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前回の続きです。

*

オーラなんてあるわけない、そう思う人も多いでしょう。
目に見えないものだから、
実体験を伴っていない人には胡散臭くて当然だと思います。
だから別にその人たちが間違っているとは思いません。
その人たちにとっての「正義」とスピ好きにとっての「正義」は異なるものだからです。

でもオーラを感じることは誰でもできると思うのです。
もちろん体質ってのもあるし、
あたしみたいに体調を崩して以来感じるようになるという「変化」のある人も多いようです。
要するにその人の心の準備が出来ているかどうかとも関係あるって思います。
基本的には物理的、生理的に感じるというよりも心の目で感じる、という感覚に近いかな。

この手の報道がなされたときに必ずあるのは「魂はないと思っていた」「オーラなんてデタラメだ」という二元論的な決め付けがなされることです。
こういうものを論じ合うことがそもそも無意味に近いと思うのですよ。
さきほどもいったように「異なる正義」を論じているにすぎないからです。
だからこそそういう人たちには押し付けはあたしはしたくありません。
(これについては後日)

そもそも現代に生きるあたしたちは二元論的な思考をしがちなのです。
デカルトがこれを形式化したことで有名ですよね。
すべてのものはYesかNoか、
二つしか選択がないように思う人も多いけど
色は黒と白だけでなく、赤や青や黄色とそれぞれあるように本当はさまざまあるはず。
これをマジョリティとマイノリティのように二つにだけ絞るような、そういう思考っていうのは
自由な発想を妨げるものだって個人的には思っています。

でも「オーラなんてないに決まってる」という方々はある意味まだいいのだとも思っています。
彼らはえてして自分の実体験を一番に考える人たちだからです。
彼らはマスコミの作り上げた世界を否定することができる能力をもっているからです。

オーラの泉や江原氏は特別悪いとはあたしは思いません。
ただ当初からいっている通り危険であるのは確かです。
何が危険なのかといえば、問題はマスコミの番組の作り方や放映の仕方(エンターテインメント志向)だからです。
というのもマスコミの影響力は計り知れないものをもつから危険性が高すぎるのです。

特に民放はコマーシャルでその収益をまかなっています。
テレビをつければあたしたちは自由に飛び込んでくる情報を得られることができます。
なぜならばご存知の通り企業が莫大な宣伝費用をかけて番組作りにスポンサーとして協力しているからです。
だからコマーシャルを見ることになるわけですが
コマーシャルも、テレビタレント(キャラづくり)もいってみればみんな「イメージ」です。
ネットが仮想現実とかバーチャルリアリティといわれて久しいですが
テレビはそれ以前から現実と錯覚しやすい仮想現実への罠を孕んでいるのです。
だからマスコミをすべて鵜呑みにして信じるのはどうかと思ってあたしはみています。
事実を事実としてありのままに報道するか、
オーバーに(つまり局の色)報道するか、
前者はNHKのやり方(公共放送)であり後者は民放のそれです。
というのもやはりスポンサーにペイしてもらうにはそれなりの視聴率をとらなければいけないからです。
そこでなんとかしようと民放では少しでも視聴率をとろうとします。
この激しい視聴率合戦がそもそもマスメディアの倫理を崩している元のような気がしています。
それはたとえば他社局による失態を大げさになんども繰り返し報道してみたりとか、
そういうものは視聴者に対して必要以上に「あの局はよくない」と思わせる
いわゆるマインドコントロールがマスコミには可能です。
いってみればコマーシャルそのものがある種催眠性というか無意識の中にサインを送る機能を果たすわけですからね(そして購買率を促進させるわけですよね)
そして以前問題になったのがサブリミナル問題だったりするわけです。

番組づくりについては視聴率合戦の末、中には悪いとわかっていても「やらせ」をしてしまうスタッフも少なからず存在するものです。
それが一年前発覚してしまった「あるある大辞典」だったわけですからね。
否定はされていますがスポンサー(花○)との癒着は少なからずあったのだと憶測しています。

でも所詮「無料で放送を見てる=たれながしの情報」なわけですよ。
情報というのはサービスの一環だって思っています。
その情報を利用するからには勿論流す側にそれなりのメリットは存在するわけですからね
(でなければ企画がボツになることでしょうし、打ち切りにもなるでしょう)

オーラの泉をみていてスピリチュアルに目覚めた方が特に女性に多いわけですが
あれをみてハマる人たちは「実体験」を伴っていないケースがほとんどだと思います。
逆にあたしのように実体験を伴った人間は番組を見るほどの興味が実はありません(と思う)
なぜならば霊的体験をしたことがある人は自分がすでに体験をしているからそこまで見る必要を感じないんですよ。。。
つまり何がいいたいかといえばスピリチュアルに番組の影響でハマった人たちは
「実体験を伴っていないので興味がある」からにすぎないのでしょう。
もしくは何かすごい悩みがあったりとか、
物質的な世界に嫌気を感じ始めてしまったとか
そんなかんじなんだって思うんですがどうでしょうか。
言い方はよくないのですが実体験を伴っていない人にとっては
「現実逃避」としてスピリチュアルの世界は棲み心地のよい世界に映るのだって思うんですよ(まぁぶっちゃけ話ですけどw)
でも現実逃避としての生き方と現実を乗り越えるために内観世界を変えていくのとでは
まったく意味合いが異なります。

