fc2から移行検討用
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
さあ、さぁ、おたちあい、おたちあい。
ご用とお急ぎでない方は
ゆっくりとれいあの話を聞いておいで、れいあのブログを見ておいでw
って、冒頭から四六のガマの油売りとかしている場合じゃありませんぜ、ダンナ!
今日は何の日?
え?しらないのぉ〜!?
ちゅーか、知っとけ!w
れいあの、、たんじょうびだよぉ〜!
あ゛〜〜〜〜っ!!(にしおかすみこ風にw)
というわけもあり昨日はどこかに遊びにいこうってなったんですが
どこがいいといわれて迷わず「浅草!」といったあたし。
昨年の誕生日はなにが食べたい?ときかれて
「れいちゃん長崎ちゃんぽん食べたぁ〜いw」
といったあたしだったんですが
もう「れいちゃんはねぇ」なんていってる年齢じゃありませんよ!(とっくにw)
今年はちょっぴりグレードアップ。
「れいあたん、うなぎ食べたい☆」
になりましたよ、みなの衆w
で、うなぎを食べに浅草道中ときたもんだ!
というかそのお誘いくださった方のイメージが
あたしの中ではなぜか浅草なかんじなのでそう答えたんですけどねw
もうひとつの候補は餃子スタジアムだったんですけどねw
それは今度機会があればみんなでいったほうが楽しそうだったんで
別の機会にしとこうって思ってたわけですね。
浅草はあたしのルーツでもあります。
今は品川にいますが家系をたどるとうちの祖母は神田に生まれたんですが
祖母の両親は浅草、さらにその前はお江戸日本橋に住んでいたわけなんです。
ルーツに帰るというかんじですね。
(日本橋のさらに前(江戸時代〜それより前)は兵庫の播磨みたいですw)
朝家を出ていつものようにi-Podききながら駅まで歩いていたら...突然、
昨日も書いたようにヘッドフォンの音がいきなりでなくなりました。
しかも1曲目が終わらないうちに!
なんかねぇ、ドとレとミとファとソとラとシの音が出ませんよ!?
「ど〜しよっ!」ってかんじよ?
あんなに大事にしてたのにね〜
ちゅかやっぱヘッドフォンつけて踊ったのがいけなかったんですかね。
誰か踊るのをとめてほしかったんですけどね。
このあたしの気持ちはもう誰にもとめられないのよ!
音楽をきいたらDon't Stop!Non Stopれいあちゃんですよ!ハニーw
で、ハイ、浅草つきました。
まず亀十を横目でチラ見。
亀十はどらやきが有名なんだけどあたしは松風が大好き。
黒糖のスポンジの中にあんこが入っています。
で、雷門前に。

以前あたしは雷門を通り過ぎたときある日本人男性に声をかけられました、
「Please take a picture.Push this button,Ok?」
とかなんとか。
日本語じゃねーじゃんw
この人日本人に見えるだけかなと思って、しかしあたしも思わず
「Yeah!」
って、つられて英語じゃん(一応w)
でその人が立ち位置に戻りました。お隣にいたのはやはり日本人らしき男性。
なにやらその人たちは日本語で会話してますよ?
写真とりました。
「Thank you!」
ってやっぱあたしには英語じゃん?
....外人と間違われたっぽいw
つーかめちゃくちゃ日本人顔だって思ってるのに...
友達にすぐさまメルをすると
「れいあさ〜ん、そんな派手な格好してあるいてたんですかwww」
といわれましたw
んなこたぁない。
そんな記憶が残る雷門をあとにうちらは仲見世を通りました。
時間もいい頃。
お昼前です。
あたしは途中で左折して新仲見世通りに入りました。
ちょっと歩くとおめあてのうなぎやさん。
ここは今介護をしてる祖母とか昨年なくなった大叔母とかに連れられて
昔からちょくちょくきてた店。
だけど昔の記憶ってあんましなくて
この数年は祖母や大叔母なんかの体調もあり
あたしが一人でお店にいっておみやをつくっていただき
おうちに持って帰って食べることが多かったんですよね。
ここのうなぎ、大好きなんですが
まずお米のたき方が好き。
お米のつぶがたつかんじ。
ふっくらしていて、だけどうなぎやたれとなじむようにサラっとしている、
たれは甘さ控えめでサラサラ。
よくあるうなぎのたれは甘めでごはんにべったりつくかんじだけど
ここのは違うのよ。
サラっとしてるのにごはんによくなじんでおいしいの。
うなぎも、関東はそうなんだろうけど、しっかり蒸されていて
ふっくらして、骨もやわらかい。
クチに入れた瞬間ふわっととろけるかんじです。
おはしでほぐしたときたちこめる湯気と同時にあじわうニオイも格別。
ここはそれとは別に玉子焼きがおいしいです。
浅草に来る機会があれば、ぜひとも立ち寄ってもらいたい名店。
うなぎの店ではありますが価格はかなりリーズナブル。
基本的に「うなぎは庶民の食べ物」ってかんじの店で気取りがまったくない。
「ちょっとうなぎでも食って一杯飲んで帰ろうか」的な店。
だけどあたしくらいの年代でこれがわかる人って少ない。
というか「粋(イキ)」がわかる人ってあんましいない。
東京の下町ってこんなとこですっていうかんじの店ですね。
一緒にいったお友達はそれがとてもわかる人だと思っていたので
あえて連れて行きました。
ていうか、その、ごちそうさまでしたw
そのあとどこにしようかって話をすすめつつ
「とりあえずここまできたんだから
まず浅草寺に行き〜の、人形焼食い〜の、梅園でおしるこ食べ〜の」
ってなんだか食ってばかりのヨカーンw
とりあえずやげん堀にいきたいってかんじで粉山椒と唐辛子を買いにいきました。

