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前回の続きです。

*

オーラなんてあるわけない、そう思う人も多いでしょう。
目に見えないものだから、
実体験を伴っていない人には胡散臭くて当然だと思います。
だから別にその人たちが間違っているとは思いません。
その人たちにとっての「正義」とスピ好きにとっての「正義」は異なるものだからです。

でもオーラを感じることは誰でもできると思うのです。
もちろん体質ってのもあるし、
あたしみたいに体調を崩して以来感じるようになるという「変化」のある人も多いようです。
要するにその人の心の準備が出来ているかどうかとも関係あるって思います。
基本的には物理的、生理的に感じるというよりも心の目で感じる、という感覚に近いかな。

この手の報道がなされたときに必ずあるのは「魂はないと思っていた」「オーラなんてデタラメだ」という二元論的な決め付けがなされることです。
こういうものを論じ合うことがそもそも無意味に近いと思うのですよ。
さきほどもいったように「異なる正義」を論じているにすぎないからです。
だからこそそういう人たちには押し付けはあたしはしたくありません。
(これについては後日)

そもそも現代に生きるあたしたちは二元論的な思考をしがちなのです。
デカルトがこれを形式化したことで有名ですよね。
すべてのものはYesかNoか、
二つしか選択がないように思う人も多いけど
色は黒と白だけでなく、赤や青や黄色とそれぞれあるように本当はさまざまあるはず。
これをマジョリティとマイノリティのように二つにだけ絞るような、そういう思考っていうのは
自由な発想を妨げるものだって個人的には思っています。

でも「オーラなんてないに決まってる」という方々はある意味まだいいのだとも思っています。
彼らはえてして自分の実体験を一番に考える人たちだからです。
彼らはマスコミの作り上げた世界を否定することができる能力をもっているからです。

オーラの泉や江原氏は特別悪いとはあたしは思いません。
ただ当初からいっている通り危険であるのは確かです。
何が危険なのかといえば、問題はマスコミの番組の作り方や放映の仕方(エンターテインメント志向)だからです。
というのもマスコミの影響力は計り知れないものをもつから危険性が高すぎるのです。

特に民放はコマーシャルでその収益をまかなっています。
テレビをつければあたしたちは自由に飛び込んでくる情報を得られることができます。
なぜならばご存知の通り企業が莫大な宣伝費用をかけて番組作りにスポンサーとして協力しているからです。
だからコマーシャルを見ることになるわけですが
コマーシャルも、テレビタレント(キャラづくり)もいってみればみんな「イメージ」です。
ネットが仮想現実とかバーチャルリアリティといわれて久しいですが
テレビはそれ以前から現実と錯覚しやすい仮想現実への罠を孕んでいるのです。
だからマスコミをすべて鵜呑みにして信じるのはどうかと思ってあたしはみています。
事実を事実としてありのままに報道するか、
オーバーに(つまり局の色)報道するか、
前者はNHKのやり方(公共放送)であり後者は民放のそれです。
というのもやはりスポンサーにペイしてもらうにはそれなりの視聴率をとらなければいけないからです。
そこでなんとかしようと民放では少しでも視聴率をとろうとします。
この激しい視聴率合戦がそもそもマスメディアの倫理を崩している元のような気がしています。
それはたとえば他社局による失態を大げさになんども繰り返し報道してみたりとか、
そういうものは視聴者に対して必要以上に「あの局はよくない」と思わせる
いわゆるマインドコントロールがマスコミには可能です。
いってみればコマーシャルそのものがある種催眠性というか無意識の中にサインを送る機能を果たすわけですからね(そして購買率を促進させるわけですよね)
そして以前問題になったのがサブリミナル問題だったりするわけです。

番組づくりについては視聴率合戦の末、中には悪いとわかっていても「やらせ」をしてしまうスタッフも少なからず存在するものです。
それが一年前発覚してしまった「あるある大辞典」だったわけですからね。
否定はされていますがスポンサー(花○)との癒着は少なからずあったのだと憶測しています。

でも所詮「無料で放送を見てる=たれながしの情報」なわけですよ。
情報というのはサービスの一環だって思っています。
その情報を利用するからには勿論流す側にそれなりのメリットは存在するわけですからね
(でなければ企画がボツになることでしょうし、打ち切りにもなるでしょう)

オーラの泉をみていてスピリチュアルに目覚めた方が特に女性に多いわけですが
あれをみてハマる人たちは「実体験」を伴っていないケースがほとんどだと思います。
逆にあたしのように実体験を伴った人間は番組を見るほどの興味が実はありません(と思う)
なぜならば霊的体験をしたことがある人は自分がすでに体験をしているからそこまで見る必要を感じないんですよ。。。
つまり何がいいたいかといえばスピリチュアルに番組の影響でハマった人たちは
「実体験を伴っていないので興味がある」からにすぎないのでしょう。
もしくは何かすごい悩みがあったりとか、
物質的な世界に嫌気を感じ始めてしまったとか
そんなかんじなんだって思うんですがどうでしょうか。
言い方はよくないのですが実体験を伴っていない人にとっては
「現実逃避」としてスピリチュアルの世界は棲み心地のよい世界に映るのだって思うんですよ(まぁぶっちゃけ話ですけどw)
でも現実逃避としての生き方と現実を乗り越えるために内観世界を変えていくのとでは
まったく意味合いが異なります。