そしてまた両者の違いをわかっていない人が多いように思えてなりません。
どこが違うのかといえば、自分が精神的に成長するかどうかの違い、なのです。

昔宜保愛子さんという霊能力者がおられました(2003年に他界)
番組的には宜保愛子さんのものはオカルト(+パロディ?)な作りでした。
江原さんのほうが高尚みたいなかんじの番組の作りになっていますよね。
というかあたしにはオーラの泉の印象は一言でいって
「ファンタジーの世界」と思っています。
しかし内容的には宜保愛子さんの霊能力のものとなんらかわらない。
それを高尚なスピリチュアルとしてファンタジー性をもたせるということは
視聴者を女性にターゲットを絞っているのだろうなと感じました。
いやらしい見方をしてしまえば女性を見方につけるということは
それだけ購買力をUpさせることにもつながるし
スピリチュアルのマーケットを開拓する意味が強いなと一年前感じたので昨日書いたような記事を去年3月書くことにしたのです。
そしてそういう流れにもっていったのはほかならぬテレビ局や女性雑誌であるとあたしは思っています。

身近な例でいえばヒーリングストーン、パワーストーン、を買いたいなというときに
オーラの泉を見てスピリチュアルに興味をもちましたという人の多くはおそらく「石の意味」で石を選ぶかもしれません。
たとえばあたしは、確かに石の意味もわかってはいるけれど、石から感じるパワーやエネルギーの相性で石を選んでます。
(石の話をすると無限に続きそうなので今はここまでw)
もしスピリチュアルに最近興味を持ち始めましたとかテレビをみてという人にいいたいのは
まず自分の感覚を磨いてほしいということです。
グルが誰とか、江原氏を信じてるとか、そんなふうにいう前に
まず自分を信じて自分の感覚を磨いていってほしいんですよ。
それが霊感商法やインチキ商品にだまされないための、遠そうでいて一番の近道だって思います。

魂の存在を否定する人はいて当然だし、実体験をしていない人ならなおさら信じるにも信じにくいものです。
それは当然のことのように思います。
宜保愛子さんはあたしのイメージでは細木氏と江原氏を足したような存在の記憶として残っています。
なぜなら「霊的世界」というのは、さきほども書いたようにある種のファンタジー(幻想的)要素であふれかえっているようなものだからです。
しかしオカルトだと江原信者にいうならば彼女たちはおそらく激怒するかもしれませんね。

あたしはオカルト好きですが何かww

同じ霊を題材にするにしても怪談ぽくオカルト色を濃く番組を製作するか、
ファンタジー性をもたせて番組制作するのか、
これは大きな違いであるということを一年前いいたかったんですね。
それをオーラの泉の番組製作にあたしは最初から感じてるので見ていないというわけです。
だから江原氏がどうこうというよりも演出方法に対する問題視をしています。
(もちろん演出に絡んでくるであろうわけなのでどっちがいいとかってかんじでもないんですがね)

魂の存在について共鳴を感じて興味をもつことが悪いことではないのは自明の理です。
むしろそちらの人間からすれば歓迎することだと思います。
しかし「変なところ」(インチキ宗教とかそれに近い団体や存在)なんかも
これらのブームを霊感商法のカモとして歓迎しているわけです。

そこで重要なのが「自分のアンテナ」というわけです。
さきほどいった自分の感覚を磨くこと、ですね。
それは「目に見えないものをキャッチする感覚」でもあるからです。
さきほども書いたけど、テレビをみて共感したような人には
今生きていることがどこかつまらなかったり
なんか現実が満たされなかったり
悩んでいて何も見えなくなってしまってるような人なんかが霊感商法にひっかかりやすい気がします。
現在は宗教の色を出してしまうと怪しまれるということで、
スピリチュアルなものが大いに利用されまくっているというのが現実ですし
こうなることくらい蓋を開けなくても明らかであったはずです。

*

話がそれますが、たとえば地震雲は存在するのか、にしても(笑)
あたしのようにこれまで何も気にせず雲の写真を撮り続けてたら
ある日妙な雲を見たちょっとあとで大きめ地震があった経験をしたなら
自分が見たという事実がすべてなので
「地震雲はあってもおかしくないよな」とある日思考が変化したりするわけですね。

サイキック体験にしても同じことが言えます。
自分がある日突然離脱を経験してしまったり死後体験してしまったり、
そういうなにか「超越した感覚」を味わっていなければ信じにくいと思うのです。
あたしももともと神社の家系だったとはいえ
自分がサイキックな体験をするまでは信じることができない世界でしたからね。
(おそらくはオウム真理教による事件の偏見的な見方があったのだって思う)

地震の話をするならば、そもそも地震予知というものが存在するのはなぜでしょうか。
日本では江戸時代の安政の大地震からだといわれています。
人間の生命を脅かす恐れがある「恐怖」な存在だから知りたがるのでしょう。
スピリチュアルに興味をもつとかというのも
自分は死んだらどうなってしまうんだろう、
そんな「恐怖」が潜在意識にあるからではないでしょうか。
自分という存在は何なんだろう、そういうことを哲学的に捉えようという試みは昔からされていたわけですし
あたしの場合はスピリチュアルな世界の前に哲学の本を読んでいたことがありました。

