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先日友人から連絡があった。
その友人は拒食症なのだけど
最近引越しをして、また症状が結構でてきてしまい
精神科にいってはみたものの
結局思うようなものではなくてがっかりしたという内容がきた。
それ以前も別の友人で過食がとまらず買い物依存で困っているので
精神科受診したのだけど思うような答えをもらえず
どこかいい医者知らないかという連絡だったし
その前のさらに別の友人にしても
希死念慮がとまらず困っていて毎日が憂鬱だから精神科にいってみたけど
結局いまだに何も変わらないしクスリが増え続けるだけという。
さらっとだけで3人の友人の状況がでてきてしまうくらいに
近年心がツライ人が身の回りに増えている。
心が苦しいといって過去友人にメールをいただくことが少なくとも10人を軽く超える。
しかも皮肉にも、あたしが治りかけのときくらいになって
そのような人がいっきにふえてしまったということだ。
もしくはほぼ治ってから知り合った、など。
先日連絡が来て会った友人はこういう。
精神科にいって話したけど
不眠症だといったのだけど睡眠薬を出してくれなかったと。
話も半分にしかきいてくれなくて
こうしろああしろとだけいって、はい、次ってかんじ
といっていた。
彼らがあたしに、ほかの人にはなかなかいえない心の状態を話してくるのには理由がある。
あたしでなくてはならない、という理由。
ではなんであたしでなくてはいけないのか。
かつて10年以上精神科に通い続けて
今はクスリを飲んでいない状態を不思議と思っているからだろうし
一番いえるのは
そういうウツな状態になった人でないと
この辛さも苦しみもわからない
そういうふうに彼らは思っているようだ。
「この辛さをわかってくれるのはレイアちゃんしかいないんだ」
そうやって彼らは話してくる。
彼らは誰にも話せなくて苦しんでいる。
誰にも理解されないと思い込んでいて苦しんでいる。
藁をも掴む思いでたずねた精神科もクリニックも
話をきくもわずかの間。
あとはクスリを出されてまた来週、
もしくは2週間後きてくださいといわれるだけ。
かれらのほとんどは仕事をしながらクリニックや精神科をたずねる。
中には残業が続いたり休日出勤などもあって
まったく自分がケアできない人もいる。
しかし仕事をやめるわけにもいかない。
彼らは走っている。
休むことを知らないランナーのようなものだ。
途中で飲み物を補給しながら走ることがわからない。
どんなものを飲むのがいいのか、
どんなタイミングで飲むべきかがわからないのだ。
かつてのあたしもそうだったように。
会社にいって心が辛いことを、
誰も話せないけど、いわなくちゃ、と、
勇気を持って話したこともあった。
だけど上司にしてもみんな
「しばらく休みなさい」
という。
今思えばそれもそうだと気づく。
まわりは心の病をどう対処していいのかわからないのだ。
休むことができるなら休みなよとまわりもそういう。
しかし就業規定では休業何ヶ月までとやはり決まっているわけであって
それ以上ゆっくり休んだのならば会社をやめないといけないだろう。
せっかくこのご時世に入れた会社だ。
やめるわけになんていかない。
そう思って少しだけ休んで
「大丈夫です」
といってしまう。
しかしまた調子を崩して同じコトを何度も繰り返してしまう。
何度もそんなことを繰り返すとやはりどうしたって勤怠に影響も当然のことながらでてくる。
すべてが空回りしてしまっている。
もがけばもがくほどに空回りしていると思い
どうすることもできなくなり、心が辛くなり、むなしくなる。
悩み、そしてまたクスリに手が伸びる。
藁をも掴む思いで精神科をたずねる。
最初に話した彼のように
医師は話をきくのもそこそこにクスリを出す。
患者はクスリを飲むとラクになれると信じてる。
だけど実際はどうだろう。
クスリを飲むとだるくなる。
思考することを脳がクスリで拒まれるのだ。
だるい。
ねむい。
カラダが思うように動かない。
そんな状態で仕事をする。
決して怠けてなんていない。
これまでがんばってきたじゃないか。
単にクスリがそうさせるだけなのだ。
だけどとても理解されにくい。
周りからはどうやったって
「怠けている」
そう思われてしまう。
かつて一緒に働いていた同僚に
普段は元気を装ってみんなに苦しいのを隠して接してたのだけど
ある日メルアドをきかれたことがあり
あたしは同僚にメルアドを教えた。
その晩早速メールがきた。
内容は会社で接しているその態度と正反対だった。
「会社に何しにきてるんですか?
