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スピリチュアル。

この言葉が最近独り歩きしている気がしてならない。

あたしのヒーリングやスピリチュアルへの原点は
アッシジの聖フランシス(フランチェスコ)の祈りを知ってからでした。

太陽や月、風、水、火...大地などの
自然の賛美などが彼のその崇拝するものだったけど
それを知ったのはタロットのルーツを調べていって知った魔術がきっかけでした。

もっといえば魔術には魔女術(ウィッチクラフト)と錬金術やレメゲトン、ゲーティアなどがあるとわかり
さらにウィッチクラフトからペイガニズムについて調べたことから始まったわけです。

魔女(Wiccan)は自然を賛美し、
ハーブなどを用いたウィッチクラフトという魔女術を使うわけです。
自然崇拝者というか日本で言えば巫女さんというか、シャーマンですかね。
(あたしがハーブやアロマに走る原点はウィッチクラフトからでした笑)
しかし彼女たちはキリスト教の教会権威主義により
魔女狩りなどの形で中世迫害を受けたのです。

よくスピリチュアルの世界で「輪廻転生」についてもいわれるけど
キリスト教は輪廻転生を認めないのね。
それもまた教会権威主義からです。

正確に言えば初期キリスト教は認めていたのですが
553年のコンスタンチノーブル宗教会議のときに
輪廻転生の部分は否定されて聖書から削除されたわけです。

こんなふうに、哲学や思想の本はとてもあたしにとっては面白かったんです。
それにはキリスト教の歴史やら聖書の理解なども要するので
必然的にさまざまな宗教や思想をかじることになったのだけどね。
ユダヤ教、フリーメイソン、薔薇十字団、神智学、道教、チベット密教、形而上学、大乗仏教...などなど。

いろいろ宗教を調べてみて思ったことは
「教え」などを教義としてまとめたり、聖なる書物としてまとめあげると
さまざまな因果関係が生まれてせっかくの教義ってつぶれてしまうものだなと感じましたね。
キリストにしたって、本来はここまで大きくなって
さまざまな宗派がでて争いになったりすることなんて望まなかっただろうにと思います。

そしてあたしはといえば、
親戚筋が代々宮司をやっていて神奈川にお宮をもっているんですよ。
お祭りの手伝いを小さいころやったり
巫女の経験をしたことが数回あるなど
そういう神社のウラ?のようなものも少しはかじっている部分もあります。
御祓いとか祈祷、そういうものも幼少のころからずっと見ていました。
そういういろいろを考慮すると
あたしが占いやらこういうオカルティックなものに関わるのも
ごく自然な流れだったのかもしれません。
そう、スピリチュアルってオカルトでもあるから。
オーラソーマにしても図書館ではオカルトの分類ですよね。

クリスチャンスクールに学生のとき通っていて
そのときにキリスト教の学校のウラ事情のようなものをわかってしまい
それからというもの、どんなに宗教の授業でやったって
あたしは特定の宗教を信じることはなかったし、
きっとこれから先もないと確信したんですよね。

それならば、さまざまな宗教や思想・哲学を知り、
自分なりに消化していくことで
オリジナルの思想・哲学を一生かけてつくっていくほうがカスタマイズ自由でいいなと思ったわけですよ。
いわばマイ哲学ですね(笑
人が敷いた道(思想や宗教)を、どんなに感銘をうけてもそのままは歩きなくないというアマノジャクなので(笑
そもそも戒律だの規則のような拘束が苦手な人間だしw

しかし、さきほど少し話した
聖フランチェスコの祈りの言葉において
自分の中の何かがガツンとやられてしまったわけです。
以下がその祈りの言葉。

*

主よ、私を平和の道具にして下さい
憎しみあるところに、愛を、
傷あるところに、許しを、
疑いあるところに、信頼を、
絶望あるところに、希望を、
闇あるところに、光を、
そして、悲しみあるところに、喜びを
もたらす者にさせて下さい

主よ、慰められるよりは、慰めることを、
理解されるよりは、理解することを、
愛されるよりは、愛することを
求める者にして下さい
与えることによってこそ、受け取ることができ、
許すことによってこそ、許され、
死ぬことによってこそ、永遠の生命に生まれる
ことができるのですから