やげん堀の起源は両国らしいですね。
やげん堀の七味唐辛子は漢方がヒントみたいです。
個人個人の調合もやってくれますが中辛がバランスがとれているのでオススメです。
仲見世に戻りました。
まずめざすは浅草寺。
しかし...あれあれ?食いしん坊の友達が人形焼に目がくらんでいますよ?w
そんな彼をスルーして、いざ浅草寺へw



お参りが終わったところでお隣の浅草神社もせっかくだからと思いいきました。
1月6日は出初式が、7日の日は七草で恒例のかるた大会があります。
あたしは中学と高校のとき百人一首が大好きで
もちろん上の句下の句100首全部覚えていたし、
中学・高校と百人一首大会で優勝経験をもちますw
これ、ちょっとした自慢w
今はまったくもって忘れましたww
でも古典文学は大好きです。
浅草神社に入ったくらいから、ちょっとあたしは別な世界に心が入っていました。
なんか急に、別世界に。。。
そして浅草神社境内でな、な、なんと!猿回しをやっていたんですよ。
初めてみたよ、ナマのサルマワシw

このかけあいがいいですね。
最初から見ていれば500円くらいペイしてもよかったんですが
最後だけだったんで100円だけペイしました。
結構若いおにいちゃん。
がんばれよ!
で、不思議感覚は引きずったまま友達にこんな話をしはじめました。
この浅草、近くに吉原ってあるでしょ?
風俗で有名ですが、まぁ昔からある遊郭ですよね。
先日、とある雑誌で関東大震災のときの吉原の遊女たちの死体写真が公開されたということで
地震の掲示板でちょっと論議をよんでいました。
本当につい先日のことだったんですけどね。
江戸はよく火事にあいました。
そしてこの吉原も大きな火災に何度もあっていたようです。
関東大震災のときの火災はかなり有名ですが吉原もまさにそうだったようです。
吉原の周りは治安維持のためとか統率しやすいようにお堀で囲っていたそうな。
そして吉原が炎上したときに池の中に遊女たちは飛び込んだらしいのですが
おぼれそうなところを周りが火の手なので次々池の中に助けを求め飛び込んでいったんですが
深さが4メートルあったため助かるどころか溺死した人が相当いたらしいんですよ。
そのときの溺死写真が週刊雑誌に公開されたらしくて
それについて論議されたんです。
そのくらい地震は怖いのだとか防災しとけよってことを投稿した人はいいたかったようなんだけど
地震と溺死は関係ないとかいう人もいて、
だけどスマトラの津波とかもそうだったとかいろいろな論議を呼んでいました。
ジュセリーノの予言だと今年は川崎で2月にM6.3の地震が、
今年中に東海地震がM8以上のが起こる(M8.6だそうです)と予言がありますね。
遊女が飛び込んだその池をあたしは、なぜか不忍池だってずっと思っていました。
そんな話を友達にちょっと浅草神社でしてました。
友達はそのあと人形焼を買い(笑)
さらに、せっかくだしぃ〜といって梅園に行きました。

浅草に来たなら知らない人はいない!というくらいの梅園。
おしるこやあんみつなどの甘味で有名。
あたしは粟ぜんざいを食べました。
ぜんざいといえば、あたしの中では博多、中洲の川端ぜんざいなんですよ。
上川端の商店街にある川端ぜんざい広場。
博多といえば明太、ラーメン、おきゅうとに川端ぜんざい。
川端ぜんざいと梅園のそれはまったく異なる味。
川端ぜんざいはどちらかといえばよ一般的に知られたぜんざいというかんじですが
梅園のは相当濃厚でのどがかわくくらいに甘いw
梅園とどちらがいいのかといえば、個人的には中州の善哉ほうが好みかな(笑)
でも浅草見物に来た方はぜひ一度はお試しください。
思わず浅草だけでなく九州のほうまで書いてしまいましたw
ちかっぱ好いとぉよっ★
この伝法院通りの風景って大好きです。
イキでイナセなかんじでとってもステキ。
時代劇に出てきそうなんだよおまいさんw


伝法院通りを”まっつぐ”すすむと(笑)
左手に、あらあら今日もまた大行列でありんすね。
浅草名物?大黒家さんです。
天丼の名物店ですね。
このあと新仲見世通りを抜け国際通りへでて鷲神社を目指しました。
鷲神社といえば酉の市、なわけですが関東独自の風習みたいですね。
熊手で福を掻きこむ、かっこみといわれているものは
特に商売をやる人にはなじみがあるはず。
酉の市のときしかあたしはいったことがないんだけど
そのときは夜店がずらりと並んでいるので
いざ普段の日に行こうとするとすごい遠く感じるから不思議です。
その途中でわき道にふらっと誘われるがままにいったのが
浅草一文。
ねぎま鍋で有名なお店、居酒屋さんです。
居酒屋なのでその時間は空いていませんでしたが
くじら鍋とか江戸料理が楽しめます。
ねぎま鍋はあたしも大好きで家でもよくやります。
一文に寄り道してしまったがために千束通りにでてしまい
方向感覚を失って、再び国際通りに戻り、鷲神社についたときにはちょっとあたしはヘトヘトにw
ちゅいたぁ〜っ...