たとえば科学の進歩って逆に非常に擬似科学的だったりオカルト的だったりします。
万有引力とかにしても「なぜりんごは地面に落ちるんだろう」っていうギモンから始まったわけですが、そこで
「何いいだすの?頭おかしいんじゃない?落ちるに決まってるじゃん」
で終わっていては引力の法則なんて見つからなかったわけじゃないでしょうか。

さきほど二元論のお話をしましたが、すべてを否定するってことはギモンに対するものをシャットアウトするようなものだと思うんですよ。
つまり科学的に理論付けたがる人ほど実は科学的な思考を持ち合わせてないようにあたしには思えるわけです。
(一方で疑似科学にのめりこんじゃうとか信じきっちゃう人は「トンデモ」っていうかんじであたしは微笑みながら見ています笑)

というのもトンデモならまだかわいげがあるからです(笑)
さっきのオーラの泉をみてブームだけで終わらせた人たちはまだいいのです。
恐ろしいのは「思い込み」が思考や内的世界を変えてしまうことでしょう。
前から書いていますがマインドコントロールなんかもこれにあたります。
こういう思考のクセの恐ろしさは
たとえ擬似体験させられたものであっても
本人はミラクルを感じてしまってるわけで疑念を抱きません。

あたしが以前「存在」の声を聞いたとかそういうことを書いてきましたが
そういう状態はオルタードディメンションというか、変性意識状態なわけです。
要するにその瞬間は日常生活の中にあっても「日常」ではないわけです。
現実には物質世界に肉体が生かされてるわけであって
精神世界に魂をおきっぱなしでは日常生活が成り立ちません。



麻生千晶さんはこういっているようです。
「江原さんはご立派な方なのかもしれませんが、超能力があるというのなら、『望まれていない』『経営が悪化していない』ということがなぜ分からなかったのですかね。
以前に、自分が殺されることが分かっていなかった占い師がいたことを思い出します。
そもそも、私は、スピリチュアルなんてみな、いかがわしいと思っています。
占いなどは隠花植物のようにひっそりとやるものです。
信用していないのに視聴率稼ぎに利用するテレビ局と、どっちもどっちですよ」

一見理にかなった意見のように思えますがあたしにいわせてみればこれは
「霊的体験をしたことのない人がいうセリフだよな」ということですね。
この人が実際にそちらの体験をしてしまえばおそらくまた違ったことをいうはずだと思いますよ。

超能力とかチャネリング能力は誰にでも本来備わっているものだっていうのがあたしの考えです。
確かに普通体験しないことですが、それは物質世界に重きを置きすぎているというだけにすぎないと思うのです。
かといってあたしが「いつもエンジェルとお話してるのよ、ウフフ★」っていう人間ではないのは
ここを見てらっしゃる常連さんにはおわかりだって思いますが(笑)

こういう体験は少なくともあたしには「非日常」です。
それにそのような状態に入るときは、あたしの場合受け取るのは一瞬ですが
それを現実世界へのイメージに翻訳作業?するのにはすごい集中力がいります。
なれてないからだって思うのですがこの作業は結構疲れたりもします。
チャネリングや憑依の場合自分はあくまでも「媒体」になってるわけですからかなり本来は疲れる作業だって思うのですね。
そういう媒体になりやすいかどうかっていうのは体質もあるけど
本来誰にでもこういう能力があるって思うのは
そちらの方面での感覚を研ぎ澄ませていけばそういうものが誰でも見えてくるのだって思うんです。
だけど現実世界・物質社会に適応させて生きていこうとするほどに自分の肉体に違和感を感じる人がいることもわかってほしいんですよ。
それは冒頭で話したとおりの二元論的な決め付けをするか、ニュートラルでいるかというお話ですが。

そして麻生千晶のいう占い師についての発言ですが
自分について占うことができるとかくじがあたるとか、
地震がいつくるのかとかいろいろありますが
そういうのをあてるのって非常に難しいと思います。

占いについては自分という「自我」のフィルターを通してしまうため
出てくる象徴、シンボルについてのものが屈折してしまうことがあたしを例にとれば多く
自分の占いについてはなかなか読みにくいんです。
体調の悪いときもやはりだめですね。
美容師が自分で自分の髪をカットしないのと同じようなもんです(笑
タロットを例にとれば、なぜあたるかといえば、ユング心理学をやってる方には理解しやすいかと思います。
それは偶然と必然の違いであったり集合意識の問題でもあるからです。
占いというのはそもそも潜在意識なわけです。
クジとか自然現象は潜在意識とは違うから
集合意識とは違ってあたりにくいわけです。


(次回に続く、はず<まとまったときに>)。。。まだ続くかww
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起きていますね、スピリチュアル反撃w
まぁ、これくらいでなきゃあたしとしても面白くないw
一番面白がっているのは当のマスコミ各社なんでしょうけどねw

前にも言ったけどマスコミがスピリチュアルをあおりすぎているっていうのは
去年からずーーーーっとここで書いてきたとおりです(笑)
あたしは江原氏について番組を見ていないのでよくわかりません。
ただ知っていることは女性には人気があるけど男性には煙たがられているってことですねw

昨年3月にスピリチュアル・ブームとマインド・コントロールの関連性 という記事を書きました。
そこにはあたしがスピリチュアルの世界に入ったいきさつがあるんですけど記事内から抜粋します。

