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土曜日は焼そばの日!
そんなことになってるんでやんすよ、我が家ではw
祖母の食事を考えるのは毎回かなり大変、でした。
今は相当いいかげんですけどねw
やっぱね、ここまで生きてきてさ
いまさら食事制限とかさせるのはどーなわけ?
だって外にも出れなくなって食べること以外楽しみってないじゃん。
そう思うわけ。
もちろん管理はある程度はするけど、そんなわけでガチガチに管理はしていません。
お年寄りになるほどに趣味をもつ人って少なくなっていく気がします。
やっぱし若いうちに好きなことを好きなだけやることはどれだけ大切なことか。
これまでいろんなお年寄りに接してきました。
病院とかでいろんな人と話すといろいろその人の生き様がわかってきます。
お年寄りになるほどに趣味に対する情熱をもつ人が少なくなるのは
たとえば目がみえにくいとか手が動かないとか
いろんなかんじでだんだんやれることが少なくなります。
やりたくてもその不自由を乗り越えてまでやろうという情熱もなくなってくる。
となってくると彼らをみてると誰かと話すこととかがメインになるというのかな。
結局そういうコミュニケーションがもっとも人間らしい姿なのかなと思えてきます。
しかしうちの祖母はほかの誰かと話すのが苦手。
家族にも自分からはあまり話しません。
だから祖母にはなるべく声かけをします。
そして祖母に話し掛けるときは
かならず、返答を必要とするふうにききます。
「夕食なにが食べたい?」とかね。
だけど人間しゃべらなくなると失語というか
ことばがでなくなります。
コミュニケーションというのは誰かがいて
この人に何をどう伝えたいかを頭で整理してことばにしますが
コミュニケーションをとらなくなるとそれができなくなり
ことばを忘れ、物忘れも激しくなるのかもしれません。
祖母を見る限りそんなふうに思うことが多いです。
本当に声に出して誰かと話すこと、目を見て何かを感じ取ること
そういうものの必要性を感じることが多いのです。
あたしが台所で料理をつくり、出す。
祖母は出されたものを食べ、片付けや注射、投薬、入れ歯を洗うこと含めすべてをあたしがやっています。
いくら若くても昨日食べたものを忘れたりします。
祖母は上げ膳据え膳の毎日なわけで自分で買い物もできければ作ることもできない。
そんなだと食べたものどころか食べたことすら忘れてしまうこともあり
そんなこんなが昨年の秋ひどくなってかなりあたしは考えました。
これまで栄養管理ばかり考えていたけど
本当にそれで祖母は楽しいのだろうか?
どうせならすきなものを楽しく食べたほうがおいしいし幸せなんじゃないかと。
祖母は趣味もない。
テレビもみない。
誰かと交流するのも苦手。
祖父は音楽大好きだったけど祖母は興味がない。
買い物がすきだったけど自由にできなくなってしまったし。
祖母は何のために生きているんだろう。
何の目的で生きたいって思うんだろう。
つまり何かをしたいという目的がなければ
たとえば病気がよくなりたいっていうふうに思わないわけで
たとえば外においしいものを食べに行きたいとか
そんなでもいいから目的をもってほしいのだけどね。
モチベーションの問題ていうのかな。
モチベーションがなければリハビリもやらないわけだし。
疾病利得というのか
病気でいることが心地いい状態になられたらこちらがかなり大変なわけで。
とりあえず祖母に料理つくるのを参加させてみよう。
簡単に炒められたりかきまぜたりできるもの。。
...というわけでホットプレートをつかっていろいろやってみることにしました。
鍋でもよいけどホットプレートのほうが反応するのですよ(笑)
最初に牛乳や卵をつかってフレンチトーストやホットケーキから
「手伝ってくれるかな?」
ときいてみて一緒にやります。
子供とかいたらたぶんあたしはこんなふうな母親になるのかもしれないw
それくらい祖母には子供に話し掛ける口調で常に接しています。
「おなかすいちゃったのかな?もうちょっと我慢しようね」