怠けるくらいなら会社に来ないでください
給料泥棒と同じことですよね。」
という内容。
悔しくて悔しくて涙が出た。
これまで散々がんばってきたのに
心が苦しくても迷惑かけちゃいけないって
同僚にはいわないようにしてたのに
精神科にいって藁をも掴む気持ちでクスリを飲んだのに
だるくて、眠くて、カラダが動かない。
ボーっとしてしまって仕方ない。
まわりには苦しいことをいえないもんだから
「怠けている」と思われる。
ただでさえ苦しいのに、追い討ちをかけるかのような気持ちになった。
あたしは悔しくて仕方なかった。
「これ以上どうやってがんばればいいの!」
そう、心が悲鳴をあげてた。
それでもあたしなら大丈夫と信じて仕事を続けたら
ある日突然気を失った。
気づいたら救急車の中にあたしはいた。
パニック障害のはじまりだった。
あたしはそれでも精神科に行った。
ほかのクスリを出して欲しい、こんなのじゃダメだとなきついた。
クスリを変えた。
「きかないんですけど」
といってはクスリが増えていった。
気づけば1日に合計60錠になっていた。
自分のことなんて、どこぞの霊能者じゃない、
「あなたはこういうことで苦しんでいますね。
つらかったでしょう」
そう精神科の医師にいわれることを期待してるのか、してないのか
とにかくラクになりたい一心で精神科を受診していた。
誰でもいいからあたしをここから引きずりあげて欲しかった。
あたしをこの暗闇から出して!
お願いだから引き上げて!
助けて!!!
10年以上いい続けてきた。
10年前はウツに対する認識もかなり低く
「精神異常者」だと散々いわれたし相当傷ついた。
あの人は精神科に通っているからとコソコソいわれていたのもわかっていた。
助けて欲しい気持ちを
まわりや精神科に求めていたのは、
あたしには間違いだった。
あたしを救えるのはあたししかいないんだ。
そういう思い込みが輪をかけて心を締め上げていく。
がんばってもがんばっても誰も引きずりあげてくれない。
そう思い込んでた。
だけどそれもそのはずだよね。
誰も自分の心しかわからないもの。
下手したら自分でさえも自分がわからない状態が当時多かった。
がんばっても、どんなにがんばり続けてもゴールは永遠に見えない。
今ならばその答えもカンタンにわかる。
だって、自分でゴールを設定していないから。
あるいはゴールがあまりにも遠いところにあったりもする。
ゴールの適切な設定の仕方がわからないのだ。
ゴール、とは自己評価のことをいう。
ウツにかかりやすい人は、多かれ少なかれ自己評価が低いとあたしは思う。
心がしっかりしている人との違いは
適切なところにゴールを儲けているかどうかだと思う。
このへんで休もうってことができないのだ。
大丈夫、まだまだやれるとばかりにやってしまう。
気づけば自分を追い詰めていることもかなり多い。
期待にこたえなければ!という気持ちだってかなりある。
あたしは極端に自己評価が低いとよくいわれる。
自分で自分を認めてあげることをなかなかしない。
心理学からみれば、幼少時の母子関係がよくあげられるのだけど
がんばっても親がほめなかったりするときによくそういうことはあったりする。
学校に通ったときも成績だけはよかった。
「常に親や教師からはいい子」であろうとしていた。
ウラでは違ったのだけど(笑
そんなかんじであたしにはペルソナをいくつかもっていたというのもあった。
完ぺき主義だとか神経質だとかは今だによくいわれる。
だけどやはり自己評価の設定の仕方がうまくできない。
だから、今は仕事でなく家庭介護だけど、がんばり続けてしまう。
昨日も看護士さんに
「注射の打ち方も何もかもカンペキですね。
看護婦にあなたならなれると思うくらいですよ。
でもがんばりすぎないで時々はサボってください」
そういわれて、やはり根本の性質は変わっていないなって思いました(笑
自分がそうだからウツの人の傾向はよくわかる。