*

こういう生き方ができればいいなと強く思ったわけです。
そしてこれはマザーテレサをも魅了したという逸話があります。
逆に言えばマザーテレサを作り出したのは聖フランチェスコだともいえますね。

今すぐにでもそうなるのなんて、絶対ムリ。
だけど一生かかってならば、そういうふうに生きられるかもしれない。。。


スピリチュアルがここまで一人歩きしてしまうことは
個人的には危惧していることなんです。
少なくともあたしが初めてヒーリングやスピリチュアルなものをやりはじめたときと
状況が一変しているという事実にあります。

その一変のひとつに
テレビによるエンターテイメントとしてのスピリチュアルの存在があります。
ヒーリングブームであるのはわかっていました。
でも、人はそれ以上のものを追及したくなったのでしょうか。
とにかくマスコミの影響力はすごいですね。

たとえば彼らがまことしやかにウソをついても
(その可能性が昨今非常に高くなりつつあるようですが)
「エンターテイメントなので信じるほうが悪い」
ということにもなりかねない危険・中毒性があるわけですよね。
彼らの報道というものに対する意識が確実に薄れている以上
(新聞社の盗作問題もしかり)
「お手軽」に”信じる”のは「キケン」だとあたしは思うの。
寂しい世情だけど仕方ないのよね。

そしてスピリチュアルをエンターテイメントに持ち込むのは
それを単に癒しの「手段」として用いるだけならいいのだけど
スピリチュアルがすべてになってしまってる人で
スピリチュアルが「生きる目的」となってしまう人が危険だといわざるを得ないのね。
すなわちグラウンディングできない状態になったときのことをいうわけです。
グラウンディングっていうのは
"Ground+ing"
で、地面にしっかり足をつける、って意味が直訳みたいなかんじですけど
スピリチュアルなことって、精神的なことだから(和訳しただけですがw)
自分の核がしっかりしてないと
よそみ運転はいけませんよっていうのかな、
自分の肉体を自動車だとしたら
運転をしっかりしないとってことね。
人間は
肉体(Body)とココロ、感情(Mind,Heart)と魂(Spirit)
でなりたつわけだからね。
その3つのバランスを保ちつつ、
スピリチュアルな世界を楽しまないといけないわけですよ。
スピリチュアルを追求するも叱り。
だって、あたしたちは「現実世界」に「生きている」人間なんですもの。
そうでもしないと「運転」がふらついていては
悪いエネルギーを感じ取ることができなくなります。
そういう方面に引き込まれていって悲惨なことになりますよ?

そうだな、流行の言葉でいえば「オーラ」と関係しますね。
というか、「オーラ」が日常語になってしまうこと自体どうよって思うのですけどね。
あたしはオーラとはいわず、あえて
「エネルギー」
というふうにいうんですけどね。
厳密に言えばオーラとエネルギーも区別すべきですけどね。
というか人をとりまくエネルギーの総称をオーラといったらいいのかな。
オーラのエネルギーは見えることはできないけど
感じることは、あたしはできます。
というか実際感じている人って多いと思います。
ただ、意識して集中できるかどうかだって思うんです。
あたしも年中感じるわけじゃないしw

話がとびましたが
スピリチュアルがすべてになってしまってる人で
自分の中に確固としたものがない人が多く見られますよという意味なんです。
そういう人は他人にエネルギーをもてあそばれる可能性が大きいと思われます。
とてもキケンだしもったいないことだって思うのですよ。

その人にとってエンターテイメントでおわるだけのスピリチュアルならさっぱりしてて後腐れがなくていいんです。
何がやっかいかといえばほかでもなくて
「魂が」
「守護霊が」
っていう言葉が、
夏にある怪談だの心霊特集だのっていう
ある意味笑いを含んだコミカルなエンターテイメント(さっきいった後腐れのないもの)でなくて
半分くらいシリアスに
「やっぱりカルマが解消されてないからこんなに辛いことが続くのかなぁ」
とか
「前世にあの人と出会っていたからこんな関係なのね」
なんていう人が多いということ。