ってかんじで接しています(笑)
子育てはしたことがないからなんともいえないけど
介護と似てるけど大きな違いはやはり人格の問題でしょう。
だから難しいのです。
子供は純粋だからそのままを受け止めるけどお年よりは
不安や恐怖という感情を知っているわけだし
さらにいえば死に向かう場所により近いわけだから
余計に接し方にも注意を要するとあたしは思っています。
たとえば子供用のベットとか策があったりするけど
これを老人施設でやってしまうと策をつけるのは人権問題になってしまうわけで
車椅子のベルトをすることも人権問題になります。
だから病院やそういう施設では通常「家族の同意書」が必要になります。
そういう人権問題や人格の問題に常に介護の場合接していなくてはいけなくて
今は個人情報保護法なんかがあるから余計にそれはかなり厳密になっているんです。
そういう状況をみてるとやっぱし介護って難しい問題なのに
本当に国家のやる福祉に対する問題は高齢化社会を迎えているのに遅すぎるって思うことばかりです。
*
話を戻して焼そばの話(笑)
ヤキソバというと油っこいイメージですね。
市販のものはかなりのカロリーです。
だけどうちでは麺は二人で一玉。
そのかわり野菜がメインです。
もやし1〜2袋にキャベツ1玉とかそんなかんじで野菜を食べるためのヤキソバですw
あたしは味を出すために長葱2本と豚肉を最初に炒めます。
麺が少ないし油はほんの少しラードをいれて
あとはあげ玉を適量加えます。
あげ玉は油と、小麦粉なのでカロリーは高いです。
でも、だからこそ適量が加わるとおなかがいっぱいになるし
そのうえ味もでるのでいれてます。
あとは小海老。
桜海老は好きだけど乾燥したのは着色の外国産ばかり。
無着色の小海老や沖あみのほうが使い易いし値段も手ごろです。
あとはかつおぶしの粉を使います。
麺をいれて水をいれて蒸しますが蓋をしてしばらく蒸すと
キャベツが芯までやわらかくなります。
祖母はいつもキャベツを残すんだけど、蒸すようになってからはおいしいといって食べるようになりました。
本当以前は野菜を食べてもらうのにかなり苦労してましたが
最近食べるからよかったなと。
そんなかんじで試行錯誤しながら土曜日は焼そばの日になりました。
料理をつくる過程で何かしら参加させることは
体験としてきちんと脳に残るもので
食べたことも、何を食べたのかもちゃんと覚えています。
父親は
「おばあちゃんはもうボケたんだからあきらめろ、おまえが大好きだったおばーちゃんじゃない。犬と同じだと思え」
とあたしに何度もいいました。
だけど何もやらずにあきらめるのはあたしには納得いきませんでした。
医者にみせても何かすごい悪くなったわけじゃないといって何もかわらなかったし
だけどあたしにはこのまま祖母を黙って見過ごすことがどうしてもできなくて、
あたしに今できること、あたしにしかできないことは何なのかを常に思っていました。
フラワーエッセンスを飲ませながらそんなことをやっていったら
今では全然記憶がまともになってきました。
今ではエッセンスもまったくとってません。
我ながら愛情はすごい力だなと思いつつ
料理に参加させることがこんなにまでかわるとは思いませんでした。
もちろん料理に参加させることも大切だと思うけど蜜に接することの大切さっていうのかな。
以前フロイトと発達心理学の関係について書いたことがあったけど
祖母を小さい子とみなした場合クチに入れる行為と密に接することと結びつければ
少しは何か変わる(発達)のでは?って思ったわけです。
たべることはやっぱ人間の心理学上でも基本なんだよね。
そんなわけでホットプレートのレパートリーをふやしたいです。
電気代がかなり気になってますが(汗
だってこの数か月かなりいってますからねw
今日はやたら所帯じみた話題になってますね。
なんとなく気恥ずかしいすナw
そんなことになってるんでやんすよ、我が家ではw
祖母の食事を考えるのは毎回かなり大変、でした。
今は相当いいかげんですけどねw
やっぱね、ここまで生きてきてさ
いまさら食事制限とかさせるのはどーなわけ?
