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それにしてもこの朝青龍という人の名前を今回の一件ではじめて知ったのだけど
あたしは相撲について知識が皆無なのでなんともいえませんが
かわいそうだなとつくづく思う。
まさかここまで事態が大事になるなんて思わなかったんじゃないかな。
確かにズル休みとかってよくないことではあるけど
相撲協会とか高校野球連盟ってわからないけど戦前のソレをひきずっている気がしてなりません。
要するに協会や連盟の体質が古いというふうに思うんだよね。
モンゴルの人たちが人権侵害だと思ってしまうのも仕方ないと思う。
だってあれはどう考えても軟禁状態でしょう。
もし朝青龍が本当に心の病なのだとしたら
今が一番肝心。
病名が転々としてることにメンヘルに無縁の人たちはきっと
病名が変わることにギモンを抱くと思う。
抱いても当然だ。
基本的に精神科の病名は能の器質的障害とかでなければ
経過を追っていかないと早急に診断名などつけられない。
最初の医師が
「神経衰弱もしくはうつ病の一歩手前」といったことに対し
各方面の精神科は古臭い病名だとかいっていたけど
一般のメンヘルに無縁の人間に対して
ICD-10できめられた病名とか
DSM-IVの病名を下したところで根本の問題解決になっていない。
要するに相撲協会が建前的に欲しい診断名でしかないように思えてならない。
問題は診断名なんかじゃなくてどうやって治ってもらうかであって
ここにまた相撲協会の戦前体質みたいなものが見え隠れしてならない。
もしとても売り上げのいいトップのセールスが同じようなことになったら
その会社はどういう対処をするだろうか。
とりあえず休めというだろうけど、軟禁状態にはしないだろう。
これが相撲というのは、というかスポーツがそうだろうけど
体力だけでなく精神的なものがどれだけ求められているかということだけど
朝青龍は日本人ではない。
ここに文化とかの違いが現れているって思う。
要するにこういうものが相撲なのだという精神的な部分をしっかり教え込まなければいけなかったのかもしれない。
まぁそのあたりについてはあたしは知識がないので語れないけど。
あたしはかつてこの解離性障害という病気をもっていた。
しかし解離性障害というのは症候群みたいなものであって
症状を聞く限り離人症だとあたしは思う。
離人症性障害とDSM-IVではされている。
あたしもこの症状に相当悩まされてきた。
うつ症状の一歩手前、と最初の医師が診断したけど
状態的にはまさにそんなかんじだ。
言葉を話さなくなったりするのだけど
言葉を話す気力そのものがなくなってしまうのだ。
声を出すのも辛い状態。
現実感喪失といわれてもわからないと思うけど
自分が自分でないような感覚になるのだ。
今ココにある「自分の現実」が
ほかの誰かのものであるかのような感覚。
というか自分であるという感覚がなくなってしまう。
今自分が手にとっているはずのものも
自分でない誰かがフィルターを通してやっているかのように
自分としての感覚がないのだ。
声もフィルターのようなものを通して聴こえる。
あたしは自分が発したわずかな声も
誰かの声のように当時は聞こえていた。
現実味があまり感じられないのだ。
今ここにいる感覚がつかめないのだ。
自分が何をしたいという意思以前に何をしているのか感覚がつかめないのだ。
複数の医師の話を聞く限りあたしが診断するとしたら離人症性障害だと思う。
しかし精神科の病名というのは結構いい加減で
しっかり調べないうちに今回のようにポンポン病名が出され
薬も劇薬のようなものが出されることがほとんどだ。
(今はそういうところは少しずつ減ってきているようですが)
先日友人からメルがきたのだけど
医者を変えたら診断名が変わって今は落ち着いているとメルがきた。
その人はいわゆる統合失調症と診断されたのだ。
そして統合失調症というのは昔でいうところの精神分裂病なのだけど
あたしもその病名をつけられたことがある。
内科以上にとても医師によって病気に対する考えがまちまちであることがわかる。
その医師は解離性同一性障害というものを認めなかったからだ。
しかしそれも無理はない。
さきほど話したDSM-IVというのはアメリカの精神医学協会できめられた基準であって
病名がある種作られているとでもいっていいようにも患者としては思えてならなかった。
5年10年で診断していたグループ名が変わったりしている。
あたしはそれ以前は何かあると言葉がでなくなったり
足が動けなくなったりという発作をよく起こしていた。
そういうものはかつてはヒステリー性の解離といわれていたけど
それはDSM-IIIまでであってIVになってからは解離性障害のグループの中の症状として位置づけられた。
ヒステリーという言葉はフロイト的な戦前の古い病名であるとされ、今の時代にはそぐわないというわけなのだろう。
結局はあたしの診断名は解離性同一性障害およびパニック障害、境界例ということになったのだけどね。
これらの診断名がつくのに実に7年かかった。
パニック障害(不安神経症)に始まり、ボーダーライン、
てんかん、解離性障害...