苦しみもよくわかる。
「うんうん、ソレよくわかるよ」
ってウツの経験がない、
「適切なゴール」を自分に設けられる健康な心の人に言われても、心の病の人は
「でも、本当にはわかっていないんだろうな」
と必ず思うからね。
まわりも対処が本当困ってしまうだろうね。
だけどきいてもらいたい気持ちは必ずあるわけだから
そういう人が身近にいるときは
気持ちがわからないときはアドバイスとか下手にしなくてもいい。
彼らは意見を求めているわけではない。
話をしたいのだ。
だけど話をどうしていいのかがわからないだけなのだ。
だから話し出したら、うなずいてしっかりきいてあげることが一番大切なんだよね。
自分で自分をしっかり心をケアできない限り苦しみは続く。
医者は何度も言うけど霊能者じゃないし占い師でもない。
わかってほしい状態は説明しなければわからないのだ。
苦しんでいる内容がわからないからといって
その医者は決して詐欺なんかじゃない。
スピリチュアルに変に迎合しようとしているマスコミの影響か
そのあたり勘違いしそうな人も多いかもしれない。
「思うような答えが得られない」
というのはきっと多くが
「理解して欲しい」
「受け入れて欲しい」
そういう気持ちだって思う。
彼らの話をきいて意見をするという行為は
時には「拒絶された」と受け止められる危険性だってある。
だからそういうときは
専門家とかその心になったことがなければ
なるべくきいてあげることに専念したほうがいいと思う。
あたしは友人にフラワーレメディを例によってすすめた。
心が苦しい人の手助けになるならばと思い、
あたしはこれで自分を取り戻したから薦めるのだけど
必要以上にすすめたりはしない。
ちなみにそのプラクティショナーの資格をとる勉強を今している。
基本的にフラワーレメディはセルフヘルプであって医療行為ではない。
あくまでもプラスアルファの補完療法だ。
たとえばおなかがとってもすいてる人がいるとします。
そこで食べ物をいくらでもあげることは可能ですよね。
だけどあたしならそこで、あえてごはんや食べ物をあげたりしません。
その代わり、お米の育て方とか炊き方を知っていたら、その人に教えていきます。
そうすればその人は、最初時間はかかっても、誰も食べ物をくれなくても
自分で作って食べていくことができるわけですよね。
それがトランキライザーとヒーリングの違いだってあたしは思っています。
おなかがすいている人に食べ物をいろいろあげていくのはいくらだってできます。
でも、食べ終わってしばらくすれば、その人はまたおなかをすかせてしまいます。
その人はずっとずっとそれを繰り返していきます。
確かに食べ物をその都度与えてしまったほうがこちらはラクですし
食べたほうもそのときは満足します。
だけどずっとそれが続くのはいいことだと思いません。
時には食中毒だってあるかもしれません。
それがクスリの副作用だって思っています。
休みたいといっている人に
話すことで心を解放すべきだと世間は求めます。
それは心が健康な人だからこそ、話せばラクになるだけにすぎません。
では心がとっても疲れた人はどうでしょうか。
話す気力すらない人も多くいます。
話そうと思っても何を話すべきかコトバがでてこないのです。
なぜならば頭の中は混乱しているからです。
要するに言語化できないからこそ悩むのです。
ごちゃごちゃしたカオスをすっきりさせられる段階になった時やっと初めて話すことができます。
それがカウンセリングです。
あたしはかつてカウンセラーの資格をとろうと履修していたことがありました。
カウンセリングというのは友達と話すようなものとは違い
一定のコツがあるわけです。
その人の内面を引き出す質問を投げかけていきます。
心を引き出してその人に気づきを与えるのも役割のひとつなのです。
気づきはとても大切。
その人の心を開かせていくのにはテクニックもスキルも必要です。
