルギーなわけですよね。
化粧品につけても何につけても信じる気持ちというのは人間のカラダにまで作用しますからね。
(それが今回の霊感ヒーリングサロン事件のようにどんなにカルトであったにしても
信じる気持ちがその人の体調までも変えてしまうというのはあるわけでしょうね。
<ちなみにフラワーエッセンスの効果にはエビデンス(臨床例)がしっかりとあるのでずっとやってるのもあるんですが、それについては後日>
しかし「信仰」する人々が増えて「宗教」となると
たとえば新興宗教をみればわかるように
誰かの「邪念」によってそのまっすぐな気持ちって淘汰されて利用されてしまう気すらあたしはしてしまうんだよね。
(だからあたしは基本的に自己ヒーリングや瞑想をやっているだけなんですよね。
信じるものは自己、そういう考えなので。
他の対象を信じると依存にもつながりかねないからなんだけどね。)
つまりもともとは信仰であるはずのエネルギーが
いつのまにか権力を行使するような「道具」として使われているというのは
人間は群れをなしてしまうと集団心理という「別の生き物」になってしまうからだと思うんです。
集団で誰かをいじめるのも根本的にはこれと似たような気がします。
政党政治なんかはまさに典型的で、権力と争いとエゴが常に一体化していますからね。
社会というのは結局マジョリティが強いということなのでしょうね。
でも集団心理に信仰が加わると戦争にまで発展することがありうるってことですよね。
とある思想が聖典化して布教していこうとするプロセスには
バックグラウンドにはその中心人物みたいな人がいて
そこにヒエラルキーができて「権力化」していく。
いくらエゴを手放し浄化するようなことを教義みたいなのでいっていても
その中心となる人物に気に入られようとする人たちは必ず存在するわけで
そんな気持ちもエゴなわけだけど
そこから権力争いが始まるという図式はさきほどいった権力と争いとエゴとの典型でしょう。
そうやってさまざまな人が集まると考えもさまざまだからエゴの強い誰かの力が加わると
当然派閥争いになるわけだよね。
そんなふうにどんなにいい教えだとしても純粋な思想から本質は遠ざかっていくものだよね。
宗教学を勉強するたびにそんなふうに思っていきました。
ならば、いろんな宗教や思想や哲学、倫理の中で
自分なりに信じられるものを自分の中でチョイスしていけばいいじゃんって思ったんだよね(笑)
ムリしてひとつの思想にとどまらなくたっていいじゃんて思うわけです。
あ、もちろん、クリスマスと正月両方やろうとかっていうそういう意味じゃなくてね(笑)
何がいいたいかといえば自分を信じることを信念にもたないと
意外とあっさりマインドコントロールってかかるものだよという話です。
信じられるのは、自分が今ここに「肉体をもった魂」として存在するということ。
人間は「魂をもった肉体」では決してなくって
「肉体をもった魂」の存在であるってあたしは思うんですよ。
要するに自分の考えがしっかり自分の中にありさえすれば
それがどんな新興宗教だろうと、
最近は宗教というと金あつめがうまくいかないということでヒーリングとか浄化とかいろんな言い方をしてきますが
そういう類のものには絶対にひっかからないというわけです。
自分というものを強くもてばいいだけなんですよね。
選択権はすべて誰でも自分の中にあります。
あとはマインドコントロールされないだけの確固たるものをもつだけです。
別に無宗教だし〜という状態が実は一番危なくて
だからこそこういうカルト系にひっかかる被害者が後を絶たないのだと思います。
不安+救済はマインドコントロールの手口と考えてよいでしょう。
それに大金を要求するというのも完全なカルトですよね。
話がそれたけどそんなかんじで宗教学のルーツをたどると
なぜキリスト教とイスラム教と対立してるのかとか
その深刻さがとてもわかってきます。
聞いたことがあるかもしれない「シーア派」にしても同じことです。
どうしてもイスラムというと事件やテロのイメージが脳裏にこびりついてしまっています
これによりテロ=イスラムのイメージをつけたのはまさしく911の事件であり
アメリカという国であり、ブッシュであったり、
そしてなんといってもマスメディアやインターネットの普及があるのだと思います。
それはどの国でその情報を目にするかによって切り口というか事実に対するフィルターが違うことを考えれば自ずからわかることでしょう。
(さきほどいったカルトなどのマインドコントロールは
「事実」に対するその人のフィルターを、教義という形で埋め込まれるというイメージですね)
確かに911は悲惨な事件でした。
確かに事実はひとつです。
だけど真実はその人それぞれで違う(宗教的バックグラウンドなど)と思うのです。
まさに世界の宗教(というか権力)図的なものを感じさせた事件でした。
そして日本人がどれだけ欧米からの物質的なものだけでなく
思想的なものまでも影響を受けているのかということを
宗教や思想を学ぶほどに、あたしは自分の無知さに気づいていったわけです。
(後半に続く)
PR