これまでさまざまな病気のデパート的なくらいの診断名がつけられてきたし時間も要してきた。
そしてそのたびに薬がどんどん増えていった。
2週間に1回、たった20分未満の診察なんかで
人間のどこまでわかるのかとあたしはいいたい。
メンヘルの悩みを抱えると病院に行くわけだけど
10年病院にかかっても結局薬で不安症状を一時的に抑えるに過ぎない。
つまりは10年精神科に通っても治らなかったのだ。
薬が治してくれると思う患者も多いだろうケド
あたしは一生薬を飲み続けないといけないのがイヤでたまらなかった。
結局精神安定剤は症状を抑えるだけのものであって根本的なものは治せない(病気にもよるけど)
カウンセラーは医師ではないので薬は出せない(処方箋を書いたり診断名をつけられない)
第一保険がきかない。。。
メンヘルの病気で一番大切なのは環境であり、
自分を理解し受け入れてくれる人の存在なのだ。
結局あたしの場合はバッチフラワーで治したわけだけど
それはいわゆる精神安定剤にあたるものであって(植物のエネルギーであって副作用はない)
一番あたしを治してくれたのは友達の存在であった。
心の病で大切なのは休養だとよくいう。
だけど、話を戻せば、
稽古部屋と自室と、などと誰かの監視下にあるような軟禁状況でいったいどこまで心の休養がとれるというのだろうか。
モンゴルに帰ってもマスコミが追いかけてくるだろうけど。
自殺他殺の可能性があったりリスカの可能性があるならば軟禁状態にする話は別だ。
あたしも以前軟禁状態にされた時期があったけど
それは自殺とリスカの危険性があたしには濃厚にあって
入院するか軟禁を親がするかという選択を求められたことがあった。
今思えば親もよくあそこまでがんばったなと思う(当時は反抗しまくったけど)
言葉を発さないということはそこまでの気力がないということであって
うつ病だとしても経過を見守らないといけないわけだけど
先日までイキイキとサッカーを腰のケガまでしてやった人にその兆候は見られないといっていい。
軟禁には本人がここまでやってしまったという事態を深刻に受け止めさせる処罰のような
反省させる意味もあったのだろうけど
その時点から発病したとすれば治りも早いはずだ。
しかしいつまでも軟禁状態を続けることになれば
症状はどんどん悪化していくのはメンヘルの病気を患ったことのある人であれば
ほとんどが今回の事態をそう思うと思う。
休養をとるということは心の休みをとること。
もちろんカラダもであるけど
カラダの場合はある程度動かすことによってストレス発散や活力にもなる。
そこで稽古をするべきという人もいるだろうけど
それは仕事をしろというようなものであって本当に心が休まるかといえばそうでないはずだ。
環境を変えることが一番大切なのだ。
日本にいればいろいろわずらわしいわけだから
本人を本当に思うならモンゴルに一定期間帰すべきなのだろう。
入院しろといわれているのはおそらく環境を変えるのが一番であるという意味でいっているのだろうと思うが
病院に入院してしまうと病人でなくても病気になってしまった気分になるように
もしあたしが友人にそういう相談を持ちかけられたら入院は絶対に勧めない。
(暴力とか家庭に問題があって逃れるためなどは別だが)
環境そのものを変えることは気持ちが変わる。
だけどもし本当にモンゴルに帰ってしまえば
彼はもう横綱としての立場には戻れないだけでなく
日本というある種彼にとってトラウマをかかえてしまった国には二度と戻らないだろう。
そのあたりにしても相撲協会の思惑を感じてならないのだけど
やはり素人的考えに過ぎないのだろうか。
あたしは相撲について知識が皆無なのでなんともいえませんが
かわいそうだなとつくづく思う。
まさかここまで事態が大事になるなんて思わなかったんじゃないかな。
確かにズル休みとかってよくないことではあるけど
相撲協会とか高校野球連盟ってわからないけど戦前のソレをひきずっている気がしてなりません。
要するに協会や連盟の体質が古いというふうに思うんだよね。
モンゴルの人たちが人権侵害だと思ってしまうのも仕方ないと思う。
だってあれはどう考えても軟禁状態でしょう。
もし朝青龍が本当に心の病なのだとしたら
今が一番肝心。
病名が転々としてることにメンヘルに無縁の人たちはきっと