カウンセラーというのは軽い気持ちでやろうという人も多いですが
適正チェックは必ずすべきでしょう。
友人にかつてウツがひどかったときに外に出たくないと告げました。
彼女は
「会おうよ」
といってくれました。
何か糸口がつかめるかもと思い、やっとの思いで家をでました。
「ゆっくり話せるところがいいよね」
そういって彼女はカラオケボックスにあたしをつれていきました。
「なにか飲もうよ」
「おなかすかない?」
「歌っていい?」
彼女はあたしの話もきくことはなく
ジャイアンのようにリサイタルをひらきました(笑;
そのうち
「私の歌は人を感動させることができるの!
きけばあなたの心もすっきりするわよ」
といわれて3時間彼女の熱唱をきかされました。
いわゆる完全に自己愛型ですね(笑
ウツでなくなった今、それは笑い話のひとつになりましたが
当時、もう彼女にあいたくないって思いました(苦笑
正直それ以来カラオケにはトラウマで行っていません(笑;
だけどその友人はそういう形で助けてあげてるつもりだったのでしょうね。
だけどウツの人間にはそれは相当辛いことでした(笑
休みたいという人に休み場所を提供しましょう、とか
それが病院であれ、友達であれ、
休み場所はあるのだろうけど
ある程度選ばないといけないなって思いました。
さっきもいったけど話せばラクになるよといわれても
話し方がわからないのではどうすることもできません。
誰かに話すことでストレスがなくなるという段階で
しっかりケアすべきなのですが
それがなかなかできにくい状況ですよね。
人によっては、話しても
「そんなことで悩んでるの〜?」
と一笑されるにすぎません。
誰かをしっかり信頼していないとできないことだし
期待しすぎもいけない。
だからこそのセルフヘルプなのです。
さっき、お米の育て方にたとえましたが
プラクティショナーという仕事は
自分で心のヘルスケアをしていくっていうやり方を教えるわけです。
その人にそのヒーリングが適さない場合もあるだろうから
今いろんなヒーリングやスピリチュアルを模索してるんだけどね。
どうも胡散臭いと思ってしまうのが多くてねw
正直フラワーレメディも最初は胡散臭さを感じたんだけど(笑
だから必要以上に誰かにあたしはすすめなくて
興味をもって知りたいとかやってみたいという心の悩みをかかえて困っている人にだけ
サポートしていこうって思っているわけです。
その悩んでいる本人に教えていかないとセルフヘルプの意味がないしね。
休め休めってカンタンにいわれるのだけど
彼らは本当は心を休ませたいのではないのだって思うのね。
休むことを望んでいるのではない、
またゲンキに走ることを望んでいるわけ。
だけど休息のとり方をしらないからバテちゃって倒れてしまうの。
ずっと休まず走り続けてきたランナーだから
休息の仕方がわからないだけなの。
休めといわれたら逆に戸惑うことさえあるんだよ。
ただほんのちょっと、
落ち込んだときに、心のバランスの崩れを
どうすれば取り戻せるかさえわかれば
そこまでひどくはならないはず。
でも、そのやり方がわからず、いつのまにかひどくなってしまっている人が多いのが現実。
決してあきらめないでほしい。
そうあたしは必ず友達にいいます。
光は必ず見えるから。
あなたが希望を捨てない限り。
その友人は拒食症なのだけど
最近引越しをして、また症状が結構でてきてしまい
精神科にいってはみたものの
結局思うようなものではなくてがっかりしたという内容がきた。
それ以前も別の友人で過食がとまらず買い物依存で困っているので
精神科受診したのだけど思うような答えをもらえず
どこかいい医者知らないかという連絡だったし
その前のさらに別の友人にしても
希死念慮がとまらず困っていて毎日が憂鬱だから精神科にいってみたけど
結局いまだに何も変わらないしクスリが増え続けるだけという。