スピリチュアルがここまで一人歩きしてしまうことは
個人的には危惧していることなんです。
少なくともあたしが初めてヒーリングやスピリチュアルなものをやりはじめたときと
状況が一変しているという事実にあります。

その一変のひとつに
テレビによるエンターテイメントとしてのスピリチュアルの存在があります。
ヒーリングブームであるのはわかっていました。
でも、人はそれ以上のものを追及したくなったのでしょうか。
とにかくマスコミの影響力はすごいですね。

たとえば彼らがまことしやかにウソをついても
(その可能性が昨今非常に高くなりつつあるようですが)
「エンターテイメントなので信じるほうが悪い」
ということにもなりかねない危険・中毒性があるわけですよね。
彼らの報道というものに対する意識が確実に薄れている以上
(新聞社の盗作問題もしかり)
「お手軽」に”信じる”のは「キケン」だとあたしは思うの。
寂しい世情だけど仕方ないのよね。

そうだな、流行の言葉でいえば「オーラ」と関係しますね。
というか、「オーラ」が日常語になってしまうこと自体どうよって思うのですけどね。
あたしはオーラとはいわず、あえて
「エネルギー」
というふうにいうんですけどね。
厳密に言えばオーラとエネルギーも区別すべきですけどね。
というか人をとりまくエネルギーの総称をオーラといったらいいのかな。
オーラのエネルギーは見えることはできないけど
感じることは、あたしはできます。
というか実際感じている人って多いと思います。
ただ、意識して集中できるかどうかだって思うんです。
あたしも年中感じるわけじゃないしw

いっときますけど
わかってると思うけど
カルマも前世も見えないものです。
いわれた人が感じられなくても
その道の人だと相談者がそれっぽいと思ってしまえば(相手を信じること)
いってみれば自分に確固たるスピリチュアルの思想がなければ
相手がいわゆる詐欺でも騙されてしまうわけです。
よくありがちなのが霊感商法ですよね。

ここまでスピリチュアルに傾倒する人が多いのは
雑誌やテレビの影響以外に他ならないと思うのです。
そしてよくあるのがさっきも少し話した
「占い」との組み合わせでもあるわけです。
オナゴは占いが大好きですからね(笑

まぁそんなことも含め、何が怖いかといえば、
スピリチュアルにハマるのがほとんどが普通の女性であることですね。
さらに厄介なことにそちらの世界の知識のない人(いわゆる一般人)が多いこともまた由々しき事実。
こちらの世界の知識が必ずいるかというと、そんなことはないのもまた事実。

だって、前世も、カルマもオーラも、魂も、
どれをとっても普通の人にはなかなか目に見えないものだから。
目に見えても証明できません。
最近はオーラを写真で見るっていうのもあるみたいですけどね。

ただはやっているからっていう一過性の理由でというのは個人的にはあまり賛成しないんです。
自分を変えるきっかけ、になるならいいんですけどね。



あたしはめずらしく江原氏の気持ち、なんとなく察します。
こちらをみてる方々はきっとあたしがたたくと思ったかもしれませんが(笑)
むしろ同情に近い気持ちも含まれます。
なぜならばマスコミに利用されたというイメージだからです。

あたしの頭では去年の亀田家にしてもマスコミが作り上げたかんじがするし
ライブドアのホリエモンにしても同じです。
だけど彼らはマスコミの餌食になってしまいましたが、
マスコミがいたから有名になってもいますよね。
ホリエモンは自分が出ることで自らマスコミを利用して広告塔になりましたが
目をつけられて結果的にバッシングされました。
江原氏も細木氏も共通点はマスコミの利用の仕方が上手であるということ。
しかしマスコミを利用するには三倍返しというかその分たたかれてしまうリスクもあるわけで
ホリエモンが社長でなくなるまで追い込まれてしまったのも(事件はたしかにあったのだけど)
出すぎというのかな。
出る杭は打たれるともいうからね。

江原氏はマスコミの恩恵(物質的側面)を受けているからこそ有名になれたわけであって
本も売れたわけですよね。
それになんかよくわからないんですがあの人歌うらしいじゃないですか。
そういう趣味のことまでできるまでなるとは結構なことだと思いますよ。
なんか上から目線で話していますけど何か(笑)
そこまでの存在になれたというのはマスコミが押し上げてくれた部分もあるからだって思います。
有名になるということは賞賛を浴びる一方黒いオーラというか邪気もその人を襲います。
その人(たとえば江原氏)自身のオーラのプロテクトがしっかりされていたらいいんですが
バウンダリーがあいまいになっていると邪気なんてすうっと入ってきてしまうものです。
それを一番わかっているのはおそらくは江原氏だと思いますが体調とは密接にかかわってきます。
そしてまた食生活とも関係してくるところが多いようです。
(ちなみにあたしはバウンダリーがまったくなくて困っていますw)
自分のオーラにも自己管理が必要だって思っています。

そんなふうに今生きている物質世界と精神世界との折り合いのバランスというのは
物質世界に肉体を持つ者にとっては非常に難しいもので一生の課題だとあたしは思っています。
物事がうまく進んでいるときこそ気をつけていかないと踏み外すことになるのですよね。
「あたし、幸せすぎて怖いの.......」
だなんていってみたいものですねwww
平家物語の時代から「驕れる人も久しからず」といいますが、
昔の人はいってみるものですね。