そしてまた両者の違いをわかっていない人が多いように思えてなりません。
どこが違うのかといえば、自分が精神的に成長するかどうかの違い、なのです。

昔宜保愛子さんという霊能力者がおられました(2003年に他界)
番組的には宜保愛子さんのものはオカルト(+パロディ?)な作りでした。
江原さんのほうが高尚みたいなかんじの番組の作りになっていますよね。
というかあたしにはオーラの泉の印象は一言でいって
「ファンタジーの世界」と思っています。
しかし内容的には宜保愛子さんの霊能力のものとなんらかわらない。
それを高尚なスピリチュアルとしてファンタジー性をもたせるということは
視聴者を女性にターゲットを絞っているのだろうなと感じました。
いやらしい見方をしてしまえば女性を見方につけるということは
それだけ購買力をUpさせることにもつながるし
スピリチュアルのマーケットを開拓する意味が強いなと一年前感じたので昨日書いたような記事を去年3月書くことにしたのです。
そしてそういう流れにもっていったのはほかならぬテレビ局や女性雑誌であるとあたしは思っています。

身近な例でいえばヒーリングストーン、パワーストーン、を買いたいなというときに
オーラの泉を見てスピリチュアルに興味をもちましたという人の多くはおそらく「石の意味」で石を選ぶかもしれません。
たとえばあたしは、確かに石の意味もわかってはいるけれど、石から感じるパワーやエネルギーの相性で石を選んでます。
(石の話をすると無限に続きそうなので今はここまでw)
もしスピリチュアルに最近興味を持ち始めましたとかテレビをみてという人にいいたいのは
まず自分の感覚を磨いてほしいということです。
グルが誰とか、江原氏を信じてるとか、そんなふうにいう前に
まず自分を信じて自分の感覚を磨いていってほしいんですよ。
それが霊感商法やインチキ商品にだまされないための、遠そうでいて一番の近道だって思います。

魂の存在を否定する人はいて当然だし、実体験をしていない人ならなおさら信じるにも信じにくいものです。
それは当然のことのように思います。
宜保愛子さんはあたしのイメージでは細木氏と江原氏を足したような存在の記憶として残っています。
なぜなら「霊的世界」というのは、さきほども書いたようにある種のファンタジー(幻想的)要素であふれかえっているようなものだからです。
しかしオカルトだと江原信者にいうならば彼女たちはおそらく激怒するかもしれませんね。

あたしはオカルト好きですが何かww

同じ霊を題材にするにしても怪談ぽくオカルト色を濃く番組を製作するか、
ファンタジー性をもたせて番組制作するのか、
これは大きな違いであるということを一年前いいたかったんですね。
それをオーラの泉の番組製作にあたしは最初から感じてるので見ていないというわけです。
だから江原氏がどうこうというよりも演出方法に対する問題視をしています。
(もちろん演出に絡んでくるであろうわけなのでどっちがいいとかってかんじでもないんですがね)

魂の存在について共鳴を感じて興味をもつことが悪いことではないのは自明の理です。
むしろそちらの人間からすれば歓迎することだと思います。
しかし「変なところ」(インチキ宗教とかそれに近い団体や存在)なんかも
これらのブームを霊感商法のカモとして歓迎しているわけです。

そこで重要なのが「自分のアンテナ」というわけです。
さきほどいった自分の感覚を磨くこと、ですね。
それは「目に見えないものをキャッチする感覚」でもあるからです。
さきほども書いたけど、テレビをみて共感したような人には
今生きていることがどこかつまらなかったり
なんか現実が満たされなかったり
悩んでいて何も見えなくなってしまってるような人なんかが霊感商法にひっかかりやすい気がします。
現在は宗教の色を出してしまうと怪しまれるということで、
スピリチュアルなものが大いに利用されまくっているというのが現実ですし
こうなることくらい蓋を開けなくても明らかであったはずです。

*

話がそれますが、たとえば地震雲は存在するのか、にしても(笑)
あたしのようにこれまで何も気にせず雲の写真を撮り続けてたら
ある日妙な雲を見たちょっとあとで大きめ地震があった経験をしたなら
自分が見たという事実がすべてなので
「地震雲はあってもおかしくないよな」とある日思考が変化したりするわけですね。

サイキック体験にしても同じことが言えます。
自分がある日突然離脱を経験してしまったり死後体験してしまったり、
そういうなにか「超越した感覚」を味わっていなければ信じにくいと思うのです。
あたしももともと神社の家系だったとはいえ
自分がサイキックな体験をするまでは信じることができない世界でしたからね。
(おそらくはオウム真理教による事件の偏見的な見方があったのだって思う)