社務所にランドセルを背負った小学生の女の子がきてて
思わず昔の自分を思い出しました。
前にも話したけど、あたしって神社の家系なんですよ(いまや過去形なんですが)
小学校のときとかお祭りとかでやる「舞い」の練習とかしたりしました。
おそらくは今のダンス好きと関係するのかもしれませんねw
お祭りのときはあたしの大叔父にあたる神主が境内でタイコたたいて舞いを踊ってお餅を配るんですが
そのタイコたたいたり御餅配ったりもしました。
あたし学生時代バンド組んでいたんですがドラムをやってたんですよね。
考えてみたらそういう昔、神社でのいろんなお稽古が今のあたしを作っているんじゃないかって思いました。
いつも太鼓たたくときは何も反応しないんですが
小さい頃よく大人には見えない何かを見ることが多かったらしくて
悪魔祓いをしによくお参りにつれてかれました。
悪魔祓いされてるのに大人になって魔術するっていうこの矛盾w
入谷の鬼子母神とかでやってもらうことが多かったけど
5歳くらいんとき鬼子母神の方にお払いを受けてるとき何かをかんじて太鼓たたいてるほうにめちゃくちゃ近づいていろいろ話しかけたらしいのよ。
でもあたしは存在してない人に話しかけてたらしくて
「この子は霊感が強いみたいですね。大人になれば徐々に平気になると思います」
みたいにいわれたようでそれ以来お払いは行かなくなりました。
*
あたしは浅草に来ると台東区循環バスめぐりんを利用します。
100円でバスに乗れるのでちょっと遠いときに安く利用できて便利です。
で、このめぐりんの停留所を探していたんですが
この付近だと中途半端で吉原方面に行かないとだめそうだっていうんで
ならばと吉原弁財天を目指しました。
浅草七福神めぐりになっちゃうねとかいいながら。
その途中でこんな店発見↓

以前からこの友達にはVOWネタがあると写真をとってなぜか送りつける習性があたしにはあって(笑)
変なカンバンとかお店があるとカメラで写真とって送るんですが
そんなかんじのお店がいろいろありましたw
ちなみにVOWとは昔宝島っちゅー雑誌があって、かつてはサブカル中心の音楽雑誌、
後半にはエロ雑誌になったんですが
その中のコーナーで変なカンバンとかの写真が特集されてる投稿コーナーです。
サブカル好きなら必ず知っていると思いますw
まぐまぐVOW
吉原弁財天につくと吉原の昔ながらの、江戸からの地図がありました。
お店の名前書いてあるの。角海老って本当に角に店があるんだね。
それを見つつ震災で命を落とした彼女たちの冥福を祈りました。

さっきVOWネタの店があるってキャッキャいって写真とってた店の向かいあたりに
なにか神社とは別のがあって
「でも神社じゃないみたいだね」
ってスルーして神社に行き、また同じ道を戻りました。
帰りにもその神社っぽいところをいったんスルーしたんですが
なぜだろう・・・
通り過ぎたのにもかかわらず、あたしだけまさに後ろ髪を引かれるかんじで
その「何かある」と思った場所に戻ってしまいました。
足が自然と中に入っていってそこを見ると・・・慰霊碑だったんです。
そう、さきほど書いた震災で命を落とした遊女たちの慰霊碑でした。
そこは花園公園の弁天池というようで、あたしは不忍池にと思っていたけど
彼女たちが火の手から逃れようと飛び込んだこの池に
弁天池などすでに埋め立てられていて、場所も何も知らなかったんですが
いつの間にかその場所までいって足がとまりました。
そのことを知ったのはその場所を訪れて初めて知ったんです。
そこにはほぼすべての石像に華やかなお花が献花されていて
バラの花とかすごいキレイだったです。
キレイすぎて悲しくなるかんじ。
青空がキレイすぎて涙がでることってない?
それにどこか似てる。
よくこういうところは菊の花とか多いけどここにあるのはバラとかなんだよね。
それだけになにかすごいはかないような、華やかだけど悲しいものを感じ取ってしまって
なんていうんだろう意識的に悲しいとか寂しいではなくて
魂からの深い深い永遠の寂しさとか悲しさを感じるの。
すべての石像にペットボトルが捧げられていました。
無縁仏とかにあたるんだろうか、よくわからないけど、
男女の区別がつかない状態で発見されてたくらいだから無縁仏になるものも多いんだろうね。
ぐるりとまわって手をあわせたあと一番中央の像に関東の震災の慰霊碑というのがあって
そこにお線香が用意されていました。
よくお寺にあるのはお線香とかはそこで購入するんだけど
慰霊碑にあったのは無料なのですが
手をあわせてお線香をすべての石像にあげて再び手を合わせてきました。
「もう苦しまないでいいんだよ。安らかにあちらの世界でまた宴を繰り広げてね」
同行した友人にも
「吉原じゃなくてもそういうとこでいつも世話になってんだからアンタもお線香あげなさいw」
といってねw
なんかこの神妙な気持ちはしばらく離れませんでした。
写真はとらないでっていわれてるのをかんじたので一切撮っていません。
華やかなお仕事をしてるときの写真ならいいけど
こんなふうになってとらないでっていうことです。
ていうか過ぎ去ったとき一人、二人ついてきてる気したんですけど・・・
と思ったのでFESのラベンダーとセントジョーンズワートを飲みました。
途中までついてきたかんじだったけどそのあとは見送ってくれた感じでした。
まさか大正時代の遊女たちとシンクロするとは思いもよりませんでした。
やはりあたしのルーツが浅草にあるのと関係するのかもしれません。
ちなみにあたしの家系は浅草の黒船町というところ。
黒船町は昭和9年に名称が変わったみたいです。
今はその表記はなく、現在の駒形がうちのルーツがあった場所です。
「君はいま駒形あたりほととぎす」
という俳句があって、吉原の花魁である高尾太夫により詠まれたもののようです。
ちなみに仙台藩の伊達綱宗に愛された花魁だそうです。