さらっとだけで3人の友人の状況がでてきてしまうくらいに
近年心がツライ人が身の回りに増えている。
心が苦しいといって過去友人にメールをいただくことが少なくとも10人を軽く超える。
しかも皮肉にも、あたしが治りかけのときくらいになって
そのような人がいっきにふえてしまったということだ。
もしくはほぼ治ってから知り合った、など。
先日連絡が来て会った友人はこういう。
精神科にいって話したけど
不眠症だといったのだけど睡眠薬を出してくれなかったと。
話も半分にしかきいてくれなくて
こうしろああしろとだけいって、はい、次ってかんじ
といっていた。
彼らがあたしに、ほかの人にはなかなかいえない心の状態を話してくるのには理由がある。
あたしでなくてはならない、という理由。
ではなんであたしでなくてはいけないのか。
かつて10年以上精神科に通い続けて
今はクスリを飲んでいない状態を不思議と思っているからだろうし
一番いえるのは
そういうウツな状態になった人でないと
この辛さも苦しみもわからない
そういうふうに彼らは思っているようだ。
「この辛さをわかってくれるのはレイアちゃんしかいないんだ」
そうやって彼らは話してくる。
彼らは誰にも話せなくて苦しんでいる。
誰にも理解されないと思い込んでいて苦しんでいる。
藁をも掴む思いでたずねた精神科もクリニックも
話をきくもわずかの間。
あとはクスリを出されてまた来週、
もしくは2週間後きてくださいといわれるだけ。
かれらのほとんどは仕事をしながらクリニックや精神科をたずねる。
中には残業が続いたり休日出勤などもあって
まったく自分がケアできない人もいる。
しかし仕事をやめるわけにもいかない。
彼らは走っている。
休むことを知らないランナーのようなものだ。
途中で飲み物を補給しながら走ることがわからない。
どんなものを飲むのがいいのか、
どんなタイミングで飲むべきかがわからないのだ。
かつてのあたしもそうだったように。
会社にいって心が辛いことを、
誰も話せないけど、いわなくちゃ、と、
勇気を持って話したこともあった。
だけど上司にしてもみんな
「しばらく休みなさい」
という。
今思えばそれもそうだと気づく。
まわりは心の病をどう対処していいのかわからないのだ。
休むことができるなら休みなよとまわりもそういう。
しかし就業規定では休業何ヶ月までとやはり決まっているわけであって
それ以上ゆっくり休んだのならば会社をやめないといけないだろう。
せっかくこのご時世に入れた会社だ。
やめるわけになんていかない。
そう思って少しだけ休んで
「大丈夫です」
といってしまう。
しかしまた調子を崩して同じコトを何度も繰り返してしまう。
何度もそんなことを繰り返すとやはりどうしたって勤怠に影響も当然のことながらでてくる。
すべてが空回りしてしまっている。
もがけばもがくほどに空回りしていると思い
どうすることもできなくなり、心が辛くなり、むなしくなる。
悩み、そしてまたクスリに手が伸びる。
藁をも掴む思いで精神科をたずねる。
最初に話した彼のように
医師は話をきくのもそこそこにクスリを出す。
患者はクスリを飲むとラクになれると信じてる。
だけど実際はどうだろう。
クスリを飲むとだるくなる。
思考することを脳がクスリで拒まれるのだ。
だるい。
ねむい。
カラダが思うように動かない。
そんな状態で仕事をする。
決して怠けてなんていない。
これまでがんばってきたじゃないか。
単にクスリがそうさせるだけなのだ。
だけどとても理解されにくい。
周りからはどうやったって
「怠けている」
そう思われてしまう。
かつて一緒に働いていた同僚に
普段は元気を装ってみんなに苦しいのを隠して接してたのだけど
ある日メルアドをきかれたことがあり
あたしは同僚にメルアドを教えた。
その晩早速メールがきた。
内容は会社で接しているその態度と正反対だった。
「会社に何しにきてるんですか?