いっときますけど
わかってると思うけど
カルマも前世も見えないものです。
いわれた人が感じられなくても
その道の人だと相談者がそれっぽいと思ってしまえば(相手を信じること)
いってみれば自分に確固たるスピリチュアルの思想がなければ
相手がいわゆる詐欺でも騙されてしまうわけです。
よくありがちなのが霊感商法ですよね。
今電話占いでも霊視っていうの結構ありますね。
電話の占いの占い師は多くは登録制。
かつてのあたしの同僚もそれを副業としていました。
しかし多くが
「占わなくていい。話をきいてほしい」
だそうです。
これだけスピリチュアルやヒーリングがはやるには
それなりのバックグラウンドがあるわけですね。
それにオウム(アーレフ)にしても派閥がわかれているとかで
ここに限らずとも新興宗教とスピリチュアルとの絡みも気になります。
気づいたら「グル」にすごくお金払い込んでいたとか。
あたしの知り合いの中には
「チャネリングのグル」としている人にすごくお金をみつがされている人もいるくらいです。

ここまでスピリチュアルに傾倒する人が多いのは
雑誌やテレビの影響以外に他ならないと思うのです。
そしてよくあるのがさっきも少し話した
「占い」との組み合わせでもあるわけです。
オナゴは占いが大好きですからね(笑

あたしもタロットなどやる人間なのですけど、
今はカンタンにパソコンでCGIを組んで占いができるわけです。
つまり、タロットならばそのカードを持っていなくても
プログラミングさえできればいいってわけです。
しかもCGIとか程度がわかればいいってことですよ。
まぁ極論ですけどね。

「あなたの前世のカルマでわかる今の恋愛」
だなんてありそうでしょ?
先日なくなった丹波哲郎氏が「霊界は」というのと
江原氏が同じことをいうのでは違うでしょう。
それは江原氏は女性誌(女性のオピニオンリーダー)を味方につけている点が多いにあるんでしょうね。
あたしはTVは見ないけど、どうやら江原氏は言葉を選ぶ感じなので、
そういうソフトなイメージ路線が今の時代に受けているのかもしれない。
江原ファンには怒られるのでしょうけど
あたしからみれば
「夢で教えられた呪文を唱えたら急にモテ始めた」
っていってた男性となんら変わらないんですよ。
自分のカリスマ性を悪用してるかしてないかとか
それだけのことだって思うんですけどね。
昨日の記事に書いたけど
「夢で教えられた呪文」の人は
催眠を使ったとかいっていますが
催眠の場合は相手には意識がしっかりあります。
マインドコントロールだと相手に意識がないわけです。
自分をすべて相手にゆだねてしまうというわけですからね。
あの呪文の事件は、どうしても
「呪文の内容が知りたい!オレもモテたい!」
って人が絶対いるはずだって思うんですが(笑
おそらく呪文は関係ないでしょうね。
要するに相手とマインドコントロールする人の距離感だって思います。
その男性は占いやカウンセリングをしていたといいますが
そういう手口を使ったのでしょうね。

あたしの場合ですが
たとえば占いでお話を聞く場合と
普段お話で会話するのとは話し方を変えています。
というよりカウンセラーにしても
そういう話し方なはずです。
まぁそのあたりは詳しくは書きませんけど(笑


まぁそんなことも含め、何が怖いかといえば、
スピリチュアルにハマるのがほとんどが普通の女性であることですね。
さらに厄介なことにそちらの世界の知識のない人(いわゆる一般人)が多いこともまた由々しき事実。
こちらの世界の知識が必ずいるかというと、そんなことはないのもまた事実。

だって、前世も、カルマもオーラも、魂も、
どれをとっても普通の人にはなかなか目に見えないものだから。
目に見えても証明できません。
最近はオーラを写真で見るっていうのもあるみたいですけどね。

普通の人がハマるということがどういうことか、についてですが、
正月に親戚の家にいったのだけど
イトコの母親、つまりは叔母が
おもいきりそういうスピリチュアルにハマっていて
江原氏の信者になっていたわけですよw
「私は細木某より江原さんのほうが好き」
それはそれでかまわない。
だけど厄介なのはそれを「すべて」として信じ込むということ。
ちょっとでも否定すると全力で怒るとか(笑
ある意味幸せではあるけど、危険だって個人的に思うのね。
叔母はもちろんユングのことも知らなければ
まさかシュタイナーの神智学だなんてわからないだろう。
シュタイナーの理論でいえばアストラルが、エーテル体は..
だとか、そういう理論を知っていればいいという問題でなくて
問題なのは「鵜呑みにしてしまう」という精神状態だ。
現に叔母はあるあるの健康食品を次々にとってたりする。
たしかに健康食品は健康には変わらないけど
要は単品で健康になろうということ自体が
その人のココロの安さ(精神的エネルギーの流動性ともいうべきか)をあらわしていて、
スピリチュアルに関しても(ry

