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とりあえず今、とにかく導かれるものをやっていってます。
こういうときのあたしは心の状態が比較的落ち着いているときなのだろう。
いくら今やりたくても時期ではないときにそれを挑戦するチャンスは訪れない。
そんなとき無理をして手を出してもあとあとで歪がでてくるものなのだ。
「チャンスはつかむもの」そんなふうによくいうけれど、
今目の前にあるものが本当に自分にとってのチャンスなのかどうか
そんな見極めがしっかりできなくちゃいけないよね。
そして今こそチャンスだというときっていうのは
たいていが対象のほうから自分の中に飛び込んでくる、そんな気がするんだ。
焦って手を出してみても空回りしてしまう。
先週はカポエラをやりにいきました。
カポエラはもうずっとやりたいって思っていて一度以前体験してたのだけど
もう一度体験して感触をつかみたかった。
でも・・・今はやはりダンスのほうを中心にやりたいと思いました。
確かにとっても楽しかったけどこっちをずっと続けていくかんじじゃないとわかりました。
時期は熟すもの。
あたしに必要であればまた体験のチャンスと気持ちが巡ってくるはず。
今日はハーバルタロット。
三ヶ月、月一イチでならいます。
一年前はじまったときからずっと受けたいと思い
ワークショップで知り合った方からの連絡で、あと一名、だった枠を幸いにしてとれました。
少人数なんですぐにうまってしまうんですよ。
その子とランチをしてレッスンに向かいました。
実際受けてみて、すごく楽しかった。
イマジネーションがどんどんわいてきて満たされていくかんじ。
ダンスや音楽はもちろん、ヒーリングや占いはずっと好きだからね。
ダンスや音は陽、outのあたしの部分で、
ヒーリングや占いや写真は陰、inのあたしの一部なかんじかな。
で、地震予測はライフワークです((笑
あたし以外はほとんどタロット初心者であることに驚きを隠せませんでした。
どちらかといえばみなさんアロマやハーブからの流れであって
あたしみたいにタロットや占星術に自分でやるまで興味のある人がいなくて驚き。
ちなみにマルセイユ版がベースのデッキです。
最後メディテーションをし終えたとき
とある「質問」をカードにしたんですが数秒後、すごい手がビリビリしてきました。
深呼吸をして眼を開けて隣の方がこんな質問をしていました。
「質問をしたら突然嵐の様子が眼の裏に映し出されて
どうしていいのか困惑しています」
これについて、先生は本人に解釈させるようにあえて見えてるものをいわなかったんだろうけど
なんかすごい感じてきてしまいました。
詳しいことはあたしには質問内容がわかりませんが
その人はその質問に対してすごい迷いと不安があるように見えました。
この方が見た「嵐」の情景はそういう不安と迷いを払いのけるというか
クリアにする時期がきてるというか、
自分にとって不必要なもの(感情など)を手放すべきだということなのだって思います。
でも・・・それをあたしが、先生が言ってしまっては意味がないもの。
あくまでも本人が気づき、行動していかなければ
体験しなければ人間なんて成長していけないのだからね。
何か困難が目の前にあると、
人はその「状況」や「環境」や「誰か」を変えたいと願うものだけど
自分を変えない限り、未来永劫変わらないものだよね。
他人や自分以外の何かを変えたいと願うときはエゴであることが極めて多くて
たいがいが不満なんかと一緒にあらわれてしまいがち。
自分の内面を変えていきたい願いとは違ってくるわけです。
魔術でいうならば前者はコントロールマジック(欠ける月にする魔術)であり
後者は満ちる月に行う魔術。
同じひとつの事実でも、とらえ方次第でこれだけかわってくるのです。
確かに昔からの自分の考えや環境を変えるのは勇気がいることですし戸惑いもあるでしょう。
それは「古いものを手放す勇気」。
誰か何か、周りを変えることが一人二人できても
同じ状況に陥ればまた「変えなければいけない人」が増えるだけでしかない。
自分が少しずつでも変わっていくことができるのならば
何かあったときにそのときの「体験」から得た知恵を、
困難をチャンスに導くことだってできるはず。
そしてそれこそが成長なのだって思う。
体験なくして成長はありえないわけだからね。
導かれるままに「時期」はやってくる。
チャンスってそういうものだって思う。
これまでの体験、で自分が感じてきたことの積み重ね。
人間は「体験」をしてみてはじめて
「学び」や「知恵」に変えていくことができるのだから。
そうやって成長していくものだし、
そんな中で磨き上げてきた感覚で
今がチャンスっていうものなのかどうか
「知恵」で見極めていくのだって思う。
やりたいこと、やるべきこと、
今しかできない何か・・・
流れゆくままに。
流れを読んでキャッチするという、
風(チャンス)を肌(知恵)で感じたい。
一生、の中で、
今「自分」と思っているこの肉体の中で、
あとどれだけのことが体験できるだろう。
頭だけの知識でも耳で誰かにきいただけでもなく
いろいろ体験してひとつづつ、一歩ずつ、
だけど、確実に、確かめ、
そして生きているかんじ。
今、ここに、生きているということをかみしめながら。
そういう体験の積み重ねこそが、