怠けるくらいなら会社に来ないでください
給料泥棒と同じことですよね。」
という内容。
悔しくて悔しくて涙が出た。
これまで散々がんばってきたのに
心が苦しくても迷惑かけちゃいけないって
同僚にはいわないようにしてたのに
精神科にいって藁をも掴む気持ちでクスリを飲んだのに
だるくて、眠くて、カラダが動かない。
ボーっとしてしまって仕方ない。
まわりには苦しいことをいえないもんだから
「怠けている」と思われる。
ただでさえ苦しいのに、追い討ちをかけるかのような気持ちになった。
あたしは悔しくて仕方なかった。
「これ以上どうやってがんばればいいの!」
そう、心が悲鳴をあげてた。
それでもあたしなら大丈夫と信じて仕事を続けたら
ある日突然気を失った。
気づいたら救急車の中にあたしはいた。
パニック障害のはじまりだった。
あたしはそれでも精神科に行った。
ほかのクスリを出して欲しい、こんなのじゃダメだとなきついた。
クスリを変えた。
「きかないんですけど」
といってはクスリが増えていった。
気づけば1日に合計60錠になっていた。
自分のことなんて、どこぞの霊能者じゃない、
「あなたはこういうことで苦しんでいますね。
つらかったでしょう」
そう精神科の医師にいわれることを期待してるのか、してないのか
とにかくラクになりたい一心で精神科を受診していた。
誰でもいいからあたしをここから引きずりあげて欲しかった。
あたしをこの暗闇から出して!
お願いだから引き上げて!
助けて!!!
10年以上いい続けてきた。
10年前はウツに対する認識もかなり低く
「精神異常者」だと散々いわれたし相当傷ついた。
あの人は精神科に通っているからとコソコソいわれていたのもわかっていた。
助けて欲しい気持ちを
まわりや精神科に求めていたのは、
あたしには間違いだった。
あたしを救えるのはあたししかいないんだ。
そういう思い込みが輪をかけて心を締め上げていく。
がんばってもがんばっても誰も引きずりあげてくれない。
そう思い込んでた。
だけどそれもそのはずだよね。
誰も自分の心しかわからないもの。
下手したら自分でさえも自分がわからない状態が当時多かった。
がんばっても、どんなにがんばり続けてもゴールは永遠に見えない。
今ならばその答えもカンタンにわかる。
だって、自分でゴールを設定していないから。
あるいはゴールがあまりにも遠いところにあったりもする。
ゴールの適切な設定の仕方がわからないのだ。
ゴール、とは自己評価のことをいう。
ウツにかかりやすい人は、多かれ少なかれ自己評価が低いとあたしは思う。
心がしっかりしている人との違いは
適切なところにゴールを儲けているかどうかだと思う。
このへんで休もうってことができないのだ。
大丈夫、まだまだやれるとばかりにやってしまう。
気づけば自分を追い詰めていることもかなり多い。
期待にこたえなければ!という気持ちだってかなりある。
あたしは極端に自己評価が低いとよくいわれる。
自分で自分を認めてあげることをなかなかしない。
心理学からみれば、幼少時の母子関係がよくあげられるのだけど
がんばっても親がほめなかったりするときによくそういうことはあったりする。
学校に通ったときも成績だけはよかった。
「常に親や教師からはいい子」であろうとしていた。
ウラでは違ったのだけど(笑
そんなかんじであたしにはペルソナをいくつかもっていたというのもあった。
完ぺき主義だとか神経質だとかは今だによくいわれる。
だけどやはり自己評価の設定の仕方がうまくできない。
だから、今は仕事でなく家庭介護だけど、がんばり続けてしまう。
昨日も看護士さんに
「注射の打ち方も何もかもカンペキですね。
看護婦にあなたならなれると思うくらいですよ。