病名が変わることにギモンを抱くと思う。
抱いても当然だ。
基本的に精神科の病名は能の器質的障害とかでなければ
経過を追っていかないと早急に診断名などつけられない。
最初の医師が
「神経衰弱もしくはうつ病の一歩手前」といったことに対し
各方面の精神科は古臭い病名だとかいっていたけど
一般のメンヘルに無縁の人間に対して
ICD-10できめられた病名とか
DSM-IVの病名を下したところで根本の問題解決になっていない。
要するに相撲協会が建前的に欲しい診断名でしかないように思えてならない。
問題は診断名なんかじゃなくてどうやって治ってもらうかであって
ここにまた相撲協会の戦前体質みたいなものが見え隠れしてならない。
もしとても売り上げのいいトップのセールスが同じようなことになったら
その会社はどういう対処をするだろうか。
とりあえず休めというだろうけど、軟禁状態にはしないだろう。
これが相撲というのは、というかスポーツがそうだろうけど
体力だけでなく精神的なものがどれだけ求められているかということだけど
朝青龍は日本人ではない。
ここに文化とかの違いが現れているって思う。
要するにこういうものが相撲なのだという精神的な部分をしっかり教え込まなければいけなかったのかもしれない。
まぁそのあたりについてはあたしは知識がないので語れないけど。
あたしはかつてこの解離性障害という病気をもっていた。
しかし解離性障害というのは症候群みたいなものであって
症状を聞く限り離人症だとあたしは思う。
離人症性障害とDSM-IVではされている。
あたしもこの症状に相当悩まされてきた。
うつ症状の一歩手前、と最初の医師が診断したけど
状態的にはまさにそんなかんじだ。
言葉を話さなくなったりするのだけど
言葉を話す気力そのものがなくなってしまうのだ。
声を出すのも辛い状態。
現実感喪失といわれてもわからないと思うけど
自分が自分でないような感覚になるのだ。
今ココにある「自分の現実」が
ほかの誰かのものであるかのような感覚。
というか自分であるという感覚がなくなってしまう。
今自分が手にとっているはずのものも
自分でない誰かがフィルターを通してやっているかのように
自分としての感覚がないのだ。
声もフィルターのようなものを通して聴こえる。
あたしは自分が発したわずかな声も
誰かの声のように当時は聞こえていた。
現実味があまり感じられないのだ。
今ここにいる感覚がつかめないのだ。
自分が何をしたいという意思以前に何をしているのか感覚がつかめないのだ。
複数の医師の話を聞く限りあたしが診断するとしたら離人症性障害だと思う。
しかし精神科の病名というのは結構いい加減で
しっかり調べないうちに今回のようにポンポン病名が出され
薬も劇薬のようなものが出されることがほとんどだ。
(今はそういうところは少しずつ減ってきているようですが)
先日友人からメルがきたのだけど
医者を変えたら診断名が変わって今は落ち着いているとメルがきた。
その人はいわゆる統合失調症と診断されたのだ。
そして統合失調症というのは昔でいうところの精神分裂病なのだけど
あたしもその病名をつけられたことがある。
内科以上にとても医師によって病気に対する考えがまちまちであることがわかる。
その医師は解離性同一性障害というものを認めなかったからだ。
しかしそれも無理はない。
さきほど話したDSM-IVというのはアメリカの精神医学協会できめられた基準であって
病名がある種作られているとでもいっていいようにも患者としては思えてならなかった。
5年10年で診断していたグループ名が変わったりしている。
あたしはそれ以前は何かあると言葉がでなくなったり
足が動けなくなったりという発作をよく起こしていた。
そういうものはかつてはヒステリー性の解離といわれていたけど
それはDSM-IIIまでであってIVになってからは解離性障害のグループの中の症状として位置づけられた。
ヒステリーという言葉はフロイト的な戦前の古い病名であるとされ、今の時代にはそぐわないというわけなのだろう。
結局はあたしの診断名は解離性同一性障害およびパニック障害、境界例ということになったのだけどね。
これらの診断名がつくのに実に7年かかった。
パニック障害(不安神経症)に始まり、ボーダーライン、
てんかん、解離性障害...