だって外にも出れなくなって食べること以外楽しみってないじゃん。
そう思うわけ。
もちろん管理はある程度はするけど、そんなわけでガチガチに管理はしていません。
お年寄りになるほどに趣味をもつ人って少なくなっていく気がします。
やっぱし若いうちに好きなことを好きなだけやることはどれだけ大切なことか。
これまでいろんなお年寄りに接してきました。
病院とかでいろんな人と話すといろいろその人の生き様がわかってきます。
お年寄りになるほどに趣味に対する情熱をもつ人が少なくなるのは
たとえば目がみえにくいとか手が動かないとか
いろんなかんじでだんだんやれることが少なくなります。
やりたくてもその不自由を乗り越えてまでやろうという情熱もなくなってくる。
となってくると彼らをみてると誰かと話すこととかがメインになるというのかな。
結局そういうコミュニケーションがもっとも人間らしい姿なのかなと思えてきます。
しかしうちの祖母はほかの誰かと話すのが苦手。
家族にも自分からはあまり話しません。
だから祖母にはなるべく声かけをします。
そして祖母に話し掛けるときは
かならず、返答を必要とするふうにききます。
「夕食なにが食べたい?」とかね。
だけど人間しゃべらなくなると失語というか
ことばがでなくなります。
コミュニケーションというのは誰かがいて
この人に何をどう伝えたいかを頭で整理してことばにしますが
コミュニケーションをとらなくなるとそれができなくなり
ことばを忘れ、物忘れも激しくなるのかもしれません。
祖母を見る限りそんなふうに思うことが多いです。
本当に声に出して誰かと話すこと、目を見て何かを感じ取ること
そういうものの必要性を感じることが多いのです。
あたしが台所で料理をつくり、出す。
祖母は出されたものを食べ、片付けや注射、投薬、入れ歯を洗うこと含めすべてをあたしがやっています。
いくら若くても昨日食べたものを忘れたりします。
祖母は上げ膳据え膳の毎日なわけで自分で買い物もできければ作ることもできない。
そんなだと食べたものどころか食べたことすら忘れてしまうこともあり
そんなこんなが昨年の秋ひどくなってかなりあたしは考えました。
これまで栄養管理ばかり考えていたけど
本当にそれで祖母は楽しいのだろうか?
どうせならすきなものを楽しく食べたほうがおいしいし幸せなんじゃないかと。
祖母は趣味もない。
テレビもみない。
誰かと交流するのも苦手。
祖父は音楽大好きだったけど祖母は興味がない。
買い物がすきだったけど自由にできなくなってしまったし。
祖母は何のために生きているんだろう。
何の目的で生きたいって思うんだろう。
つまり何かをしたいという目的がなければ
たとえば病気がよくなりたいっていうふうに思わないわけで
たとえば外においしいものを食べに行きたいとか
そんなでもいいから目的をもってほしいのだけどね。
モチベーションの問題ていうのかな。
モチベーションがなければリハビリもやらないわけだし。
疾病利得というのか
病気でいることが心地いい状態になられたらこちらがかなり大変なわけで。
とりあえず祖母に料理つくるのを参加させてみよう。
簡単に炒められたりかきまぜたりできるもの。。
...というわけでホットプレートをつかっていろいろやってみることにしました。
鍋でもよいけどホットプレートのほうが反応するのですよ(笑)
最初に牛乳や卵をつかってフレンチトーストやホットケーキから
「手伝ってくれるかな?」
ときいてみて一緒にやります。
子供とかいたらたぶんあたしはこんなふうな母親になるのかもしれないw
それくらい祖母には子供に話し掛ける口調で常に接しています。
「おなかすいちゃったのかな?もうちょっと我慢しようね」
ってかんじで接しています(笑)
子育てはしたことがないからなんともいえないけど
介護と似てるけど大きな違いはやはり人格の問題でしょう。