椎名林檎/この世の限り
男の極楽、女の地獄。
惚れたら地獄。
惚れられたら地獄。
色がなければ生きてはいけぬ。
あたしの生き方に似てる気がします(笑)
*
そのあとめぐりんに乗って待乳山を目指します。
ここは1月7日に大根まつりをすることで有名。
夫婦円満の神様。
あたしはそれ以前に縁結びが必要なんですがねw
けっww


次にいつものことですが今戸を目指します。
ここはまねきネコ発祥の地であり今戸焼き発祥の地であり沖田総司終焉之地。
カップルが何人かきていて、しかも彼らのお参り時間が長いことww
おまいらしあわせなら来るな来るな!
ちったぁその幸せ気分夢気分をあたいにも分けろ!
ともいえずおみくじひいたり絵馬を描いたりしてひたすら待つことにw
おみくじは末吉....
神社で末吉ひいたら、まぁ凶っていうことっすな。
でも問題は中身なわけよ。
以前京都の縁結びの神様の新宿伊勢丹出張バージョンで
正月から「縁結びおみくじ 大凶」をだしたオンナですからねw
「普通大凶なんて正月のみくじにいれとくもんか?w」
とキレたのを覚えていますw
ふむふむ。
どうやらあたしは「驕るな」ってことらしいんですよ。
驕るような何かすばらしいもん、あたしになんてあったっけ?
でもなんかあたってる気もするぜ、エヘへへ。
学業とか仕事については
「失敗する」
わかった。今年、店とか開くのはやめとこうw
試験は...何かうけるかもですがw堕ちるのね。
病気については素人判断しないで早めに医者にいけってかんじでした。
なんかそれってドキドキしますねw
で、ドキドキといえば恋愛は?
「女性から積極的になれ」って、ぶっひーーーーっマジっすか?
いいの?いいの?積極的にカモ〜ンしちゃいますわよ、おねいさんはw
でも、まずカモーンする相手を見つけないといけませんねw
いや、一応いるんですけど、とっくにあきらめてるんですね[emoji:i-241]
おみくじの中にはまねきネコが。
色によって何のまねきネコかとあるみたいで28種類あるんだそうな。
あたしは恋愛のまねきネコがあたりました。
そろそろ結婚しろってことですかねw
よく食ってよく寝ますけど、それでもよければもらってやってください、ブヒブヒ(笑)
おみくじには素直になれみたいなことが書いてありました。
あたってますねw






めぐりん再び。
で、今度は稲荷神社が馬にちなんであるそうで行ってみようと
合羽橋までいきました。
本命は馬の稲荷神社にもかかわらず合羽橋道具街にきたので歌い続けていました。
かっぱ寿司の歌を何度もルーーーーープっ!!!!!!
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
...
かっぱ寿司うまくないのにすっかりCMに洗脳されてますねww
ずっと歌い続けてたら友達にあきれられてしまいましたwにひひひ。

「道具街の起源は、1912年(大正元年)頃に数軒の道具商が店を構えたこととされている。」
ってWikipediaにあったんだけど
あたしが「かっぱといえばかっぱのお皿でしょ?だからお皿とか食器とかの道具が売られるようになったんじゃぁ?」といったら
「なるほどぉ〜」
と関心されてしまいましたがぜんぜん違うようですw
「合羽屋喜八が合羽橋の名前の由来の一つとされており、合羽橋交差点で道具街通りと交差するかっぱ橋本通り沿いの曹源寺(通称かっぱ寺)に合羽屋喜八の墓がある。」
で、
コレ↓がその銅像。

「金でできてるの?かくし芸大会のハナ肇みたいだね!ていうか今かくし芸大会ってあるの?」
とかってテレビをみないっぷりを発揮しちゃいましたけどねw
かっぱタンカワユス↓