そう、昔は精神世界ととても近かったように思います。
アニミズムの昔にまでさかのぼらなくともね。
または村の長老みたいなのが経験ですべてを知っていて、何かあれば意向をきいたり
それに従っていましたよね(あくまでもイメージですw)
産業革命後、物質社会になった今ではモノや情報であふれかえっていても
心はすさんでいる感じをとても受けます。
それはモノや情報が増えて世界がカオス化していくほどにそうなっていますよね。
第一昔は(あたしは肉体はもって生きていないけど)こんなにモノも情報もあふれかえってなんていなかった。
あたしの部屋もそうですがモノが増えすぎていくほどに
心が入るスペースってどんどんせまくなっていくものなんだよね。
あたしも部屋の片付けしないとダメダメですけどねw


星の運行的なことをいえば木星の山羊座入りと非常に関係してくると思っています。
これまでスピリチュアルなものがブームが去年あったのは
いて座の新月ワーク でも書いたように
いて座のキーワードに
「祈りと天上の導き」「直感」「心の安定」があります。
どちらかといえばスピリチュアル寄りです。
木星は12月19日にいて座から山羊座に入ったわけですが1年をかけて山羊座を旅します。
山羊座のテーマは山羊座の新月ワーク にも書いたように
「初志貫徹」「世間の評価」「評判」「過剰操作」「自己正当化」
を意味します。
木星が昨年12月に山羊座に入ってからいきなり霊感サロンについて報道がされたり
江原氏の問題、細木氏の降板・・・
いて座から山羊座に木星が来たナというふうにあたしは時代を読んでいます。
あなたもなにか感じるものがありませんか?

冥王星が山羊座入りしたのは最近のことです。
冥王星は生きることや本能に関係しています。
または隠れていたものがでてくるイメージです。
冥王星はしばらくすると逆行してまたいて座に戻るのですが
山羊座入りしたことでこれまで見えなかった何かが見え始めてきて
大きく時代が変わりはじめるんだろうなと思っています。

(次回に続く)
とりあえず今、とにかく導かれるものをやっていってます。
こういうときのあたしは心の状態が比較的落ち着いているときなのだろう。

いくら今やりたくても時期ではないときにそれを挑戦するチャンスは訪れない。
そんなとき無理をして手を出してもあとあとで歪がでてくるものなのだ。
「チャンスはつかむもの」そんなふうによくいうけれど、
今目の前にあるものが本当に自分にとってのチャンスなのかどうか
そんな見極めがしっかりできなくちゃいけないよね。
そして今こそチャンスだというときっていうのは
たいていが対象のほうから自分の中に飛び込んでくる、そんな気がするんだ。

焦って手を出してみても空回りしてしまう。

先週はカポエラをやりにいきました。
カポエラはもうずっとやりたいって思っていて一度以前体験してたのだけど
もう一度体験して感触をつかみたかった。
でも・・・今はやはりダンスのほうを中心にやりたいと思いました。
確かにとっても楽しかったけどこっちをずっと続けていくかんじじゃないとわかりました。

時期は熟すもの。
あたしに必要であればまた体験のチャンスと気持ちが巡ってくるはず。

今日はハーバルタロット。
三ヶ月、月一イチでならいます。
一年前はじまったときからずっと受けたいと思い
ワークショップで知り合った方からの連絡で、あと一名、だった枠を幸いにしてとれました。
少人数なんですぐにうまってしまうんですよ。
その子とランチをしてレッスンに向かいました。

実際受けてみて、すごく楽しかった。
イマジネーションがどんどんわいてきて満たされていくかんじ。

ダンスや音楽はもちろん、ヒーリングや占いはずっと好きだからね。
ダンスや音は陽、outのあたしの部分で、
ヒーリングや占いや写真は陰、inのあたしの一部なかんじかな。
で、地震予測はライフワークです((笑

あたし以外はほとんどタロット初心者であることに驚きを隠せませんでした。
どちらかといえばみなさんアロマやハーブからの流れであって
あたしみたいにタロットや占星術に自分でやるまで興味のある人がいなくて驚き。
ちなみにマルセイユ版がベースのデッキです。

最後メディテーションをし終えたとき
とある「質問」をカードにしたんですが数秒後、すごい手がビリビリしてきました。

深呼吸をして眼を開けて隣の方がこんな質問をしていました。
「質問をしたら突然嵐の様子が眼の裏に映し出されて
どうしていいのか困惑しています」

これについて、先生は本人に解釈させるようにあえて見えてるものをいわなかったんだろうけど
なんかすごい感じてきてしまいました。
詳しいことはあたしには質問内容がわかりませんが
その人はその質問に対してすごい迷いと不安があるように見えました。
この方が見た「嵐」の情景はそういう不安と迷いを払いのけるというか
クリアにする時期がきてるというか、
自分にとって不必要なもの(感情など)を手放すべきだということなのだって思います。
でも・・・それをあたしが、先生が言ってしまっては意味がないもの。

あくまでも本人が気づき、行動していかなければ
体験しなければ人間なんて成長していけないのだからね。
何か困難が目の前にあると、
人はその「状況」や「環境」や「誰か」を変えたいと願うものだけど
自分を変えない限り、未来永劫変わらないものだよね。
他人や自分以外の何かを変えたいと願うときはエゴであることが極めて多くて
たいがいが不満なんかと一緒にあらわれてしまいがち。
自分の内面を変えていきたい願いとは違ってくるわけです。