それは別に叔母を批判とかでなくて、
そういう人が実に多いということをいいたいのね。

何度も書いているけど
「無知の知」というか、
知らない、を知らないことが最も怖いこと。
すべてを鵜呑みにしてしまうことの怖さというか
疑いをしらないという純粋さというか。
真の知は、すべては知らないことを認めて初めてスタートするのだから
(Byソクラテス⇒「真の知」を身につけた人を「徳ある人」としたわけです<プラトンの真知とは違います)

しかも、時代を象徴しているなとかんじるもののひとつに
占いというものと「カウンセリング」というのが
ここ最近重なりつつあるという現状があります。
占いの看板を掲げるところに
「占い・カウンセリング」
というのが多いですよ、最近。
臨床心理士などの国家試験資格をもつ人はほとんどいないだろうし。
たしかに
「話をきいてほしい!」
という気持ちは、悩んでいるときこそMAXに募るものだよね。
藁をも掴んだものがたとえば悪徳業者やマインドコントロールの一種だったという例も
さきほども話したけど犯罪ということで現にいくつも検挙されているでしょう?

そういう見極めが、特に悩んでいるときはできにくいものだから
余計にキケンな風潮だって思うんだよね。
悩む前にもっと自分を癒す方法を
世間に流されずに一番の方法を見つけておく必要があると思うよ。
あとは今さっきいった「真の知」ですね。

パワーストーンにしても最近本がよく出ているし
いろいろ出回っているけど
品質のよくないものを高く売るところも多いです。
それ以前に石とのつきあい方ももちろんあるし。
あたしの場合特に石に対しては、
「邪気」(マイナスのエネルギー)を吸った石だと触っただけで数時間たたないうちに熱がでてしまうとか
いきなり気分が悪くなって頭痛や吐き気がとまらずにいて
浄化したとたんにおさまるということも多いんです。

あたし自身がエネルギーの触媒になってしまう感覚が
6年くらい前から特にあります。
別に霊能力とかはないし
何か幽霊が見えるとかそういうのってのもないんですけどね。
だけど「嫌なもの」を感じることはありますね。

結構辛いことがあってスピリチュアルに目覚める人も多いですね。
だけど、辛いことが教えてくれる教訓って、
本当は実に大きかったりします。
スピリチュアルは「逃避」のためにあるわけではありません。
自己や真理を探求するために、そもそもあるのですからね。

たとえば辛いことをスピリチュアルの観点から述べれば
「"ギフト"であってその人に必要だったこと」
というわけですね。
Giftである「試練」がその人を成長させていくんだよという考え方です。
その試練のことをカルマとか業とかいうわけですが
試練、は西洋的な表現でカルマや業は東洋的ですよね。
だけどカルマや業といったことはまたちょっとニュアンスが違うというのかな。
前世において遣り残してしまった宿題みたいなものをカルマっていいます。
だから自分がやってうまくいかないって空回りしてるときなど
何かに気づくことで流れたりしますよね。
そういうような自分の問題に気づくこと、を意識的にやっていくようにすればよいわけです。
要するにネガティブなエネルギーであるわけですから
ネガティヴになっている原因を自分の中に見つける
(トラブルに対して自己に問題意識をもつ)わけですね。
...というわけで前世や輪廻転生を否定するキリスト教では
、カルマって言葉は使わないで試練っていいますよね(多分)

ヒーリングというのはもともと
さっきも話したように聖フランシスのように
自然を賛美し、癒されていくものだと個人的に思うので
そこには自然がなくなりつつある現状なども考慮しないといけないけど
ただはやっているからっていう一過性の理由でというのは個人的にはあまり賛成しないんです。
自分を変えるきっかけ、になるならいいんですけどね。

どこかしらないうちにマインドコントロールされないために
日ごろから自分自身の求めるものについて
しっかり再確認することが大切なんだって思いますよ。
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