でも、れいあタンはもっと(ギガント)カワユス☆(笑)
もう時間は17時。
あたしは上野を18時30分すぎに出たかったので
そろそろ上野まで再びめぐりんで行くことに。
上野について軽くスタバでお茶したんですが
めぐりんが2種類くらい車体の色があって
よく乗るのは緑とオレンジのカボチャの馬車ならぬカボチャ色のバスなんですが
合羽橋でたまたま黒x赤のベルギーチョコなイメージのバスを見かけてから
あたしの頭の中はかっぱ寿司の歌でなくチョコレート一色に。
スタバではおなじみザッハトルテ+ホイップを堪能しました。
ま だ 食 う か w
18時30分に予定通り解散。
そのあとあたしは六本木にいきダンスを3時間、踊りまくってきたんですが
最後のほうはもう貧血っぽいかんじになってしまって
かなり疲れがたまってるって思いました。
睡眠不足で3時間も寝てないからかな。
このあと実家に戻ります。
たっぷり寝て明日は病院にいきますw
長い長い浅草道中。
ひととおりの場所に心置きなくいったので大満足です。
ていうか今度は餃子スタジアムだわw
でいうかさ、誕生日おめでとう、自分ww
追記
葵丸進の天ぷらも紹介しようと思ってすっかり忘れてました。
ここのはかきあげ丼が有名っすw
本日紹介した地図は↓こちら
大きな地図で見る
ご用とお急ぎでない方は
ゆっくりとれいあの話を聞いておいで、れいあのブログを見ておいでw
って、冒頭から四六のガマの油売りとかしている場合じゃありませんぜ、ダンナ!
今日は何の日?
え?しらないのぉ〜!?
ちゅーか、知っとけ!w
れいあの、、たんじょうびだよぉ〜!
あ゛〜〜〜〜っ!!(にしおかすみこ風にw)
というわけもあり昨日はどこかに遊びにいこうってなったんですが
どこがいいといわれて迷わず「浅草!」といったあたし。
昨年の誕生日はなにが食べたい?ときかれて
「れいちゃん長崎ちゃんぽん食べたぁ〜いw」
といったあたしだったんですが
もう「れいちゃんはねぇ」なんていってる年齢じゃありませんよ!(とっくにw)
今年はちょっぴりグレードアップ。
「れいあたん、うなぎ食べたい☆」
になりましたよ、みなの衆w
で、うなぎを食べに浅草道中ときたもんだ!
というかそのお誘いくださった方のイメージが
あたしの中ではなぜか浅草なかんじなのでそう答えたんですけどねw
もうひとつの候補は餃子スタジアムだったんですけどねw
それは今度機会があればみんなでいったほうが楽しそうだったんで
別の機会にしとこうって思ってたわけですね。
浅草はあたしのルーツでもあります。
今は品川にいますが家系をたどるとうちの祖母は神田に生まれたんですが
祖母の両親は浅草、さらにその前はお江戸日本橋に住んでいたわけなんです。
ルーツに帰るというかんじですね。
(日本橋のさらに前(江戸時代〜それより前)は兵庫の播磨みたいですw)
朝家を出ていつものようにi-Podききながら駅まで歩いていたら...突然、
昨日も書いたようにヘッドフォンの音がいきなりでなくなりました。
しかも1曲目が終わらないうちに!
なんかねぇ、ドとレとミとファとソとラとシの音が出ませんよ!?
「ど〜しよっ!」ってかんじよ?
あんなに大事にしてたのにね〜
ちゅかやっぱヘッドフォンつけて踊ったのがいけなかったんですかね。
誰か踊るのをとめてほしかったんですけどね。
このあたしの気持ちはもう誰にもとめられないのよ!
音楽をきいたらDon't Stop!Non Stopれいあちゃんですよ!ハニーw
で、ハイ、浅草つきました。
まず亀十を横目でチラ見。
亀十はどらやきが有名なんだけどあたしは松風が大好き。
黒糖のスポンジの中にあんこが入っています。
亀十
台東区雷門2丁目18−11
03-3841-2210
で、雷門前に。

以前あたしは雷門を通り過ぎたときある日本人男性に声をかけられました、
「Please take a picture.Push this button,Ok?」
とかなんとか。
日本語じゃねーじゃんw
この人日本人に見えるだけかなと思って、しかしあたしも思わず
「Yeah!」
って、つられて英語じゃん(一応w)
でその人が立ち位置に戻りました。お隣にいたのはやはり日本人らしき男性。
なにやらその人たちは日本語で会話してますよ?
写真とりました。
「Thank you!」
ってやっぱあたしには英語じゃん?
....外人と間違われたっぽいw
つーかめちゃくちゃ日本人顔だって思ってるのに...
友達にすぐさまメルをすると
「れいあさ〜ん、そんな派手な格好してあるいてたんですかwww」
といわれましたw
んなこたぁない。
そんな記憶が残る雷門をあとにうちらは仲見世を通りました。
時間もいい頃。
お昼前です。
あたしは途中で左折して新仲見世通りに入りました。
ちょっと歩くとおめあてのうなぎやさん。
ここは今介護をしてる祖母とか昨年なくなった大叔母とかに連れられて
昔からちょくちょくきてた店。
だけど昔の記憶ってあんましなくて
この数年は祖母や大叔母なんかの体調もあり
あたしが一人でお店にいっておみやをつくっていただき
おうちに持って帰って食べることが多かったんですよね。
ここのうなぎ、大好きなんですが
まずお米のたき方が好き。
お米のつぶがたつかんじ。
ふっくらしていて、だけどうなぎやたれとなじむようにサラっとしている、
たれは甘さ控えめでサラサラ。
よくあるうなぎのたれは甘めでごはんにべったりつくかんじだけど
ここのは違うのよ。
サラっとしてるのにごはんによくなじんでおいしいの。
うなぎも、関東はそうなんだろうけど、しっかり蒸されていて
ふっくらして、骨もやわらかい。
クチに入れた瞬間ふわっととろけるかんじです。
おはしでほぐしたときたちこめる湯気と同時にあじわうニオイも格別。
ここはそれとは別に玉子焼きがおいしいです。
浅草に来る機会があれば、ぜひとも立ち寄ってもらいたい名店。
うなぎの店ではありますが価格はかなりリーズナブル。
基本的に「うなぎは庶民の食べ物」ってかんじの店で気取りがまったくない。
「ちょっとうなぎでも食って一杯飲んで帰ろうか」的な店。
だけどあたしくらいの年代でこれがわかる人って少ない。
というか「粋(イキ)」がわかる人ってあんましいない。
東京の下町ってこんなとこですっていうかんじの店ですね。
一緒にいったお友達はそれがとてもわかる人だと思っていたので
あえて連れて行きました。
ていうか、その、ごちそうさまでしたw
そのあとどこにしようかって話をすすめつつ
「とりあえずここまできたんだから
まず浅草寺に行き〜の、人形焼食い〜の、梅園でおしるこ食べ〜の」
ってなんだか食ってばかりのヨカーンw
とりあえずやげん堀にいきたいってかんじで粉山椒と唐辛子を買いにいきました。