魔術でいうならば前者はコントロールマジック(欠ける月にする魔術)であり
後者は満ちる月に行う魔術。
同じひとつの事実でも、とらえ方次第でこれだけかわってくるのです。

確かに昔からの自分の考えや環境を変えるのは勇気がいることですし戸惑いもあるでしょう。
それは「古いものを手放す勇気」。

誰か何か、周りを変えることが一人二人できても
同じ状況に陥ればまた「変えなければいけない人」が増えるだけでしかない。
自分が少しずつでも変わっていくことができるのならば
何かあったときにそのときの「体験」から得た知恵を、
困難をチャンスに導くことだってできるはず。
そしてそれこそが成長なのだって思う。
体験なくして成長はありえないわけだからね。


導かれるままに「時期」はやってくる。
チャンスってそういうものだって思う。
これまでの体験、で自分が感じてきたことの積み重ね。
人間は「体験」をしてみてはじめて
「学び」や「知恵」に変えていくことができるのだから。

そうやって成長していくものだし、
そんな中で磨き上げてきた感覚で
今がチャンスっていうものなのかどうか
「知恵」で見極めていくのだって思う。

やりたいこと、やるべきこと、
今しかできない何か・・・

流れゆくままに。
流れを読んでキャッチするという、
風(チャンス)を肌(知恵)で感じたい。


一生、の中で、
今「自分」と思っているこの肉体の中で、
あとどれだけのことが体験できるだろう。
頭だけの知識でも耳で誰かにきいただけでもなく
いろいろ体験してひとつづつ、一歩ずつ、
だけど、確実に、確かめ、
そして生きているかんじ。
今、ここに、生きているということをかみしめながら。

そういう体験の積み重ねこそが、
自分であるという証なんだろうなって思ったりしています。

(11月26日6時追記)有感地震最後からすでに40時間有感がありません。
満月トリガーもありますので念のため気をつけるようにしてください。
世界的にはM6〜規模がつづいていますが日本周辺ではM4すらなく歪みがたまっていそう、あるいは世界的にかなり大きめがあり満月トリガーなのに抑制傾向なのかはわかりません。
茨城千葉(内陸含む)沖周辺、北海道南部、九州全般あたり1週間の警戒を。
小出しや深発ならいいんですが浅かったことも念頭に入れておいてください。。
また追記します
(11月26日7時追記)
11/26 06:42 宮城県沖 (北緯37.9度 , 東経141.6度) 震度3 M4.4 深さ90km
発生しました。
やはりブランクのあとの地震はマグニチュード大きめですね。
この直後に千葉東方沖でも揺れました。
宮城が揺れると連鎖する典型ですね。

まず最初にお断りしておきます。
今回の記事はご想像するようなアンチエイジングの記事ではありません。
少なくとも美容に関してのアンチエイジングの商品を紹介するなどは今回はしません。

あたしは過去5年アンチエイジングのセミナーに出たりして
「抗老化」について考えてきました。
この5年間でのアンチエイジングという言葉の定着度は
おそらくメディアや美容の関心もあいまって想像を逸したスピードでした。
それとともに商品も「アンチエイジング」という冠さえつければ売れるような
そんな便乗したケースもかなり多く出回っています。
(ご多分に漏れず質の悪いものも多いですねw)

実はあたしも最初アンチエイジングについて興味を持ったのは
いうまでもなく美容についての関心からでした。
出発点は美容目的だったのは事実です。
しかしアンチエイジングについて調べたり考えるほどに
美容の行き着く先って、つまり、
真のアンチエイジングはまず健康であることからはじまると強く思うようになったのです。
Anti-AgingではなくWell-Agingの概念です。
もちろんメタボリックなどの予防などももちろんありますが
心の健康はかなり重要と思っています。

というわけで今回は健康という意味でのアンチエイジングが中心の内容なわけですが
今回は医療改革について、とりわけ来年から実施され、
現在は半年間凍結する後期高齢者医療制度について書いていくので
アンチエイジングのいろいろな情報を書く記事ではないことをいい添えておきます。



日本はかなりの長寿国になって久しいですね。
これまではそれを誇りにしていたって思うんですよ。
でも「長生き禁止」法案が2006年6月、
民主・共産・社民など野党の反対を押し切り、自民・公明の与党が強行採決、成立したのをご存知でしょうか。
それこそが「後期高齢者医療制度」です。
この後期高齢者とは75歳以上の方々を対象としています。
どうなるかといえば、これまで加入していた国民保険や健康保険は脱退させられて、新しいこの制度に組み込まれます(強制)
この制度は家族に扶養されてるような低所得者を含め、とにかくすべての高齢者から取り立てる制度なのですが
つまりこれまで被扶養者として保険料を払っていなかった人も制度の対象者となったということが大きな違いです。
75歳以上だと後期高齢者医療になり74歳以下なら国民健康保険等に加入し、保険料を支払うという制度なわけですが
さらに65歳〜74歳でも、寝たきりの方や障害認定をうけているとこの対象となります。

15000円以上の年金生活者は
介護保険料と一緒にこの後期高齢者医療保険料も「天引」されるわけです。
介護保険料と合わせれば、
年金生活者から月10000円以上の保険料を徴収するわけです。
ちなみに15000円未満ならば窓口まで払いに行かねばならない。
しかも保険料を滞納すれば国保と同様に保険証が取り上げられてしまい、
医療を受けるには全額自腹ということです。