でもがんばりすぎないで時々はサボってください」
そういわれて、やはり根本の性質は変わっていないなって思いました(笑
自分がそうだからウツの人の傾向はよくわかる。
苦しみもよくわかる。
「うんうん、ソレよくわかるよ」
ってウツの経験がない、
「適切なゴール」を自分に設けられる健康な心の人に言われても、心の病の人は
「でも、本当にはわかっていないんだろうな」
と必ず思うからね。
まわりも対処が本当困ってしまうだろうね。
だけどきいてもらいたい気持ちは必ずあるわけだから
そういう人が身近にいるときは
気持ちがわからないときはアドバイスとか下手にしなくてもいい。
彼らは意見を求めているわけではない。
話をしたいのだ。
だけど話をどうしていいのかがわからないだけなのだ。
だから話し出したら、うなずいてしっかりきいてあげることが一番大切なんだよね。
自分で自分をしっかり心をケアできない限り苦しみは続く。
医者は何度も言うけど霊能者じゃないし占い師でもない。
わかってほしい状態は説明しなければわからないのだ。
苦しんでいる内容がわからないからといって
その医者は決して詐欺なんかじゃない。
スピリチュアルに変に迎合しようとしているマスコミの影響か
そのあたり勘違いしそうな人も多いかもしれない。
「思うような答えが得られない」
というのはきっと多くが
「理解して欲しい」
「受け入れて欲しい」
そういう気持ちだって思う。
彼らの話をきいて意見をするという行為は
時には「拒絶された」と受け止められる危険性だってある。
だからそういうときは
専門家とかその心になったことがなければ
なるべくきいてあげることに専念したほうがいいと思う。
あたしは友人にフラワーレメディを例によってすすめた。
心が苦しい人の手助けになるならばと思い、
あたしはこれで自分を取り戻したから薦めるのだけど
必要以上にすすめたりはしない。
ちなみにそのプラクティショナーの資格をとる勉強を今している。
基本的にフラワーレメディはセルフヘルプであって医療行為ではない。
あくまでもプラスアルファの補完療法だ。
たとえばおなかがとってもすいてる人がいるとします。
そこで食べ物をいくらでもあげることは可能ですよね。
だけどあたしならそこで、あえてごはんや食べ物をあげたりしません。
その代わり、お米の育て方とか炊き方を知っていたら、その人に教えていきます。
そうすればその人は、最初時間はかかっても、誰も食べ物をくれなくても
自分で作って食べていくことができるわけですよね。
それがトランキライザーとヒーリングの違いだってあたしは思っています。
おなかがすいている人に食べ物をいろいろあげていくのはいくらだってできます。
でも、食べ終わってしばらくすれば、その人はまたおなかをすかせてしまいます。
その人はずっとずっとそれを繰り返していきます。
確かに食べ物をその都度与えてしまったほうがこちらはラクですし
食べたほうもそのときは満足します。
だけどずっとそれが続くのはいいことだと思いません。
時には食中毒だってあるかもしれません。
それがクスリの副作用だって思っています。
休みたいといっている人に
話すことで心を解放すべきだと世間は求めます。
それは心が健康な人だからこそ、話せばラクになるだけにすぎません。
では心がとっても疲れた人はどうでしょうか。
話す気力すらない人も多くいます。
話そうと思っても何を話すべきかコトバがでてこないのです。
なぜならば頭の中は混乱しているからです。
要するに言語化できないからこそ悩むのです。
ごちゃごちゃしたカオスをすっきりさせられる段階になった時やっと初めて話すことができます。
それがカウンセリングです。
あたしはかつてカウンセラーの資格をとろうと履修していたことがありました。
