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今日は午前中から祖母の年に一度の認定調査の日です。

現在要介護3の状態なんだけど昨年の今頃はほとんど歩けませんでした。
現在だいぶつかまり歩きならできるようになったんですが
モノ忘れがかなり激しくなってきてるので
そのあたりの苦労をここぞとばかりに話しましたw

まずいつも誰かが家にいないとダメなこと。
食事のテーブルとベッドまでの距離は1メートル程度にしてあって
ベッドから反対方面に玄関があって、トイレがあるので
祖母の歩く動線距離は2メートル以内なのですが・・・

・祖母の持病の管理
・食事ごとの注射
・排泄関連

要するにカラダに入れること(食事)と出すこと(排泄)という
祖母が生きていくために必要なことの手伝いをあたしがやってます。
トイレにようやく一人でいけるようにまでなったのが何よりもの救いです。

家には父親もいますが、金曜の夕方以降週末は基本的に実家に帰ってしまい
したがって週末はつきっきりであたしが祖母といるかんじになります。
もちろんその間ダンスになんていけるはずがありません。
第一外に買い物に出るのにも時間を選んでいくぐらいです。
平日も週の前半は父親は会社があるのであたしがみています。
父親がみてるのは日曜の夜、水曜日、木・金曜の朝と
時間的には48時間程度。
だけどね、先月父親にいわれたことにカチンときてて
一方的にあたしがこのところ怒ってるってかんじ。

祖母を一人にできないため、あたしがダンスにいってるのは父親が帰ってきてから。
もちろん介護はきちんとやっています。
正直こういう外に出る時間を作らないと自分がつぶれてしまうのがわかっているので
外にでて動いてストレス発散してるかんじです。
しかし父親にダンスにいって深夜0時〜1時に帰るあたしに対して
「オマエは介護をやらずに遊んでばかりいる」
っていわれたんですよ。

悔しくて泣きました。
だってこれ以上あたしは何をしろというの?ってかんじで。
それともそんなにあたしを家に縛り付けたいわけ?って思いました。

今月はじめ友人にあったときそれを話したら
「あたりどころがないだけだって思うよ」
といってたんですが、それでも納得いかずケアマネさんにも文句いってみたり(苦笑
もうあたしが家のことをなんでもやるっていうのが当たり前になってるんだよね、
この家では。
あたしがいなくなったらどうなるのかって考えたことないんだろうなって思う。

以前あたしが倒れたときは母親に東京までいってもらったわけですが
注射なんかもあたしがずっと打ってるので注射の打ち方が母にはわからない。
そういういざというときのことを考えて以前母に注射の打ち方を教えようとしたけど
「私にはできないしやりたくない。そもそもめんどくさい」といわれて拒否されてしまいました。
結局看護師さんをあたしが病気の中よんで、処置してもらったんだけど看護士さんにいろいろ母は怒られたようで
「もう絶対やりたくない」といっていました。
後日看護士さんとあったとき
「言い方が申し訳ないけどああいうお母様をもつとあなたみたいな責任感の強いタイプは一番大変ね。
ストレスがたまったら私たちでいいから話してね」
といわれて「誰にもどこにも介護の苦労を話せる人が一人もいないんだ」と思わず泣いてしまったのを思い出しました。
自分の実の父親が倒れたときも報告をうけながら水泳にいっていて
「弟夫婦がやるから私には関係ない」っていったくらいだから
義理の母にあたる祖母の介護はもっと関係ないんだろうなと思いました。
だけど母はあたしがウツだったときかなり苦労したんだって思うけどねw
とにかく壮絶な10年でしたから。
母親は無責任だけど娘のことについてはいやいやながらもやってくれていたのは事実だし、
あたしもそのときの感謝があるからここで文句をいいつつも介護をやってるのはありますね。
あたしも辛かったけどココロの病をもつ周囲っていうのもかなり辛いはずだろうし
どう接していいのかわからない人も多いって思うんだよね。
あたしの場合は境界例だったから余計にまわりは扱いにくかったと思う。
だからこそ昔からの友達には本当に感謝しています。