だから難しいのです。
子供は純粋だからそのままを受け止めるけどお年よりは
不安や恐怖という感情を知っているわけだし
さらにいえば死に向かう場所により近いわけだから
余計に接し方にも注意を要するとあたしは思っています。
たとえば子供用のベットとか策があったりするけど
これを老人施設でやってしまうと策をつけるのは人権問題になってしまうわけで
車椅子のベルトをすることも人権問題になります。
だから病院やそういう施設では通常「家族の同意書」が必要になります。
そういう人権問題や人格の問題に常に介護の場合接していなくてはいけなくて
今は個人情報保護法なんかがあるから余計にそれはかなり厳密になっているんです。
そういう状況をみてるとやっぱし介護って難しい問題なのに
本当に国家のやる福祉に対する問題は高齢化社会を迎えているのに遅すぎるって思うことばかりです。
*
話を戻して焼そばの話(笑)
ヤキソバというと油っこいイメージですね。
市販のものはかなりのカロリーです。
だけどうちでは麺は二人で一玉。
そのかわり野菜がメインです。
もやし1〜2袋にキャベツ1玉とかそんなかんじで野菜を食べるためのヤキソバですw
あたしは味を出すために長葱2本と豚肉を最初に炒めます。
麺が少ないし油はほんの少しラードをいれて
あとはあげ玉を適量加えます。
あげ玉は油と、小麦粉なのでカロリーは高いです。
でも、だからこそ適量が加わるとおなかがいっぱいになるし
そのうえ味もでるのでいれてます。
あとは小海老。
桜海老は好きだけど乾燥したのは着色の外国産ばかり。
無着色の小海老や沖あみのほうが使い易いし値段も手ごろです。
あとはかつおぶしの粉を使います。
麺をいれて水をいれて蒸しますが蓋をしてしばらく蒸すと
キャベツが芯までやわらかくなります。
祖母はいつもキャベツを残すんだけど、蒸すようになってからはおいしいといって食べるようになりました。
本当以前は野菜を食べてもらうのにかなり苦労してましたが
最近食べるからよかったなと。
そんなかんじで試行錯誤しながら土曜日は焼そばの日になりました。
料理をつくる過程で何かしら参加させることは
体験としてきちんと脳に残るもので
食べたことも、何を食べたのかもちゃんと覚えています。
父親は
「おばあちゃんはもうボケたんだからあきらめろ、おまえが大好きだったおばーちゃんじゃない。犬と同じだと思え」
とあたしに何度もいいました。
だけど何もやらずにあきらめるのはあたしには納得いきませんでした。
医者にみせても何かすごい悪くなったわけじゃないといって何もかわらなかったし
だけどあたしにはこのまま祖母を黙って見過ごすことがどうしてもできなくて、
あたしに今できること、あたしにしかできないことは何なのかを常に思っていました。
フラワーエッセンスを飲ませながらそんなことをやっていったら
今では全然記憶がまともになってきました。
今ではエッセンスもまったくとってません。
我ながら愛情はすごい力だなと思いつつ
料理に参加させることがこんなにまでかわるとは思いませんでした。
もちろん料理に参加させることも大切だと思うけど蜜に接することの大切さっていうのかな。
以前フロイトと発達心理学の関係について書いたことがあったけど
祖母を小さい子とみなした場合クチに入れる行為と密に接することと結びつければ
少しは何か変わる(発達)のでは?って思ったわけです。
たべることはやっぱ人間の心理学上でも基本なんだよね。
そんなわけでホットプレートのレパートリーをふやしたいです。
電気代がかなり気になってますが(汗
だってこの数か月かなりいってますからねw
今日はやたら所帯じみた話題になってますね。
なんとなく気恥ずかしいすナw
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