自分であるという証なんだろうなって思ったりしています。
こういうときのあたしは心の状態が比較的落ち着いているときなのだろう。
いくら今やりたくても時期ではないときにそれを挑戦するチャンスは訪れない。
そんなとき無理をして手を出してもあとあとで歪がでてくるものなのだ。
「チャンスはつかむもの」そんなふうによくいうけれど、
今目の前にあるものが本当に自分にとってのチャンスなのかどうか
そんな見極めがしっかりできなくちゃいけないよね。
そして今こそチャンスだというときっていうのは
たいていが対象のほうから自分の中に飛び込んでくる、そんな気がするんだ。
焦って手を出してみても空回りしてしまう。
先週はカポエラをやりにいきました。
カポエラはもうずっとやりたいって思っていて一度以前体験してたのだけど
もう一度体験して感触をつかみたかった。
でも・・・今はやはりダンスのほうを中心にやりたいと思いました。
確かにとっても楽しかったけどこっちをずっと続けていくかんじじゃないとわかりました。
時期は熟すもの。
あたしに必要であればまた体験のチャンスと気持ちが巡ってくるはず。
今日はハーバルタロット。
三ヶ月、月一イチでならいます。
一年前はじまったときからずっと受けたいと思い
ワークショップで知り合った方からの連絡で、あと一名、だった枠を幸いにしてとれました。
少人数なんですぐにうまってしまうんですよ。
その子とランチをしてレッスンに向かいました。
実際受けてみて、すごく楽しかった。
イマジネーションがどんどんわいてきて満たされていくかんじ。
ダンスや音楽はもちろん、ヒーリングや占いはずっと好きだからね。
ダンスや音は陽、outのあたしの部分で、
ヒーリングや占いや写真は陰、inのあたしの一部なかんじかな。
で、地震予測はライフワークです((笑
あたし以外はほとんどタロット初心者であることに驚きを隠せませんでした。
どちらかといえばみなさんアロマやハーブからの流れであって
あたしみたいにタロットや占星術に自分でやるまで興味のある人がいなくて驚き。
ちなみにマルセイユ版がベースのデッキです。
最後メディテーションをし終えたとき
とある「質問」をカードにしたんですが数秒後、すごい手がビリビリしてきました。
深呼吸をして眼を開けて隣の方がこんな質問をしていました。
「質問をしたら突然嵐の様子が眼の裏に映し出されて
どうしていいのか困惑しています」
これについて、先生は本人に解釈させるようにあえて見えてるものをいわなかったんだろうけど
なんかすごい感じてきてしまいました。
詳しいことはあたしには質問内容がわかりませんが
その人はその質問に対してすごい迷いと不安があるように見えました。
この方が見た「嵐」の情景はそういう不安と迷いを払いのけるというか
クリアにする時期がきてるというか、
自分にとって不必要なもの(感情など)を手放すべきだということなのだって思います。
でも・・・それをあたしが、先生が言ってしまっては意味がないもの。
あくまでも本人が気づき、行動していかなければ
体験しなければ人間なんて成長していけないのだからね。
何か困難が目の前にあると、
人はその「状況」や「環境」や「誰か」を変えたいと願うものだけど
自分を変えない限り、未来永劫変わらないものだよね。
他人や自分以外の何かを変えたいと願うときはエゴであることが極めて多くて
たいがいが不満なんかと一緒にあらわれてしまいがち。
自分の内面を変えていきたい願いとは違ってくるわけです。
魔術でいうならば前者はコントロールマジック(欠ける月にする魔術)であり
後者は満ちる月に行う魔術。
同じひとつの事実でも、とらえ方次第でこれだけかわってくるのです。
確かに昔からの自分の考えや環境を変えるのは勇気がいることですし戸惑いもあるでしょう。
それは「古いものを手放す勇気」。
誰か何か、周りを変えることが一人二人できても
同じ状況に陥ればまた「変えなければいけない人」が増えるだけでしかない。
自分が少しずつでも変わっていくことができるのならば
何かあったときにそのときの「体験」から得た知恵を、
困難をチャンスに導くことだってできるはず。
そしてそれこそが成長なのだって思う。
体験なくして成長はありえないわけだからね。
導かれるままに「時期」はやってくる。
チャンスってそういうものだって思う。
これまでの体験、で自分が感じてきたことの積み重ね。
人間は「体験」をしてみてはじめて
「学び」や「知恵」に変えていくことができるのだから。
そうやって成長していくものだし、
そんな中で磨き上げてきた感覚で
今がチャンスっていうものなのかどうか
「知恵」で見極めていくのだって思う。
やりたいこと、やるべきこと、
今しかできない何か・・・
流れゆくままに。
流れを読んでキャッチするという、
風(チャンス)を肌(知恵)で感じたい。
一生、の中で、
今「自分」と思っているこの肉体の中で、
あとどれだけのことが体験できるだろう。
頭だけの知識でも耳で誰かにきいただけでもなく
いろいろ体験してひとつづつ、一歩ずつ、
だけど、確実に、確かめ、
そして生きているかんじ。
今、ここに、生きているということをかみしめながら。
そういう体験の積み重ねこそが、
自分であるという証なんだろうなって思ったりしています。
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