やげん堀の起源は両国らしいですね。
やげん堀の七味唐辛子は漢方がヒントみたいです。
個人個人の調合もやってくれますが中辛がバランスがとれているのでオススメです。
仲見世に戻りました。
まずめざすは浅草寺。
しかし...あれあれ?食いしん坊の友達が人形焼に目がくらんでいますよ?w
そんな彼をスルーして、いざ浅草寺へw



お参りが終わったところでお隣の浅草神社もせっかくだからと思いいきました。
1月6日は出初式が、7日の日は七草で恒例のかるた大会があります。
あたしは中学と高校のとき百人一首が大好きで
もちろん上の句下の句100首全部覚えていたし、
中学・高校と百人一首大会で優勝経験をもちますw
これ、ちょっとした自慢w
今はまったくもって忘れましたww
でも古典文学は大好きです。
浅草神社に入ったくらいから、ちょっとあたしは別な世界に心が入っていました。
なんか急に、別世界に。。。
そして浅草神社境内でな、な、なんと!猿回しをやっていたんですよ。
初めてみたよ、ナマのサルマワシw

このかけあいがいいですね。
最初から見ていれば500円くらいペイしてもよかったんですが
最後だけだったんで100円だけペイしました。
結構若いおにいちゃん。
がんばれよ!
で、不思議感覚は引きずったまま友達にこんな話をしはじめました。
この浅草、近くに吉原ってあるでしょ?
風俗で有名ですが、まぁ昔からある遊郭ですよね。
先日、とある雑誌で関東大震災のときの吉原の遊女たちの死体写真が公開されたということで
地震の掲示板でちょっと論議をよんでいました。
本当につい先日のことだったんですけどね。
江戸はよく火事にあいました。
そしてこの吉原も大きな火災に何度もあっていたようです。
関東大震災のときの火災はかなり有名ですが吉原もまさにそうだったようです。
吉原の周りは治安維持のためとか統率しやすいようにお堀で囲っていたそうな。
そして吉原が炎上したときに池の中に遊女たちは飛び込んだらしいのですが
おぼれそうなところを周りが火の手なので次々池の中に助けを求め飛び込んでいったんですが
深さが4メートルあったため助かるどころか溺死した人が相当いたらしいんですよ。
そのときの溺死写真が週刊雑誌に公開されたらしくて
それについて論議されたんです。
そのくらい地震は怖いのだとか防災しとけよってことを投稿した人はいいたかったようなんだけど
地震と溺死は関係ないとかいう人もいて、
だけどスマトラの津波とかもそうだったとかいろいろな論議を呼んでいました。
ジュセリーノの予言だと今年は川崎で2月にM6.3の地震が、
今年中に東海地震がM8以上のが起こる(M8.6だそうです)と予言がありますね。
遊女が飛び込んだその池をあたしは、なぜか不忍池だってずっと思っていました。
そんな話を友達にちょっと浅草神社でしてました。
友達はそのあと人形焼を買い(笑)
さらに、せっかくだしぃ〜といって梅園に行きました。

浅草に来たなら知らない人はいない!というくらいの梅園。
おしるこやあんみつなどの甘味で有名。
あたしは粟ぜんざいを食べました。
ぜんざいといえば、あたしの中では博多、中洲の川端ぜんざいなんですよ。
上川端の商店街にある川端ぜんざい広場。
博多といえば明太、ラーメン、おきゅうとに川端ぜんざい。
川端ぜんざいと梅園のそれはまったく異なる味。
川端ぜんざいはどちらかといえばよ一般的に知られたぜんざいというかんじですが
梅園のは相当濃厚でのどがかわくくらいに甘いw
梅園とどちらがいいのかといえば、個人的には中州の善哉ほうが好みかな(笑)
でも浅草見物に来た方はぜひ一度はお試しください。
川端ぜんざい広場(中洲川端駅からすぐ)
福岡市博多区上川端町6−135
思わず浅草だけでなく九州のほうまで書いてしまいましたw
ちかっぱ好いとぉよっ★
この伝法院通りの風景って大好きです。
イキでイナセなかんじでとってもステキ。
時代劇に出てきそうなんだよおまいさんw


伝法院通りを”まっつぐ”すすむと(笑)
左手に、あらあら今日もまた大行列でありんすね。
浅草名物?大黒家さんです。
天丼の名物店ですね。
このあと新仲見世通りを抜け国際通りへでて鷲神社を目指しました。
鷲神社といえば酉の市、なわけですが関東独自の風習みたいですね。
熊手で福を掻きこむ、かっこみといわれているものは
特に商売をやる人にはなじみがあるはず。
酉の市のときしかあたしはいったことがないんだけど
そのときは夜店がずらりと並んでいるので
いざ普段の日に行こうとするとすごい遠く感じるから不思議です。
その途中でわき道にふらっと誘われるがままにいったのが
浅草一文。
ねぎま鍋で有名なお店、居酒屋さんです。
居酒屋なのでその時間は空いていませんでしたが
くじら鍋とか江戸料理が楽しめます。
ねぎま鍋はあたしも大好きで家でもよくやります。
一文に寄り道してしまったがために千束通りにでてしまい
方向感覚を失って、再び国際通りに戻り、鷲神社についたときにはちょっとあたしはヘトヘトにw
ちゅいたぁ〜っ...