カウンセリングというのは友達と話すようなものとは違い
一定のコツがあるわけです。
その人の内面を引き出す質問を投げかけていきます。
心を引き出してその人に気づきを与えるのも役割のひとつなのです。
気づきはとても大切。
その人の心を開かせていくのにはテクニックもスキルも必要です。
カウンセラーというのは軽い気持ちでやろうという人も多いですが
適正チェックは必ずすべきでしょう。
友人にかつてウツがひどかったときに外に出たくないと告げました。
彼女は
「会おうよ」
といってくれました。
何か糸口がつかめるかもと思い、やっとの思いで家をでました。
「ゆっくり話せるところがいいよね」
そういって彼女はカラオケボックスにあたしをつれていきました。
「なにか飲もうよ」
「おなかすかない?」
「歌っていい?」
彼女はあたしの話もきくことはなく
ジャイアンのようにリサイタルをひらきました(笑;
そのうち
「私の歌は人を感動させることができるの!
きけばあなたの心もすっきりするわよ」
といわれて3時間彼女の熱唱をきかされました。
いわゆる完全に自己愛型ですね(笑
ウツでなくなった今、それは笑い話のひとつになりましたが
当時、もう彼女にあいたくないって思いました(苦笑
正直それ以来カラオケにはトラウマで行っていません(笑;
だけどその友人はそういう形で助けてあげてるつもりだったのでしょうね。
だけどウツの人間にはそれは相当辛いことでした(笑
休みたいという人に休み場所を提供しましょう、とか
それが病院であれ、友達であれ、
休み場所はあるのだろうけど
ある程度選ばないといけないなって思いました。
さっきもいったけど話せばラクになるよといわれても
話し方がわからないのではどうすることもできません。
誰かに話すことでストレスがなくなるという段階で
しっかりケアすべきなのですが
それがなかなかできにくい状況ですよね。
人によっては、話しても
「そんなことで悩んでるの〜?」
と一笑されるにすぎません。
誰かをしっかり信頼していないとできないことだし
期待しすぎもいけない。
だからこそのセルフヘルプなのです。
さっき、お米の育て方にたとえましたが
プラクティショナーという仕事は
自分で心のヘルスケアをしていくっていうやり方を教えるわけです。
その人にそのヒーリングが適さない場合もあるだろうから
今いろんなヒーリングやスピリチュアルを模索してるんだけどね。
どうも胡散臭いと思ってしまうのが多くてねw
正直フラワーレメディも最初は胡散臭さを感じたんだけど(笑
だから必要以上に誰かにあたしはすすめなくて
興味をもって知りたいとかやってみたいという心の悩みをかかえて困っている人にだけ
サポートしていこうって思っているわけです。
その悩んでいる本人に教えていかないとセルフヘルプの意味がないしね。
休め休めってカンタンにいわれるのだけど
彼らは本当は心を休ませたいのではないのだって思うのね。
休むことを望んでいるのではない、
またゲンキに走ることを望んでいるわけ。
だけど休息のとり方をしらないからバテちゃって倒れてしまうの。
ずっと休まず走り続けてきたランナーだから
休息の仕方がわからないだけなの。
休めといわれたら逆に戸惑うことさえあるんだよ。
ただほんのちょっと、
落ち込んだときに、心のバランスの崩れを
どうすれば取り戻せるかさえわかれば
そこまでひどくはならないはず。
でも、そのやり方がわからず、いつのまにかひどくなってしまっている人が多いのが現実。
決してあきらめないでほしい。
そうあたしは必ず友達にいいます。
光は必ず見えるから。
あなたが希望を捨てない限り。
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