これまでさまざまな病気のデパート的なくらいの診断名がつけられてきたし時間も要してきた。
そしてそのたびに薬がどんどん増えていった。
2週間に1回、たった20分未満の診察なんかで
人間のどこまでわかるのかとあたしはいいたい。
メンヘルの悩みを抱えると病院に行くわけだけど
10年病院にかかっても結局薬で不安症状を一時的に抑えるに過ぎない。
つまりは10年精神科に通っても治らなかったのだ。
薬が治してくれると思う患者も多いだろうケド
あたしは一生薬を飲み続けないといけないのがイヤでたまらなかった。
結局精神安定剤は症状を抑えるだけのものであって根本的なものは治せない(病気にもよるけど)
カウンセラーは医師ではないので薬は出せない(処方箋を書いたり診断名をつけられない)
第一保険がきかない。。。
メンヘルの病気で一番大切なのは環境であり、
自分を理解し受け入れてくれる人の存在なのだ。
結局あたしの場合はバッチフラワーで治したわけだけど
それはいわゆる精神安定剤にあたるものであって(植物のエネルギーであって副作用はない)
一番あたしを治してくれたのは友達の存在であった。
心の病で大切なのは休養だとよくいう。
だけど、話を戻せば、
稽古部屋と自室と、などと誰かの監視下にあるような軟禁状況でいったいどこまで心の休養がとれるというのだろうか。
モンゴルに帰ってもマスコミが追いかけてくるだろうけど。
自殺他殺の可能性があったりリスカの可能性があるならば軟禁状態にする話は別だ。
あたしも以前軟禁状態にされた時期があったけど
それは自殺とリスカの危険性があたしには濃厚にあって
入院するか軟禁を親がするかという選択を求められたことがあった。
今思えば親もよくあそこまでがんばったなと思う(当時は反抗しまくったけど)
言葉を発さないということはそこまでの気力がないということであって
うつ病だとしても経過を見守らないといけないわけだけど
先日までイキイキとサッカーを腰のケガまでしてやった人にその兆候は見られないといっていい。
軟禁には本人がここまでやってしまったという事態を深刻に受け止めさせる処罰のような
反省させる意味もあったのだろうけど
その時点から発病したとすれば治りも早いはずだ。
しかしいつまでも軟禁状態を続けることになれば
症状はどんどん悪化していくのはメンヘルの病気を患ったことのある人であれば
ほとんどが今回の事態をそう思うと思う。
休養をとるということは心の休みをとること。
もちろんカラダもであるけど
カラダの場合はある程度動かすことによってストレス発散や活力にもなる。
そこで稽古をするべきという人もいるだろうけど
それは仕事をしろというようなものであって本当に心が休まるかといえばそうでないはずだ。
環境を変えることが一番大切なのだ。
日本にいればいろいろわずらわしいわけだから
本人を本当に思うならモンゴルに一定期間帰すべきなのだろう。
入院しろといわれているのはおそらく環境を変えるのが一番であるという意味でいっているのだろうと思うが
病院に入院してしまうと病人でなくても病気になってしまった気分になるように
もしあたしが友人にそういう相談を持ちかけられたら入院は絶対に勧めない。
(暴力とか家庭に問題があって逃れるためなどは別だが)
環境そのものを変えることは気持ちが変わる。
だけどもし本当にモンゴルに帰ってしまえば
彼はもう横綱としての立場には戻れないだけでなく
日本というある種彼にとってトラウマをかかえてしまった国には二度と戻らないだろう。
そのあたりにしても相撲協会の思惑を感じてならないのだけど
やはり素人的考えに過ぎないのだろうか。
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