社務所にランドセルを背負った小学生の女の子がきてて
思わず昔の自分を思い出しました。
前にも話したけど、あたしって神社の家系なんですよ(いまや過去形なんですが)
小学校のときとかお祭りとかでやる「舞い」の練習とかしたりしました。
おそらくは今のダンス好きと関係するのかもしれませんねw
お祭りのときはあたしの大叔父にあたる神主が境内でタイコたたいて舞いを踊ってお餅を配るんですが
そのタイコたたいたり御餅配ったりもしました。
あたし学生時代バンド組んでいたんですがドラムをやってたんですよね。
考えてみたらそういう昔、神社でのいろんなお稽古が今のあたしを作っているんじゃないかって思いました。
いつも太鼓たたくときは何も反応しないんですが
小さい頃よく大人には見えない何かを見ることが多かったらしくて
悪魔祓いをしによくお参りにつれてかれました。
悪魔祓いされてるのに大人になって魔術するっていうこの矛盾w
入谷の鬼子母神とかでやってもらうことが多かったけど
5歳くらいんとき鬼子母神の方にお払いを受けてるとき何かをかんじて太鼓たたいてるほうにめちゃくちゃ近づいていろいろ話しかけたらしいのよ。
でもあたしは存在してない人に話しかけてたらしくて
「この子は霊感が強いみたいですね。大人になれば徐々に平気になると思います」
みたいにいわれたようでそれ以来お払いは行かなくなりました。
*
あたしは浅草に来ると台東区循環バスめぐりんを利用します。
100円でバスに乗れるのでちょっと遠いときに安く利用できて便利です。
で、このめぐりんの停留所を探していたんですが
この付近だと中途半端で吉原方面に行かないとだめそうだっていうんで
ならばと吉原弁財天を目指しました。
浅草七福神めぐりになっちゃうねとかいいながら。
その途中でこんな店発見↓

以前からこの友達にはVOWネタがあると写真をとってなぜか送りつける習性があたしにはあって(笑)
変なカンバンとかお店があるとカメラで写真とって送るんですが
そんなかんじのお店がいろいろありましたw
ちなみにVOWとは昔宝島っちゅー雑誌があって、かつてはサブカル中心の音楽雑誌、
後半にはエロ雑誌になったんですが
その中のコーナーで変なカンバンとかの写真が特集されてる投稿コーナーです。
サブカル好きなら必ず知っていると思いますw
まぐまぐVOW
吉原弁財天につくと吉原の昔ながらの、江戸からの地図がありました。
お店の名前書いてあるの。角海老って本当に角に店があるんだね。
それを見つつ震災で命を落とした彼女たちの冥福を祈りました。

さっきVOWネタの店があるってキャッキャいって写真とってた店の向かいあたりに
なにか神社とは別のがあって
「でも神社じゃないみたいだね」
ってスルーして神社に行き、また同じ道を戻りました。
帰りにもその神社っぽいところをいったんスルーしたんですが
なぜだろう・・・
通り過ぎたのにもかかわらず、あたしだけまさに後ろ髪を引かれるかんじで
その「何かある」と思った場所に戻ってしまいました。
足が自然と中に入っていってそこを見ると・・・慰霊碑だったんです。
そう、さきほど書いた震災で命を落とした遊女たちの慰霊碑でした。
そこは花園公園の弁天池というようで、あたしは不忍池にと思っていたけど
彼女たちが火の手から逃れようと飛び込んだこの池に
弁天池などすでに埋め立てられていて、場所も何も知らなかったんですが
いつの間にかその場所までいって足がとまりました。
そのことを知ったのはその場所を訪れて初めて知ったんです。
そこにはほぼすべての石像に華やかなお花が献花されていて
バラの花とかすごいキレイだったです。
キレイすぎて悲しくなるかんじ。
青空がキレイすぎて涙がでることってない?
それにどこか似てる。
よくこういうところは菊の花とか多いけどここにあるのはバラとかなんだよね。
それだけになにかすごいはかないような、華やかだけど悲しいものを感じ取ってしまって
なんていうんだろう意識的に悲しいとか寂しいではなくて
魂からの深い深い永遠の寂しさとか悲しさを感じるの。
すべての石像にペットボトルが捧げられていました。
無縁仏とかにあたるんだろうか、よくわからないけど、
男女の区別がつかない状態で発見されてたくらいだから無縁仏になるものも多いんだろうね。
ぐるりとまわって手をあわせたあと一番中央の像に関東の震災の慰霊碑というのがあって
そこにお線香が用意されていました。
よくお寺にあるのはお線香とかはそこで購入するんだけど
慰霊碑にあったのは無料なのですが
手をあわせてお線香をすべての石像にあげて再び手を合わせてきました。
「もう苦しまないでいいんだよ。安らかにあちらの世界でまた宴を繰り広げてね」
同行した友人にも
「吉原じゃなくてもそういうとこでいつも世話になってんだからアンタもお線香あげなさいw」
といってねw
なんかこの神妙な気持ちはしばらく離れませんでした。
写真はとらないでっていわれてるのをかんじたので一切撮っていません。
華やかなお仕事をしてるときの写真ならいいけど
こんなふうになってとらないでっていうことです。
ていうか過ぎ去ったとき一人、二人ついてきてる気したんですけど・・・
と思ったのでFESのラベンダーとセントジョーンズワートを飲みました。
途中までついてきたかんじだったけどそのあとは見送ってくれた感じでした。
まさか大正時代の遊女たちとシンクロするとは思いもよりませんでした。
やはりあたしのルーツが浅草にあるのと関係するのかもしれません。
ちなみにあたしの家系は浅草の黒船町というところ。
黒船町は昭和9年に名称が変わったみたいです。
今はその表記はなく、現在の駒形がうちのルーツがあった場所です。
「君はいま駒形あたりほととぎす」
という俳句があって、吉原の花魁である高尾太夫により詠まれたもののようです。
ちなみに仙台藩の伊達綱宗に愛された花魁だそうです。