ついでにいえばこの医療改革制度、
70歳から74歳の窓口負担は2割になり
現役世代に対しては「支援金」という名目で保険料の負担が増えるわけです。

この法案、本来なら2008年4月から実施される予定だったわけですが
参院選の大敗を契機にいったん凍結されました。
そもそも小泉内閣の医療制度改革では
医療費抑制を最優先にした高齢者の負担増は「療養病床削減」などとともに柱の一つだったわけですが
(高齢の慢性患者が長期入院する療養型施設38万床を15万床に削減する計画です)
これにしても行き場のなくなってしまった高齢の(多くは寝たきりの)患者がどこの病院にも入れずに
いわば難民になってしまっている現実があるわけで
医療費抑制の弊害はすでに大きく高齢者に対してのしかかっています。

しかし当時の国民の多くは小泉政治のそのパフォーマンスに引き付けられていたわけで
すっかりマインドコントロールされてしまっていたに等しい。
安部元首相が電撃辞任したときに小泉さんを擁立しようとする動きが政界であったことにあたしは驚きを隠せませんでした。

今回自民・公明がなぜこれを凍結し軌道修正したのかはもちろん衆院選戦対策でしょう。
だからこそあくまでも半年間の「凍結」ということになっているのだと察しがつく。
しかし半年間凍結されるというのは、
「後期高齢者」の一部が対象となる新たな保険料徴収。
2008年10月から半年間は9割削減1割負担で決着したようですね。

ただでさえ2010年代半ばから消費税10パーセントという生活に支障をきたすレベルになってきてるわけだから
せめて10%にするものを見直すなどしていかないと本当に国民がどうなるのかと思います。
各政党は支持を集めるために特に選挙前に奮闘するのはわかりますが
現状の政治のレベルをみるほどに
いざ政権を握っても力つきてしまい
実行するエネルギーが枯渇してる気がします。


保険料は収入によってきまるわけですが
たとえば収入がゼロ〜153万円までの人の場合
現在は10500円だけど、この制度が実施されたら
たとえば立川市が公表してるものだと14000円、現在の1.3倍となる。
低所得者層の負担も増えるのは云うまでもない。

現時点ですら保険料が払えずに市販の薬で痛みをごまかし、
病気が悪化して手遅れで死亡するケースも後を絶たない。
わかっているだけでこの2年で30人弱死亡しているのだ。
これとは別に北九州での生活保護の辞退届を書かせられたことが社会問題になったけど
この同じパターンはほかにもかなりあるようだ。
「おにぎりが食べたい」
と書き残していたそれは
本当に飽食の時代といわれている日本なのだろうかと耳を疑うばかりだ。
物質が豊かになったといわれている日本はペルソナでしかなくて本来の日本の姿は実は貧しい国だ、
そうなってしまったのは、いうまでもなく国の財源の無駄遣いなのだけどね。
少なくとも日本の国家のメンタリティはきわめて低く、かなり国そのものが病んでいる気がしてならない。

今回の後期医療制度というのは、
年金暮らしの高齢者には、まさに長生きはするなといってるような制度であるのがおわかりいただけただろうか。

参考資料↓
保険料が高い都道府県
(1)東 京 10万2900円 18位
(2)神奈川 10万2236円 31位
(3)*大阪 10万1449円 4位
(4)*福岡 9万8210円 1位
(5)*京都 9万5007円 10位

保険料が低い都道府県
(1)岩 手 5万8433円 44位
(2)*山形 5万9565円 45位
(3)*秋田 6万41円  35位
(4)*新潟 6万3100円 46位
(5)*青森 6万4417円 37位

*は試算。無印は決定。保険料は年額。老人医療費は05年。21日時点で福島、山梨、石川、島根、佐賀、宮崎、沖縄の7県は未公表



日本は専門医が中心ですね。
あたしも喘息をもって呼吸器科に通っていますが
それ以前の日本は患者をみて総合的に判断する
いわゆるかかりつけ医が中心でした。
いつもと様子が違うなどその人のトータルをみて病気を判断していたわけですね。
今はすっかり分業化してしまっていて
特に総合病院はお役所のように縦割りになっている医療体制がほとんどです。

たしかにスペシャリストもいいのですが
こうもスペシャリストばかりになってしまうのもどうなのでしょうか。
上でもかなり割いて書いてきましたが
医療改革が行われている最中です。
これは患者側だけでなく病院の経営サイドほか医療スタッフの人材不足など受け入れる側もそれなりの悩みはつきません。

確かに高齢者が病院にはかなり多いのは事実です。
場所によっては高齢者のサロンと化してるところさえうちの近所にはあります。
しかしよく間違われることでもあるのですが
老いること=病気になること、では決してないわけです。
確かに年を重ねればそれだけ体の機能的にも衰えはでてきます。
それらを防いで、より健康に生きていくためのものが真のアンチエイジングだって思うのですね。

この予防医学はあたしの頭の中では代替医療がかなり含まれていますが
現代社会では心の病やストレスから病気を引き起こすケースが多いわけで
もっとホリスティック(統合的心もカラダも含め全体的なという意味)
な医療体制をつくるべきなんではないかって思ってるんだよね。