地震の話をするならば、そもそも地震予知というものが存在するのはなぜでしょうか。
日本では江戸時代の安政の大地震からだといわれています。
人間の生命を脅かす恐れがある「恐怖」な存在だから知りたがるのでしょう。
スピリチュアルに興味をもつとかというのも
自分は死んだらどうなってしまうんだろう、
そんな「恐怖」が潜在意識にあるからではないでしょうか。
自分という存在は何なんだろう、そういうことを哲学的に捉えようという試みは昔からされていたわけですし
あたしの場合はスピリチュアルな世界の前に哲学の本を読んでいたことがありました。

たとえば科学の進歩って逆に非常に擬似科学的だったりオカルト的だったりします。
万有引力とかにしても「なぜりんごは地面に落ちるんだろう」っていうギモンから始まったわけですが、そこで
「何いいだすの?頭おかしいんじゃない?落ちるに決まってるじゃん」
で終わっていては引力の法則なんて見つからなかったわけじゃないでしょうか。

さきほど二元論のお話をしましたが、すべてを否定するってことはギモンに対するものをシャットアウトするようなものだと思うんですよ。
つまり科学的に理論付けたがる人ほど実は科学的な思考を持ち合わせてないようにあたしには思えるわけです。
(一方で疑似科学にのめりこんじゃうとか信じきっちゃう人は「トンデモ」っていうかんじであたしは微笑みながら見ています笑)

というのもトンデモならまだかわいげがあるからです(笑)
さっきのオーラの泉をみてブームだけで終わらせた人たちはまだいいのです。
恐ろしいのは「思い込み」が思考や内的世界を変えてしまうことでしょう。
前から書いていますがマインドコントロールなんかもこれにあたります。
こういう思考のクセの恐ろしさは
たとえ擬似体験させられたものであっても
本人はミラクルを感じてしまってるわけで疑念を抱きません。

あたしが以前「存在」の声を聞いたとかそういうことを書いてきましたが
そういう状態はオルタードディメンションというか、変性意識状態なわけです。
要するにその瞬間は日常生活の中にあっても「日常」ではないわけです。
現実には物質世界に肉体が生かされてるわけであって
精神世界に魂をおきっぱなしでは日常生活が成り立ちません。



麻生千晶さんはこういっているようです。
「江原さんはご立派な方なのかもしれませんが、超能力があるというのなら、『望まれていない』『経営が悪化していない』ということがなぜ分からなかったのですかね。
以前に、自分が殺されることが分かっていなかった占い師がいたことを思い出します。
そもそも、私は、スピリチュアルなんてみな、いかがわしいと思っています。
占いなどは隠花植物のようにひっそりとやるものです。
信用していないのに視聴率稼ぎに利用するテレビ局と、どっちもどっちですよ」

一見理にかなった意見のように思えますがあたしにいわせてみればこれは
「霊的体験をしたことのない人がいうセリフだよな」ということですね。
この人が実際にそちらの体験をしてしまえばおそらくまた違ったことをいうはずだと思いますよ。

超能力とかチャネリング能力は誰にでも本来備わっているものだっていうのがあたしの考えです。
確かに普通体験しないことですが、それは物質世界に重きを置きすぎているというだけにすぎないと思うのです。
かといってあたしが「いつもエンジェルとお話してるのよ、ウフフ★」っていう人間ではないのは
ここを見てらっしゃる常連さんにはおわかりだって思いますが(笑)

こういう体験は少なくともあたしには「非日常」です。
それにそのような状態に入るときは、あたしの場合受け取るのは一瞬ですが
それを現実世界へのイメージに翻訳作業?するのにはすごい集中力がいります。
なれてないからだって思うのですがこの作業は結構疲れたりもします。
チャネリングや憑依の場合自分はあくまでも「媒体」になってるわけですからかなり本来は疲れる作業だって思うのですね。
そういう媒体になりやすいかどうかっていうのは体質もあるけど
本来誰にでもこういう能力があるって思うのは
そちらの方面での感覚を研ぎ澄ませていけばそういうものが誰でも見えてくるのだって思うんです。
だけど現実世界・物質社会に適応させて生きていこうとするほどに自分の肉体に違和感を感じる人がいることもわかってほしいんですよ。
それは冒頭で話したとおりの二元論的な決め付けをするか、ニュートラルでいるかというお話ですが。

そして麻生千晶のいう占い師についての発言ですが
自分について占うことができるとかくじがあたるとか、
地震がいつくるのかとかいろいろありますが
そういうのをあてるのって非常に難しいと思います。

占いについては自分という「自我」のフィルターを通してしまうため
出てくる象徴、シンボルについてのものが屈折してしまうことがあたしを例にとれば多く
自分の占いについてはなかなか読みにくいんです。
体調の悪いときもやはりだめですね。
美容師が自分で自分の髪をカットしないのと同じようなもんです(笑
タロットを例にとれば、なぜあたるかといえば、ユング心理学をやってる方には理解しやすいかと思います。
それは偶然と必然の違いであったり集合意識の問題でもあるからです。
占いというのはそもそも潜在意識なわけです。
クジとか自然現象は潜在意識とは違うから
集合意識とは違ってあたりにくいわけです。


(次回に続く、はず<まとまったときに>)。。。まだ続くかww
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