当時一番苦労かけたのは・・・やっぱ母親かなって思います。
家出していたとき相談をいつもしてたのは今介護をしてる祖母だったし
家出した先をさらに家出して夜の新宿のクラブ(というかカタリストっていうクラブが当時あってよく通っていた)をフラフラしてた時代があって
家に帰って来いといって家財道具を実家に無言で運んでくれたのは父親でした。
文句をいってばかりですが、振り返ると家族の姿がいつもあったんだよね。
ただ、ココロが病んでたあたしには見えてなかっただけで・・・
あのとき、いや数年前まで、あたしは口癖のように
「あたしには居場所がない」
っていつもいってたけど、
あたしにとっての居場所ってなんだったんだろう。
おそらく居場所はあったんだけど見えなかったんだろうね。
ずっと一人ぼっちだって思ってきたけど、それは独りよがりにすぎなかったのだろうね。
自分の中に入り込んでしまって周りが見えなかったし
見ようとしなかったのかもしれないなって思いました。
家族がいたのにもかかわらず、ここにあるものをあたしは見ようとしなかったんだろうね。
今介護をあたしがしてるのは、命の大切さとか絆とか
いろんなことを身をもって体験するための大切な時間なんだろうなって思っています。
息抜きは時々したいですけどw

*

ヘルパーさんができることと看護士さんにしかできないことっていうのは
実際に介護を経験しなければなかなかわかりません。
たとえば体温を測る行為ともヘルパーさんは法律上できないんです。
特に寝たきりの人は褥そう(床ずれ)ができやすいのですが
褥そうの処置とかたとえば絆創膏をはってあげるのも医療行為になります。
うちは平気だけど重症の呼吸障害を持つ要介護者もかなりいます。
そういう患者さんを祖母の入院先で必ず一人はみてきました。
だけど吸引行為(痰をだせないので機械で吸引してあげる行為)も医療行為ですが
これって患者さんの命にかかわることなんだよね。。。

ヘルパーさんのできる行動範囲や規則は狭いものですが
家族と同居してるとさらにかなり狭くなるんです。
1回何時間まで、間は4時間あけないといけないなど細かく規制されています。
ダンスの友人に
「介護があるから祖母の調子が悪いときはこれない」といったんですが
結構ヘルパーさんをよべば大丈夫なんじゃないかっていわれたけど
ああ、介護を経験していないとわからないんだなって思いました。
現実はそんなに甘くないです。
ダンスの時間は祖母が健康でいるときに自分がようやく捻出した時間というかんじ。

うちの場合はあたしがそんなこんなをほとんどやってるのだけど
一人暮らしで寝たきりの人なんて本当に大変だって思います。
だけどこういう法律にしても年々変わってきています。
今の要介護とかの制度も今後変わる可能性がかなりあります。

今日介護認定で父親とあたしで家族サイドの話を認定調査員の方にしていました。
話しているうちにあたしがどんなに思うように外に出られないのかっていうふうな感情的な話し方になってしまいました。
調査員の方に話をしていたけど父親にそういう感情ってあたしはめったに出さないので
調査員の人に話してるという設定で父に話したというかんじですね。

今日は午前中は認定調査員の方の応対でしたが
午後はこれから訪問看護師さんにきてもらうので
その対応が終わったらあたしはちょっと外出です。
本当は父親は金曜日帰ってしまいますが今日は頼んで夕食を父にお願いしました。

外は一週間前とは打って変わってなんだかあたたかなかんじ。
日差しも春になってきています。
外に出れば少しは気持ちが変わってくるかなぁ。

夕方から昨日話していた写真展と、自由が丘に安珠さんのハーバルタロットの2回目をうけにいってきま〜っす。
今月はメディスン・ホィール・スプレッドという展開方法でのアプローチ。
楽しみですw
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