椎名林檎/この世の限り
男の極楽、女の地獄。
惚れたら地獄。
惚れられたら地獄。
色がなければ生きてはいけぬ。
あたしの生き方に似てる気がします(笑)
*
そのあとめぐりんに乗って待乳山を目指します。
ここは1月7日に大根まつりをすることで有名。
夫婦円満の神様。
あたしはそれ以前に縁結びが必要なんですがねw
けっww


次にいつものことですが今戸を目指します。
ここはまねきネコ発祥の地であり今戸焼き発祥の地であり沖田総司終焉之地。
カップルが何人かきていて、しかも彼らのお参り時間が長いことww
おまいらしあわせなら来るな来るな!
ちったぁその幸せ気分夢気分をあたいにも分けろ!
ともいえずおみくじひいたり絵馬を描いたりしてひたすら待つことにw
おみくじは末吉....
神社で末吉ひいたら、まぁ凶っていうことっすな。
でも問題は中身なわけよ。
以前京都の縁結びの神様の新宿伊勢丹出張バージョンで
正月から「縁結びおみくじ 大凶」をだしたオンナですからねw
「普通大凶なんて正月のみくじにいれとくもんか?w」
とキレたのを覚えていますw
ふむふむ。
どうやらあたしは「驕るな」ってことらしいんですよ。
驕るような何かすばらしいもん、あたしになんてあったっけ?
でもなんかあたってる気もするぜ、エヘへへ。
学業とか仕事については
「失敗する」
わかった。今年、店とか開くのはやめとこうw
試験は...何かうけるかもですがw堕ちるのね。
病気については素人判断しないで早めに医者にいけってかんじでした。
なんかそれってドキドキしますねw
で、ドキドキといえば恋愛は?
「女性から積極的になれ」って、ぶっひーーーーっマジっすか?
いいの?いいの?積極的にカモ〜ンしちゃいますわよ、おねいさんはw
でも、まずカモーンする相手を見つけないといけませんねw
いや、一応いるんですけど、とっくにあきらめてるんですね[emoji:i-241]
おみくじの中にはまねきネコが。
色によって何のまねきネコかとあるみたいで28種類あるんだそうな。
あたしは恋愛のまねきネコがあたりました。
そろそろ結婚しろってことですかねw
よく食ってよく寝ますけど、それでもよければもらってやってください、ブヒブヒ(笑)
おみくじには素直になれみたいなことが書いてありました。
あたってますねw






めぐりん再び。
で、今度は稲荷神社が馬にちなんであるそうで行ってみようと
合羽橋までいきました。
本命は馬の稲荷神社にもかかわらず合羽橋道具街にきたので歌い続けていました。
かっぱ寿司の歌を何度もルーーーーープっ!!!!!!
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
♪か〜っぱかっぱっかっぱのまぁくのか〜っぱずしっ
...
かっぱ寿司うまくないのにすっかりCMに洗脳されてますねww
ずっと歌い続けてたら友達にあきれられてしまいましたwにひひひ。

「道具街の起源は、1912年(大正元年)頃に数軒の道具商が店を構えたこととされている。」
ってWikipediaにあったんだけど
あたしが「かっぱといえばかっぱのお皿でしょ?だからお皿とか食器とかの道具が売られるようになったんじゃぁ?」といったら
「なるほどぉ〜」
と関心されてしまいましたがぜんぜん違うようですw
「合羽屋喜八が合羽橋の名前の由来の一つとされており、合羽橋交差点で道具街通りと交差するかっぱ橋本通り沿いの曹源寺(通称かっぱ寺)に合羽屋喜八の墓がある。」
で、
コレ↓がその銅像。

「金でできてるの?かくし芸大会のハナ肇みたいだね!ていうか今かくし芸大会ってあるの?」
とかってテレビをみないっぷりを発揮しちゃいましたけどねw
かっぱタンカワユス↓

でも、れいあタンはもっと(ギガント)カワユス☆(笑)
もう時間は17時。
あたしは上野を18時30分すぎに出たかったので
そろそろ上野まで再びめぐりんで行くことに。
上野について軽くスタバでお茶したんですが
めぐりんが2種類くらい車体の色があって
よく乗るのは緑とオレンジのカボチャの馬車ならぬカボチャ色のバスなんですが
合羽橋でたまたま黒x赤のベルギーチョコなイメージのバスを見かけてから
あたしの頭の中はかっぱ寿司の歌でなくチョコレート一色に。
スタバではおなじみザッハトルテ+ホイップを堪能しました。
ま だ 食 う か w
18時30分に予定通り解散。
そのあとあたしは六本木にいきダンスを3時間、踊りまくってきたんですが
最後のほうはもう貧血っぽいかんじになってしまって
かなり疲れがたまってるって思いました。
睡眠不足で3時間も寝てないからかな。
このあと実家に戻ります。
たっぷり寝て明日は病院にいきますw
長い長い浅草道中。
ひととおりの場所に心置きなくいったので大満足です。
ていうか今度は餃子スタジアムだわw
でいうかさ、誕生日おめでとう、自分ww
追記
葵丸進の天ぷらも紹介しようと思ってすっかり忘れてました。
ここのはかきあげ丼が有名っすw
本日紹介した地図は↓こちら
大きな地図で見る
PR