あたしがこんなことに興味をもちだしたのも
やはり介護を通してトータルで考えていた結果でした。
アロマやハーブはフラワーエッセンスに親しんだ次に介護を余儀なくされた時
あたしはここから何か見出すべきなのだろうなと思いました。
本当介護はやるほどに国の体制や政策の歪についてまで考えさせられることが実に多くなりました。
そして介護を通してアンチエイジングの元は健康であるということもすごく考えるようになったわけです。

というわけで真のアンチエイジングは体と心の健康にこそあるものだと信じてやみません。

日本にはまだまだ年令で人間を判断する慣習が非常に多い気がしてなりません。
しかし真のアンチエイジングはウェルエイジングであり
多くの人たちが心身共に健康的な生活ができるようになれば
今後の高齢化社会で介護の負担や不幸もなくなるだろうし
多くの人たちが笑顔になれるんじゃないかなって思います。

そんなときがきたらきっと
年令なんて記号でしかないことに
多くの人たちが気付くんではないかと思います。


(参考)
医療制度改革に関する情報
医療費の動向
今連日放送されているミャンマーの日本人ジャーナリスト殺害事件。

これについてミャンマー政権に対して思うことは多いのだけど
とりあえず今はおいといて
あたしお得意の?マスコミ責めをひとつ(笑)

戦場や紛争地域ジャーナリストのこういうなくなり方は非常に残念ではあるのだけど
まさに殉職というか英雄だなって感じる。

至近距離から打つというミャンマー軍事勢力の非人道的なやり方については
あくまでも別問題としてここは捉えてね。
ここまでジャーナリズムのあり方や倫理観についてうるさくいうのは
ちょっとでもマスコミにいた経験があるからなんだけどね。

以前やはり戦場ジャーナリストとしてバグダットで襲撃された
橋田さんとその甥の小川さんという方がいらしたのを覚えてるだろうか。
彼らはイラク戦争の被害者だ。
今回の事件であたしはまず当時のイラク情勢のことについて思い出した。
2004年。
あれから世界は何かひとつでもよく変わっただろうか。
日本の政治や福祉を見る限りではそれはまったくもって感じることはできない。

そして並行するように、現在もなお問われ続けるマスコミのモラルは
残念ながら彼らの死を無為にしている気がしてならない。
今回の長井さんはAPF通信の所属で
「日本のメディアの多くが足を踏み入れたがらない
世界各地の紛争地帯を専門に取材してきた」
「誰も行きたがらない場所でも、誰かが取材に行かねばならない」
と語っていたという。(APFの記事より)

このような方が亡くなったのは本当に残念なことだ。
現在の日本のメディアのレベルの低さを見るほどにそう強く感じる。
少なくとも張り込みなどで警察と癒着をもち、事件のスクープをもらう様な人(彼らも大変なのはわかるが)とは
申し訳ないけどクオリティがまったく違う。
たとえば「あるある」の捏造とか始め
いろんな捏造とエンターテイメントの境がつかないという点も今年はじめ問題視されましたね。
世間にモラルの低下を伝えているマスコミの、そもそもモラルの低下があるわけですね。
これを機会に少しでもメディアリテラシーについて考えた人は多いのではないでしょうか。

しかしこういったものは現実問題メディアやマスコミ界のマジョリティ(majority<大多数>)になっていて
彼らのようなジャーナリストはマイノリティ(もちろん弱者という意味で使ってるわけではなく少数派という意味)であるといえる。
それに正直いってマスコミの報酬額(というか給料)ってめちゃくちゃ低いんですよ。
これはあたしがこっちの仕事(ライター)をもうやめた!って原因のひとつでもあったし(笑。でも本当そうですw)
一人暮らしをするフリーの編集、ライターの友人も
かなり厳しいらしく、それはほかにバイトをやっているほどです。
フリーになると仕事は選べるけど生活が、特に軌道に乗るまではかなり厳しくなるという現状があります。
だから実際さまざまなストレスで病んでいる人、または病んでしまう人も結構います。
一見華やかな世界に魅せられて入りたがる人は多いのですが
実情はかなり厳しいです。
そのような中であえて仕事をするわけですから大変なのはわかるんだけど
もっとしっかりとした倫理をもってほしいってこの業界全体にに対して思います。

そして最近亡くなった戦場ジャーナリストといって思い出されるのが
漫画家のサイバラさんこと西原理恵子のダンナであった鴨志田穣氏。
彼が仕事のストレスによるアル中であることはサイバラさんのマンガなんかである程度知っていたけど(実はデフォルメだと思ってたw)
彼が腎臓がんでなくなったと友人から聞いたのは実は7月のことだった。
知らなくて大変お恥ずかしいです。。。

鴨志田氏、通称鴨チャンは、友人からきいたところによれば
「日本に本物のジャーナリストはいない」
といっていたらしいですね(詳しくは忘れた)
それをきいてある種の軽いショックを覚えたとともに
やはり同じことを思う人は多いだろうなとも思った。

それを踏まえても長井さんがこういった紛争地域でなくなったことは二重に悲しむべきことだと感じたわけです。
ひとつめは一日本人として悲しむべきことであること。
もうひとつはメディア業界がまた一人このような方を失ったという事実だ。

マスコミの人たちはこのような事実をどう捉えるのだろうか。
彼の死をムダにしないで欲しいなと切に願う。


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